015 忠犬キナ公
「まあ、僕も今日のところは、これ以上ブログを読み進めるのは止めておくか」
「うんうん。それがいいッスよ、心にも身体にも――」
キーナは、しみじみそう思うといった様子で、両目を閉じて何度もうなずいた。
黒髪のポニーテールも、「んだ、んだ」と、彼女の意見に同意しているかのように上下に揺れる。
「それで、とにかく冬市郎くんは、この変なブログを書いている変な女子中学生と接触して、年下の少女に変なことをしたいんスよね?」
「いや……最後だけ違いますけど……」
僕は非難の気持ちを込めて、じっとりとした視線をキーナに向けた。
それから、彼女のおふざけ発言を掻き消すかのように、「ごほんっ!」とわざと大きめの咳払いをしてから、気を取り直して話を続ける。
「でもどうやって、このブログの作者に接触しようかと思ってさ。彼女、愛名女子の中等部に通っているらしいんだ」
「愛名女子の中等部なら、校舎もお隣ですし、すぐそこッスね」
「ああ。まあ、物理的な距離だけはすごく近いよな。でも……」
「はいッス。姉妹校の生徒とはいえ、男子は女子中等部の敷地内に、簡単には入れないッスよ」
「そうなんだよな。うーん……」
困ってしまい僕が黙り込むと、キーナの栗色の両目がキラリと輝く。
彼女は、薄っすらと笑みを浮かべ、明らかに何かを思いついたといった様子だった。
「ふふーん。あのぉ、冬市郎くん」
「んっ?」
「そのぉ、思い切って女装してみるってのはどうスか?」
「うっ……」
僕は両肩をピクっと震わせた。
それからアゴの下に手を当てて、「うーん」と唸りながら両目を細める。
キーナの方はなんだかノリノリで、女装することをさらに勧めてきた。
「冬市郎くん、女装して女子校に潜入するッスよ! この栄町樹衣菜の制服を貸してあげるッス。冬市郎くん、可愛い顔をしているから女装してもきっと通用するッスよ!」
僕の足下から、すぐに疑問の声が上がった。
「冬市郎ガ、可愛イ顔ダッテ? キーナノ目ハ、相変ワラズ
「冬市郎ノ女装ガ通用スル? 冗談キツイゼ、キーナ」と左足が続ける。
『女装作戦』に批判的な足の裏たちの声。
僕はそんな声を聞き流すと、真剣な顔をして口を開いた。
「なあ、キーナ……」
「んっ?」
「女装するって方法は、僕も一度は考えたさ」
「そうなんスか?」
「――ああ。正直、通用する気もする」
「「通用シネエヨ!」」
両足が僕の意見に同時にツッコミを入れた。
その後、足の裏たちは女装した僕の姿でも想像したのだろうか。
「「オエーー!!」」
と、一斉に甲高い声をあげた。
本当に失礼な足の裏たちだ。
僕はそんな足の裏たちの声を再び無視しながら、話を続けた。
「でも、キーナ……。落ち着いて考え直してみたら、さすがに女装はないな……と」
「んっ? どうしてスか? 女装した冬市郎くん、きっと可愛いのに」
「いや、自信がなくはないんだ……」
「自信はあるんスね」
「ああ……」
特にこれといった
けれど僕は、自分の女装に、なぜだか少しだけ自信があったのだ。
僕のそんな根拠のない自信が伝わったのか、キーナがまた女装を勧めてきた。
「じゃあ、冬市郎くん。やっぱり女装して――」
「いや、キーナよ……それは駄目だ」
「どうしてスか?」
「女子校に女装して潜入したなんてことが万が一、バレたら? その時に受ける社会的ダメージは計り知れないだろう。ここはとにかく、リスクはなるべく避けるべきだと思うんだ」
そんな弱腰な僕の意見を聞いて、キーナは心底残念そうにうつむいた。
「そうスか……。まあ、もし親友の女装がバレて社会的に死んだとしても、自分は『
「えっ?」
「それで、人生ナイトメアモードと化した世界に、二人で立ち向かうんスよ」
そう言い終わるとキーナは、自身のポニーテールを右手でつまむ。
そして、その髪を犬の尻尾のようにパタパタと振りながら、「わんわん」と鳴いた。
どうしよう……可愛い……。
これが『忠犬キナ公』なのか、と僕は犬の
「えっ……どうしよう……。キーナが、『忠犬キナ公』として、十五年も僕の傍らにいてくれるの?」
「そのつもりッス」
「――ってことは、三十代の前半くらいまでは、『忠犬キナ公』は僕と一緒に、社会の荒波と戦ってくれるの?」
「もちろんッスよ」
キーナが真剣な表情で、こくりとうなずいた。
僕にはわかった――これは本気のときのキーナの顔だ。
冗談ではない。
さて――。
もし、『女装作戦』を決行すれば?
変装するためにとりあえず、『キーナの制服』が手に入る。
これはトンデモないことである。
そして、もし作戦が失敗して社会的に死んでも、『忠犬キナ公』となったキーナが、三十代前半くらいまでは僕の傍らに付き従ってくれる――彼女はそう約束してくれたのだ。
どうしよう……。
本当に迷うな……。
失敗しても、メリットがあるのかぁ……。
胸の前で腕組みをしながら、僕は「うーん……」と唸って本気で考えた。
社会的に死んでも、キーナといっしょに十五年もいられるのなら、それは『試合に負けて、勝負に勝ったような人生』なのかもしれない――。
だが、しばらく考えて、僕は正気に戻った。
本当にあぶないところだった。
「ふふっ。キーナ……ずいぶんと
やや後ろ髪を引かれる思いだった。
しかし僕は、ゆっくりと首を横に振って、『女装作戦』を切り捨てたのだ。
キーナは右手でつまんだポニーテールをパタパタさせながら言った。
「わんわん。うーん……残念ッスね。この機会に、唯一の親友が女装した姿を、一度でいいから見てみたかったんスけど。でも、冬市郎くんとの楽しい未来のためなら仕方ないッス。あきらめて、他の方法を考えるッスよ」
右手でつまんだポニーテールをくるくると回しながら、キーナは天井を見上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます