『クリスティニア』が『桐花』でいるために-2

 なんで途中から勝負になっていたんだか。


「いやー楽しかった!」

「楽しかったじゃねえよ……死ぬ……」


  引きこもりが元運動部と戦っても勝てないのは分かっていたのに。

 でも、嗣乃の背中を捉えた状態でゴールができたんだから誰か褒めて欲しかった。

 嗣乃は自治会室前で座り込み、ジャージの上を脱ぎ捨てた。


「つっき結構速くてびっくりしたわ! 最初でちぎってやったと思ってたのに!」

「……うるせぇ……」


 不意に自治会室のドアが開いた。


「あれ? 桐花?」

「お、おはよう」


 自治会室に鍵はない。

 金属製のボタン式暗証番号ロックなので、番号を知っている委員なら誰でも開けられる。

 こんなロックが採用されているほど、自治会は激務だ。


「……ど、どうしたの?」


 そりゃ戸惑うよな。こんだけ汗だくの二人組を見たら。


「えと……瀞井君は?」

「置いてきた! 多江が電池積んでる自転車買ったんだよ!」

「一緒に買ったから、知ってる」

「え!? あたしも誘ってよ!」


 多江と向井桐花が一緒にお買い物だと? 草葉の陰から覗きたかったな。


「多江が、秘密にしたいって」

「なるほどね! ほんとにびびったよ!」


 ケラケラと笑う嗣乃を見て確信した。

 さっきの俺が抱いた思いは完全に間違いだった。

 嗣乃はなーんにも気付いちゃいなかったんだ。

 多江が陽太郎へアピールしてかつ、嗣乃にライバル宣言をしたんだってことに。


「水分、しっかり摂って。座らないで、歩いて乳酸値下げて」


 心配されまくってるな。

 飲み物なんて持ってないんだけど。

 次からはちゃんとドリンクホルダーにボトルを付けるか。


「よーと多江、遅いな」


 グラウンドを使うサッカー部やラグビー部は、朝練を引き上げる準備をしていた。


「見てくる」


 静かに佇んでいた向井桐花が、ヘルメットを被り直した。

 そして駐輪場からあっという間に自転車に乗って坂を降っていく。


「へえ……リュックもビアンキだ」


 向井桐花が置いていったリュックを見て、嗣乃が感心する。

 正面から見ると真四角なバックパックだ。

 唯一見たことのある私服……というか、サイクリングウェアもビアンキだったな。


「ふえー暑い!」

「くつろぎ過ぎだろお前」


 嗣乃はスニーカーはおろか、靴下まで脱ぎ始めていた。

 男に囲まれて育った弊害なのか、いくら瀬野川に怒られても治らない。

 でも、赤の他人だったらきっと心惹かれるのかもしれないとも思う。

 見ているだけで肩の力が抜けてしまう。


「あ、登ってきた!」


 向井桐花に先導されて、多江と陽太郎がやっと校門を通過した。

 多江は何故かサングラスをかけていた。


「そのサングラスどうしたんだ? あ、そうか」

「お察しの通りきりきりちゃんに借りたよ」


 質問するまでもなかった。ツルにビアンキと書いてあった。

 きりきりちゃんなんてあだ名のあだ名で呼ぶとは。さすが一緒に買い物行った仲だな。


「途中で目にゴミ入って目が開けられなくなってさ。今日に限ってメガネ持ってないいから困ったよ」


 コンタクトは大変そうだ。

 あんなに風が吹いていたんだから目にも多少のゴミが入るのも仕方ない。


「多江、保健室行かないと」

「あ、そうだね。グラサンありがとう!」


 向井桐花は息一つ乱れてなかった。後ろの陽太郎は半死半生だ。


「よー、お疲れ」

「お、置いていかないでよもう!」

「嗣乃に言えよ」

「言っても無駄だからつっきにいってるんだよ!」


 そっすね。

 朝から疲れた。

 でも、まだ気分の良さは続いていた。

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