コミュ障少年とネクラ娘、凡庸に出会う-2

 嗣乃は意地の悪そうな笑顔をすぐに優しい微笑みに変え、口を開いた。


「あたし汀嗣乃! よろしく!」


 開口一番名前を名乗っただと?

 人生のほぼ全てを一緒に過ごしているのに、どうしてこうも違うんだ。


「クリスティーナちゃんって出身はどこなの?」


 もうプロフィールに踏み込んだだと。

 名前は思い切り間違えているが。

 嗣乃の中では未だに秋葉原のラジオ会館にタイムマシンが突き刺さっているのかもしれん。


 フロンクロスのものすごくか細い声を必死で傾聴したところ、フロンクロスはこの地域出身だそうだ。

 父親はアメリカ人で母親はスウェーデン系のアメリカ人で、日本に帰化しているそうだ。

 海外生活はしたことがないので、見た目以外は完全に日本人だと言いたいらしい。


「えー北欧美人だ! めっちゃ可愛いね!」


 フロンクロスよ体がビクリと跳ねた。

 嗣乃がいきなりフロンクロスの髪の毛に手を回したからだ。

 髪の毛をいきなり触ってくる図々しい奴に初めて出会ったんだろう。


「嗣乃、少し落ち着け。名前ちげえし」


 目を白黒させているという表現は今のフロンクロスのためにあるんだと思う。

 いわゆる碧眼だけど。


「ほんとだ! クリスティニアか! じゃぁクリスちゃんって呼べばいいの!?」


 フロンクロスの口がパクパクと動いているが、声になっていない。

 書いたら? というジェスチャーをすると、『父親:クリストファー』とノートに書いた。


「ああ、そうか! クリスって呼んじゃうとお父さんと同じになっちゃうのかクリスティーナちゃん!」


 まだ間違えるか嗣乃め。


「うーんクリスティニアちゃんって呼べばいいかな? いやはー可愛いー! お持ち帰りぃー!」


 また余計な言葉を覚えやがって。

 フロンクロスさんについては自分自身の好みドストライクだからか、興奮がいつもの倍だ。鬱陶しい。


「ねぇねぇ、あたし達と友達になろ! あそこの瀞井陽太郎も幼馴染なんだ!」


 嗣乃がノールックで適当に指差した方向をフロンクロスさんは見たが、ピンときていないらしい。


「あ、あそこで女子に囲まれてるヒョロい奴」


 女子に囲まれていても、頭ひとつ以上出ている身長の高さは羨ましい。

 フロンクロスの身体がビクッと跳ねた。


「……似てる」

「へ? 誰と?」


 俺より先に嗣乃が質問する。

 俺と陽太郎を交互に眺めているようだ。

 なかなか鋭いな。俺と陽太郎が似ている部分なんて人類である点以外は目と鼻と口の数くらいなのに。


「そりゃそうだよ。この二人のお母さん双子だもん!」


 嗣乃のコミュ力が火を噴いた。

 俺と陽太郎の母である双子の姉妹と嗣乃の母親は二人の親友であること、三軒並びの家に住んでいること。

 ほぼすべての個人情報がフロンクロスに伝わってしまった。


「へぇ! あの神社の近くに住んでるんだ!」

「髪の毛何もしてないの? トリートメント余ってるのあげよっか?」

「あ、あたし達生徒自治会入るんだけどもう部活決めちゃった? 決めてないなら一緒にどう?」


 嗣乃のマシンガントークが止まらない。


「クリスティニアちゃんって普段どう呼ばれてるの? 友達とかに」

「お、おい! 何聞いてんだよ!」


 いきなり友達に関連するようなところの話題をぶっ込みやがったな!

 それは絶対センシティブな話題だぞ。


「え? 何で食ってかかんの? だってクリスティニアちゃんだとちょっと長いし。あだ名とかなかったの?」


 フロンクロスさんが押し黙ってしまった。


「お、俺は『付き人』って言われてたよ」

「は? いきなり何言ってんの?」


 嗣乃には分かるまい。蔑称の辛さなんて。

 フロンクロスさんは下を向いて口をつぐんでしまった。

 まずい。雰囲気最悪だ。


「よ、よー! こっち!」


 とりあえず、雰囲気を変えたいので陽太郎を呼びつける。

 陽太郎が周囲の女子にごめんと何度も謝りながら近づいてきた。陽太郎を取られた女子達の怒りの視線が痛い。恨みの視線は物理的にも痛い。


「ええと、あの、この三人で『格差タッチ』って呼ばれてたんだ。意味分かる?」

「何言ってんのよあんた?」


 我が一番のトラウマネームだ。

 聞こえたらしい他のクラスメイト達が数名吹き出した。


 もちろん、毎年ローカル局で夏になると弟が車に轢かれ続けるあのアニメだ。

 そろそろ異世界で野球するスピンオフが搭乗しても良いと思うくらいの無限ループだ。


「か、格差……」


 あらやだフロンクロスさんタッチ知ってた。

 明らかに納得した顔してから気を遣おうとしてくれている様だが、情けをかけないでくれ。かえって惨めになる。

 しかし、フロンクロスとの距離は大分縮まった。多分。

 そういうことにしておかないと、俺の犠牲になったメンタルが浮かばれない。 


「ねぇねぇ同じ委員会入ろうよ! つっきなら好きに使っていいから!」

「いいから落ち着け!」


 興奮し過ぎてて支離滅裂だ。

 何勝手なこと言ってんだこのボケは。


「あぁ? こんなかっわいい子の助けになりたいと思わないの!?」

「分かったから静かにしろ!」


 周囲の視線が痛いんだよ。


「はい、全員席つけ。出席番号順に自己紹介タイムするぞー!」


 はぁ、助かった。


 しかし自己紹介ってことは出席番号順、つまり俺からだ。


「じゃ、安佐手君!」

「あ、は、はい!」


 この名字のせいで自己紹介はいつも一番目か二番目だ。

 お陰で覚悟は出来ている。


「あ、安佐手月人です。趣味は……始めたばかりですけど、サイクリングとパソコンです。あと、えっと……生徒自治委員会? に参加する予定です」

「え? 本当に? へぇ」


 交野先生の反応は思った以上に薄かった。世間はブサメンに冷たいな。

 クラスメイトは急に趣味を語ってどうするんだと笑っているような気がしたが、我慢だ。

 どうせ最初の自己紹介がフォーマットになるんだし。


「えと、瀞井陽太郎です」


 陽太郎のターンになった瞬間、女子が静まりかえった。


「趣味は……最近始めたサイクリングで、生徒自治会に参加する予定です」


 クラス中の女子がどよめいた。清々しいほどの反応の差。


「君もかぁ。結構大変だよ? 次お願い」


 お、イケメンに対しても塩対応。俺この先生好き。。

 そしてな行、は行と続き、フロンクロスのターンが回ってきた。


「ク……フ……」

「聞こえねぇからもう少しボリューム上げて」


 フロンクロスの口はぱくぱくと動くが、全く声が出ていなかった。


「ゲホッ! く、くりすてぃ……あ、え、フロンクロス……クリス……」


 やっと俺の周囲に届く程度のボリュームが出たようだ。


「ゲホ!」


 咳で時間稼ぎをしているのだろうか。

 なんとかしないと。

 いや、俺がなんとかしないとって気になるのはおかしいんだけど、思いついたことを実行してみるか。


 フロンクロスのノートに手を伸ばし、本人が書いてみせた『Kristinia』の横に『1』と番号を振り、『Front-Cross』の横に『2』と書き加える。

『趣味はサイクリング』に『3』と書き、『部活未定』の横に『4』と書いた。

 伝わると良いんだけど。


「ゲホ! ……く、クリスティニア……フロンクロスです。し、趣味は、サイクリングです……」


 よし、これで4番目を言っておしまいだ。頑張れ!


「……せ、生徒自治会? 委員会……? に参加する予定です」


 ん? 生徒自治委員会って実は生徒自治会はどっちが正しいんだ?


「ほー! やっと女子来たよ! 明日楽しみにしてるわ!」


 先生の言葉に驚いたのか、フロンクロスの体がびくりと跳ねた。

 もしかして、明日何があるか知らないんじゃないか?


『新歓清掃活動 明日朝7:00正門右手生徒プレハブ前』


 ノートの切れ端に書いてみたが、そこで手が止まった。

 これを見せるべきか、見せないべきか。

 既に知っていて馬鹿にしていると思われるのも嫌だ。


 でも、これで明日フロンクロスが七時に現れなかったら死ぬほど後悔する。

 知っていると突き返される後悔よりもそちらの後悔の方がでかいのは間違いない。


 心臓が張り裂けそうなくらい心臓が早鐘を打っているが、なんとか落ち着かせてノートの切れ端をフロンクロスの机に置いた。

 フロンクロスはまた体をびくりとさせたが、切れ端を受け取ってくれた。

 白い横顔と耳がみるみるゆでダコのように紅潮しているのが分かった。

 肌が白い分、紅潮しているのが目立つのはなんだか可哀想だ。


 俺の机に裏返された切れ端が戻ってきた。

 そこに小さく書いてあった文字で、やっと俺の心臓は少しずつ落ち着きを取り戻した。


『ありがとうございます』


 ああ、伝えて良かった。

『ございます』と付いているところに多少壁は感じるけれど。


「はーい次は……みぎわって読むのかこれ。あ、汀さんちょい待ち。フロンクロスさんと安佐手君なんでそんな耳赤いの?」


 目聡すぎるぞクソ担任!


「何? フラグか? ぶっ建てちまったか!? 第二保健室行っとく!?」


 なんでフラグなんて言葉知ってんだよこの教師!

 第二保健室ってことは第一もあるの? でかいなこの学校!


「あー先生、そこの安佐手は自己紹介一つで心臓マヒ起こし兼ねないコミュ障なんで平気です」


 嗣乃の心ないフォローでクラス中の爆笑を浴びてしまった。

 しかし、俺がいじられたお陰で、フロンクロスさんからターゲットが外れてくれた。

 嗣乃はいずれ感謝を込めて呪ってあげよう。


「先生! 保健室はやっぱり定番だったんすか!?」


 はぁ、このクラスにも品性下劣キャラがいるようだ。


「ふん。勘のいい子供は嫌いだよセンセは。察しのいい大人になりな」


 突然艶かしい言い方をしやがって。


「先生ちなみにオススメスポットは!?」


 冗談が通じると知られるや否や、セクハラ攻撃がエスカレートした。


「は? そりゃぁ聞いちゃいかんて」


 無駄に寛容な教師だな。

 本当に間違いが起きたらどうするんだ。


「先生の経験語ってください!」


 また下劣な質問が飛ぶ。


「そうねぇ……先生の旦那って五歳年上なんよ」


 答えるんかい。


「教育実習生がイケメンだったら逆ナンするしかねーと思わん? だからアホみたいな質問してないで女子にはしっかり媚びときな。じゃ、汀さん大トリ頼んだ」


 逆ナンするしかねえってどういうことだよ。


 微妙な空気の中、嗣乃が話し始めた。


「えと、汀嗣乃です! 趣味は一昨日始めたサイクリングです! 詳しい人がいたら教えてください! 生徒自治会に参加する予定です。ちなみにそこの瀞井陽太郎と顔が赤い安佐手月人は家が三軒続きの兄弟みたいな関係ですので三人まとめてよろしくお願いします!」


 すらすらと何言ってんだよ。


「はーいありがと。あれ? 時間余ったな。歓談!」


 適当な先生だな。

 クラスの役職やら掃除の分担やら決めなくて良いのか?


「ねぇねぇ今度一緒にあそぼ! あたしの番号とかIDとかこれね」

「うお!?」


 いつの間にかフロンクロスに連絡先をせがむ嗣乃がいた。縮地でも会得したのか?


 だが、お陰でアドレス帳に燦然と輝く項目が追加された。

 連絡先だ。女子の連絡先だ。身内以外の。


『フロンクロス クリスティニア』と片仮名で記載されているのは妙な違和感はあるが、女子は女子だ。

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