第八話 『クリスティニア』が『桐花』でいるために

『クリスティニア』が『桐花』でいるために-1

 高校って怖い。


 まさかこんなに自分の周囲がめまぐるしく変わっていくとは思っても見なかった。

 現実の高校生なんてのは通過点でしかなくて、今の感覚のままで大人になっていくものだと思っていた。

 だってうちの父親達は未だにアニメと特撮ばかり見ているし。


 それはさておき、俺の状況はなんて表現すれば良いんだろう。

 もし俺が主人公の周囲で戯けている親友キャラなんだとしたら、物語に何かしらの影響を与えることができているはずだ。


 今の俺は陽太郎と嗣乃に対してなんら影響を与えられてはいない。

 サブヒロインの酒匂多江のサブストーリーにちょっと顔を出すみたいな、そんなのかね? 


 はぁ、この辺で止めにしておこう。

 ゲームを現実に当てはめるのはさすがに痛すぎる。


 多江と話し辛くてネトゲに充てていた時間はすべて自治会の仕事に費やすことにした。

 せめて人様の役には立ちたかったからだ。


 職員室の複合型コピー機のスキャナーを何時間も独占してはひたすらスキャンして電子化した紙をクラウドにアップし、スキャンしたファイルの『説明』にキーワードを付けると言う作業を繰り返していた。


 例えば文化部の文芸部の活動報告の資料だったら『文化部』、『文芸部』、『活動報告』、そして提出日をタグとして登録しておく。それだけで後から簡単に検索して探し出せる。全文をテキストにする必要なんてない。


 この作業をタギングというらしいんだが、便利なもんだ。

 やればやるほど先輩も先生も褒めてくれるし、なかなか生産的な日々だ。



「……ふわぁ」


 あくびが出てしまうほどいい天気が続く。

 水が張られた田んぼを見ると、ゴールデンウィークが近いことが分かる。


 俺の前を走る嗣乃も自作の調子っ外れな歌を口ずさむくらいには気分が良いらしい。

 陽太郎は歌を止めてくれと嗣乃に叫びながら、必死にペダルを漕いでいた。


 俺の気分を良くしているのは天気だけではなかった。

 帰宅部狩りがなんとか終わったからだ。


 ただ、大成功とはいえなかった。

 データ取りは初めてということもあり、実態と乖離してしまった部分が多かった。

 特に、金銭面では大きな齟齬が出てしまった。


 スポーツ部所属者からは特にクレームが多かった。

 ウェアや専用の装備品は貸し出せるので金がかからないという回答を鵜呑みにしたのは失敗だった。

 彼らの言う貸出用具はOBが置いていった残骸のような物でしかなかった。

 結局購入せざるを得なかったり、転部したりという生徒が出てしまった。


 クレーム受付は二年生がしてくれたが、なかなかに堪えるものだと知れる出来事だった。

 とはいえ、集めたデータの大部分は役に立った。

 提案した向井桐花が教師達に褒められたのも気分が良かった。


「つっき、いくらなんでも遅いよ」

「え? ああ、ごめん」


 しまった。考えごとをし過ぎていたらしい。

 陽太郎に指摘されてすぐにスピードを上げた。

 だが、目の前にいた人物に驚いて急ブレーキをかけてしまった。


「うわわわ!」

「ちょっ!」


 後ろから二台分の急ブレーキが聞こえた。


「何してんのよバカ……へ? 多江?」

「やっほー三兄弟。ついに買ったよー!」


 多江がまたがっているのは、スポーティだがどこかごつごつした見た目のクロスバイクだった。

 多江の小さい躰には少々でかすぎるようにも見えた。


「多江? おはよう……なんか凄い自転車だね」

「へへー! やっとこさあたしの身長に合うの見つけたんだぜ! 泣く子も黙るブリ様だ! 母さんと共用だけどね」


 一番よくあるメーカーじゃねえか。

 フレームは白だが、ところどころにつや消しの黒いパーツを使っている格好良い自転車だった。

 陽太郎は呑気に挨拶しつつ感心していた。

 しかし嗣乃は違った。

 多江の自転車のハンドルからペダルへと斜めに走るパイプ、いわゆるダウンチューブに装着されている黒い長方形の物体を見咎めた。


「何よこれ! ここで捨ててけ!」

「ちょ! つぐ!」


 嗣乃は多江の自転車のシートの下に鎮座するバッテリーを引き剥がしにかかっていた。


「こんなんいらないでしょ!」

「た……頼む! この種もみだけは! このリチウムイオン電池は明日への希望なんじゃぁ!」


 そんなYouはShockなネタをしてないで、早いとこ再出発したいんだが。

 まさか多江が積極的な手段に出るとは思わなかった。



「ふんふふーん」


 ご機嫌な多江の鼻歌が聞こえるのは癒やしだ。

 多江の電動アシスト自転車のスピードは、貧脚の陽太郎と良い勝負をしていた。

 必死に自転車を漕ぐ陽太郎を後ろに従えて、ぐんぐん坂を登っていく。


 先頭の嗣乃はちらちらとその姿を伺っていた。

 自分の恋愛に対する鈍感さをどうにもできない嗣乃も、この事態にはもう気付かざるを得ないだろう。

 しかし、特に動揺も見せずにペダルを回しているところを見ると、まだ嗣乃は自分が優位にいると高をくくっていそうだ。

 まぁとにかく、坂がまだ緩い内に自分の好奇心を満たしておくか。


「多江ー、それどうなの?」


 ガジェットが介在すると、話しづらい気分はどこかへ吹っ飛んでしまう。


「おー! ペダル回すだけで登るー!」

「ほうほう。じゃ、よーは任せたわ」

「任されたー!」


 多江が請け合う。


「えー? 置いてくのー?」


 少し速度を上げて嗣乃に追い付く。

 嗣乃の気持ちを聞いておきたかった。


「多江はどう!?」


 先に質問されてしまった。


「よーよりは平気だよ」

「おっけい!」


 泰然自若としているな嗣乃。

 嗣乃がここまで落ち着いているのは、自分がどうすべきか分かっているからだろう。


 ついに勾配のきつい正門前まで続く坂へと差し掛かった。

 多江は少し戸惑った様子を見せたが、しっかりと登っていた。


 本当はこの辺りで桐花様直伝のペダリングを教えてやろうと尊大な態度で待っていたのだが、全く不要だった。

 よく見れば多江のシートポジションは身長の割にはしっかり高めにしてあり、足の親指の下辺りでしっかりペダルを踏んでいた。

 俺達と同じ金髪のお師匠様に教わったんだろう。


「つっき! 多江はどう!?」

「遅いけど平気だよ! 自分で見ろよ!」


 なんでいちいち俺に確認させるんだ。


「分かった! 全力出すよ!」

「は……?」


 嗣乃はシートから尻を浮かせてぐんぐん加速し始めた。

 いやいやいやちょっと待って!

 その反応おかしくない!? おかしいよね!?

 こいつもしかして俺に確認させてたのってこの坂から目が離せなかったとか!? 


 しまった。

 忘れていた。

 成績や生活態度にそこまで表れないが、嗣乃について重大なことを忘れていた。


 嗣乃は、馬鹿だった!


 陽太郎という足枷から解き放たれた嗣乃が、峠の鬼と化していた。

 嗣乃はは楽しいと思ったことはどこまでも楽しもうとする奴だった。


 たとえそこに自分に関わる大事があったとしても、自分を抑えきれなかった。


「ふがっふがっ!」


 めちゃくちゃな呼吸で嗣乃が登っていく。


「待てってば!」


 どんどん離されていく。基礎体力が違いすぎる。

 だが、慌てる必要はない。嗣乃はペース配分が下手な前半型の典型だ。

 付かず離れずでこっちの体力はセーブしていけば、終盤に追いつけるはずだ。


「ふんぐ! ふんぐ!」


 うわぁ、すげぇ注目を浴びているよ。

 こちらからは背中しか見えないが、嗣乃が今どんな顔をしているかなんて手に取るように分かる。

 指定ジャージ姿の美少女が、鬼の形相で自転車を漕いでいたら誰でも振り返るだろうよ。


 少しずつ嗣乃に追いつき始めた。

 勝負はここからだ。

 同じ自転車に同じヘルメットを被って必死に走る二人組はこの上なく目立っているだろう。我ら格差タッチは既に校内中に知れ渡っている。

 これ以上目立った所で何か変わる訳でもあるまい。


「うおっ!」


 強めの風が顔に当たった。

 坂を左右から覆う林が途切れると、そこからは数メートル感覚で桜の木が立っているだけだ。

 風で目を開けるのも辛い。


「うが! あが! ふが!」


 漫画なら「うおおおお!」と叫びながらゴールに向かうもんだろうが、実際は無理だ。息絶え絶えの嗣乃がなんとかペダルを踏んでいた。

 あと少しで追い付くというところで、俺もそれ以上の加速ができなかった。


 校門というゴールに入る瞬間、嗣乃は人差し指を立てた両方の拳を天高く突き上げ、校門を通り抜けた。


 俺は残された全ての力で、他人のフリをしたかった。

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