018 椅子・オブ・ザ・イヤー

 それからスマホを仕舞い終えると、僕とキーナは二人だけでコソコソと話しはじめた。


「ねえ、冬市郎くん」

「んっ?」

「自分、この委員長さんと、あの宇宙人のブログを書いた人が、同一人物だとは思えないんスけど」

「確かに」

「まともそうな子ですし、こりゃあ、あのブログを書いたのはきっと別人ッスよ」


 キーナのそんな言葉に、僕はうなずく。


《ボクが考えた宇宙人目撃ファイル》


 灰音から教えられたあのブログ――。

 出来ればこの女の子ではなく、誰か別の人間が書いたものであってほしいと心から願う。


 それから僕は、目の前の緑髪の少女のことを、とにかくもっと知っておこうと、こんな質問をした。


「ところで委員長さん。文化祭の準備で普段は忙しいんでしょうけど、休日や息抜きをするときなんかは、何をして過ごしているんですか?」

「あっ。印場センパイ、さっそく取材開始ですか?」


 緑髪の少女は、ニコッと笑う。


「ああ、えっと……まあ確かにこれは、取材も兼ねているかな? でも、どちらかといえば、もし共通の趣味でも見つかれば、お互い一気に仲良くなれるかもしれないなあ……なんてのが本当の狙いでして――」


 僕がそう答えると、大曽根みどり子は頬を染め、照れ臭そうに言った。


「えっ、こんなボクと仲良く、ですか? ふふ、うれしいです。そういうことでしたら喜んでお答えしますけど、ボクの趣味は『ブログ』を書くこと、ですかね。ふふふ」


『ブログ』という言葉を耳にした瞬間――。

 僕とキーナは顔を見合わせて、お互い顔を引きつらせた。


「「う……」」


 と、二人同時に声を漏らす。

 そして、そのまま僕とポニーテールの少女は、同じタイミングで一歩ずつ後ずさりした。


 事前に打ち合わせをしたわけではない――。

 それなのに僕とキーナの動きが、ペアダンスのようにピタリと、シンクロしたのである。

 そんな、思わず一歩後ずさりするほどの衝撃を、僕たち二人は同時に受けたわけだ。


 一方で、大曽根みどり子は、にこやかに話を続ける。

 周りが見えていないのか、僕たちの挙動不審な行動など、あまり気にならない様子だった。


 本当に夢中になっている趣味の話を楽しげにするとき、人は案外こんなものかもしれない。


「えへへー。実はボク、何種類かブログを書いているんですよ。けれどお恥ずかしいことに、すべてのブログのアクセス数が壊滅かいめつ的でして……あはは。自分では絶対に面白いと思っているんですが、いったい何が悪いのかなぁ?」


 緑髪の少女はそう口にすると、小刻みに首をかしげたり、天井を見上げたりした。



 ――自分では絶対に面白いと思っている!?



 やはり自覚がないのか……。

 彼女の言葉に、僕は息をんだ。

 キーナに関しては言わずもがな、である。


 黒髪ポニーテールの少女は、僕の隣で両目を見開き、その表情を固めていた。

 おそらく僕も、彼女と同じような顔をしていたであろう。

 僕とキーナはしばらく顔を硬直させ、二人で横並びのトーテムポールのようになっていたのではないだろうか。


 そんな僕たちの反応にはやはり構わず、緑髪の少女はポリポリと頭を掻きながら話を続ける。


「あっ、そうだ! ちょうどこの部屋にパソコンもあるし、せっかくだからセンパイ方にも、ボクのブログを読んで頂こうかな?」


 大曽根みどり子のオレンジ色の瞳が、ギョロギョロと動いた。まるで獲物えものを探す爬虫類はちゅうるいごとくだ。

 その両目が充血しているため、無駄に迫力が増している。


 するとキーナが、僕の肩にポンッと手を置いた。

 それから彼女は、にこやかな笑顔でこう言う。


「いやー、すみません、委員長さん。自分はお手洗いに行ってくるので、抜けさせてもらうッス。ブログの方はこの印場冬市郎くんが、として、しっかりと読ませて頂きますので……おほほほほ」

「そうですか。栄町センパイ、トイレでしたらその扉を出てすぐ左手にありますよ」


 キーナは深々と頭を下げると、次のように宣言する。


「委員長さん、親切にどうもッス。でも、もしかすると、自分はトイレに向かう途中で迷子になるかもしれないッス」

「えっ? いや、栄町センパイ、けっして迷子になるような距離では……」

「いえ、それでも自分はきっと迷子になるはずッス。だから、戻りがすごーく遅くなっても、どうかお気になさらずにぃー」


 キーナは、尻尾しっぽを巻く代わりに黒髪のポニーテールを巻いて、足早に『文化祭特別対策室』から逃げ出していった。


 そんなわけで僕は、見た目が小学生ほどの、充血した両目を持つ女子中学生と、部屋で二人きりとなる。

 それも、女子校のこじんまりとした一室で、二人きりなのだ。


 緊張しないわけがなかった。

 それは僕だけでなく、相手も同じようである。


 僕とみどり子はお互い、「あはは……あはは……」とハニカミながら、しばらく見つめ合った。

 沈黙が訪れるのを少しでも先送りするかのように、必死で「あはは……あはは……」と声を出し合ったのである。


 コテコテの古臭いお見合いの席みたいだった。

「後は、若いお二人で――」と世話人が抜け出し、男女二人きりにされた直後のような、ぎこちない雰囲気である。


 そんな中、先に動きを見せたのは、大曽根みどり子の方だ。

 緑髪の少女は、普段自分が座っているだろう肘掛け椅子の横に立つと、座面をポンポンと叩きながらこう言った。


「で、では……印場センパイは、こちらの椅子に座ってください」

「ああ、はい」


 言われるがままに僕は腰を下ろした。

 椅子のクッションはとても感触が良く、座り心地もなかなか素晴らしい。

 さすが、『文化祭実行委員長に与えられし椅子』といったところだ。ジャリ研の部室に置かれているパイプ椅子とは、比べものにならない。


 僕が、本年度の自分的『椅子・オブ・ザ・イヤー』を決めるとしたら、これは間違いなく最有力候補だった。


 ただし――。

 実際には、『椅子・オブ・ザ・イヤー』なんてものを、僕は生まれてからこれまで、一度として決めたことはない。

 初対面の女の子と二人きりにされたこの緊張状態を、少しでも誤魔化ごまかそうと、そんなどうでもいいことを頭の中で考えているだけだった。


 それから僕は、正面に設置されているパソコンの画面と向き合う。

 きっとこれで例のブログを――あのクソブログを――読むのだろう。

 僕はすでに覚悟を決めていた。


 一方で緑髪の少女は、椅子に座った僕の脇に立ち、顔を赤らめながら何やら、もじもじとした様子だった。

 そんな彼女だが、やがて「コホン」と小さく咳払いをすると、続いて驚くべき行動に出る。


「それでは、印場センパイ――」

「んっ?」

「失礼します……。んっしょっと……」


 緑髪の少女はそう口にすると、僕の膝の上にちょこんっと座った。

 当然僕は、


「えっ……?」


 と声を漏らす。

 自分の身に何が起きたのか……? 把握はあくできずにフリーズ状態といったところだ。

 僕は椅子に座り、彼女は座っている。


『一人掛けの椅子に二人で座る少年と少女の風景』


 そんなものが出来上がったわけだ。


 僕の太腿ふとももに伝わってくる少女の体温。

 下腹部に軽く押し付けられている、小さくて柔らかいお尻の感触。

「はあ……はあ……」と、かすかに漏れ聞こえてくる少女の吐息。


 そのすべてが、なにやらイヤらしい。


 さらに――。

 目の前にある緑色の髪からは、甘いミルクのような香りがただよってきて、僕をますます困惑させる。


 ――こうなったら、この僕が、大曽根みどり子にとっての『椅子・オブ・ザ・イヤー』になってやろうか?


 そんなバカなことを一瞬考えるくらいには、僕は見事に混乱していた。


 それから緑髪の少女は、僕という肉の椅子に座りながら口を開く。


「……で、では、センパイ。さっそくボクが書いているブログなんですが――」

「ちょちょちょ、ちょっと待ってください、委員長!?」

「んっ? センパイ、何か?」


 白々しらじらしくそう口にしながら、少女は僕の膝の上で首をかしげた。

 しかし、その頬も耳も薄っすらと赤く、彼女は照れていることを隠しきれていない。

 自分だって恥ずかしいくせに、僕のことを椅子にして座っているのは明白だった。


「いやいや、この状況は絶対におかしいでしょ?」

「はい?」

「どうして委員長さんが、僕の膝の上に座っちゃってるわけ?」


 僕がもっともな質問をする。


「それには理由がふたつあります」


 緑髪の少女はそう答えた。

 驚いたことに、この行為には理由がふたつもあるらしい。


「ふ、ふたつ?」

「はい。ひとつは、この部屋に椅子がひとつしかないということ」

「お、おう……もうひとつは?」

「もうひとつは、ボクが印場センパイを、さりげなく誘惑しているということです」

「はあっ!? これがさりげなく誘惑っ!?」


 思わず僕は、大きな声を出してしまった。

 すると緑髪の少女は、大声に驚いたのか、僕の上でビクッと震える。

 僕の太腿にも、もちろんその震動が伝わってきた。

 正直、理性が揺らぎそうになる。


 それから、緑髪の少女は、こう尋ねてきた。


「せ……センパイは、こういうの……お好きじゃありませんか? それとも、お嫌いですか?」


「好キダナ」と、すかさず右足が答えた。

「アア、絶対ニ好キダ」と左足が、その意見を後押しする。


 足の裏たちいわく『2対0』で、僕はこういうシチュエーションが好きなようだ。

 久しぶりにしゃべったと思ったら、なんなのだろう、こいつらは……。


 僕は足の裏たちの声に、イラッとしながら、緑髪の少女の質問に正直に答える。


「す、好きだよ……こういうの」

「なら……」

「いや。好きだから、ものすごく興奮しちゃうからさ……。だから、僕が間違って委員長さんを襲っちゃう前に、膝の上から下りてほしいんだ」

「ふふっ……」


 少女は小さく笑った。

 それから驚いたことに、彼女は僕の上から下りるどころか、全身の力をだらりと抜いたのである。

 大曽根みどり子は座ったまま、僕の身体にぐったりと、もたれかかってきたわけだ。


「ああ……もうボクは自分の気持ちを隠しておけないです。これがセンパイの匂いなんですね。ようやくげました」

「えっ…………。い、委員長さん?」


 初対面の小柄なロリ少女から、僕は『人間リクライニングチェアー』の如く扱われていた。

 もちろん僕の頭は混乱しっぱなしだ。

 その一方で緑髪の少女は、頬を赤らめたまま薄っすらと涙を浮かべていた。


 涙!?

 どうして涙を……?


 すると大曽根みどり子は、涙声でこう言った。


「ご、ごめんなさい、印場センパイ……。もう少しだけ。どうか、あと少しだけ、このままでいさせてください……」

「えっ……えっと……」

「センパイ……ボクはセンパイと再会できるこの時を、ずっと待っていたんですよ?」

「さ、再会……?」


 僕は首をかしげた。

 この緑髪の少女と過去に会った記憶が、僕にはまったくなかったからである。

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