謎の女と傷病少年と過干渉少女-7
桐花に言われるがまま横になると、眠気が襲ってきた。
でも、目を閉じても眠りに支配されなかった。
陽太郎と嗣乃が遠くへ行ってしまったという事実が、俺を眠気から遠ざけた。
いや、二人はずっと先に進んでいたことに気づかなかっただけか。
俺にはどこにも行くなって言うくせに、俺を置いて先へと行ってしまうのか。脇役って損だな。
脇役は主人公の活躍を口伝てに聴くだけで終わりだ。
そして手を出すなと念を押され、その場に取り残される。
そんな物語の脇役のように一人置いて行かれるのが嫌で、俺はずっと誰か一緒にいてくれと願っていた。
そしてその相手は今、同じ空間に居てくれている桐花だ。
でも、困った。
桐花は女の子だ。
俺と同じ男じゃないから、長時間二人きりで同じ空間に居させる訳にはいかない。
薄目を開けると、桐花が俺の顔をじっと見ていた。
眠いけど、一睡もしたくなかった。もったいなかった。
「……眠れないの?」
「え? う、うん」
「新聞に、教えたいこと書いておいたから、見ておいて」
新聞をめくると、サインペンでびっしりと文字が書かれていた。
嗣乃に見つからないようにこんなカモフラージュを考えてくれたのか。
予算のことは……良かった。
山丹先輩はまだ謝罪工作を初めていなかった。
予算関連については『一年委員長復活まで凍結』と書かれていた。
他にも色々と書いてあるが、どうにも頭に入ってこなかった。
「桐花、帰らなくていいの?」
「家出したもん」
「はい? あ、あのなぁ」
「このおうちの子になる。さっき母上がいいって言ってくれた」
母上、何安請け合いしているんだよ。
「本気じゃなくてもお父さんとお母さん泣くぞ?」
「勝手に泣けばいい。虐待されたもん」
「いたずらを拡大解釈しすぎだろ。というか、俺達の兄弟なんかになっていいのか?」
「お姉さんがいい」
「いや、そうじゃなくて」
桐花の手が俺の頭に乗っかった。
「弟よ」
「風呂入ってないからやめとけよ」
何に影響されているんだ、こいつは。
「髪の毛べたつく」
だから言ってるのに。
「お、俺、風呂入ってくるから、早く嗣乃の家行けよ」
「ここで寝る」
「病人どかせる気か?」
「お姉さんは看病のためにここに布団敷く」
「いやだから男と一緒に寝ようとするなよ」
「弟だもん」
「弟じゃねぇし!」
「どうやったら姉になれるの!?」
「どうやっても無理だよ!」
すげぇ頑固。
「……なら、お姉さんの威厳を見せて嗣乃と仲直りして来いよ」
うわ、すっげぇ睨んでる。
桐花が携帯を取り出して何かを打ち始めた。
「新聞しまって」
「はい?」
誰かが階段を上がってくる音はしないんだけどな。
「起きて、座って」
「え? 嗣乃をここに呼んだのか?」
階段をバタバタと上がってくる音がした。
「つっき! 痛むってどこ!?」
嗣乃が焦った顔で走りこんできた。
その後ろから陽太郎がすぐに追いかけてきていた。
「え!? 桐花?」
なるほど、嗣乃は桐花が来ていたことを知らなかったのか。
「あ、えと、つっきが痛がってるって、よーに聞いたんだけど……」
桐花も策士だな。
陽太郎にメッセージを送って協力させたな。
桐花は俺をベッドの隅へ詰めさせて、隣に座った。
「嗣乃」
桐花がやや鋭い口調で嗣乃を呼び、俺とは反対側をぽんぽんと叩いた。
「え? す、座るの? つっきのの痛いところは……?」
「ここ」
桐花は俺の心臓辺りを指さした。
強引過ぎやしませんか?
「え? ど、どうしたの?」
桐花は陽太郎をにらみつけていた。
「座って、手つないで」
「な、なんで?」
桐花の突飛な行動には慣れてきたが、こんな強引で子供じみた仲直り方法を選ぶとは思わなかった。
桐花が俺の指と指の間に自分の指を差し込み、反対で嗣乃の手も同じように握り締めた。
こういうのは恋人つなぎとか言うんじゃなかったっけ?
「えと、これどういう状態?」
嗣乃の疑問はもっともだ。
「仲直り」
桐花の頭越しに二人と目を見合わせた。
「手! そうじゃない!」
「えぇ!?」
声でかっ!
桐花が陽太郎を怒鳴りつけるなんて珍しい。
嗣乃の手を包む程度に握っているのが気に入らなかったのか。
「こう!」
自分と嗣乃の手をぐいっと見せる。
「えと、こ、こう……?」
何を恥ずかしがっているんだ。
相手は嗣乃だぞ。
いや、多少照れてくれないと困るか。
俺は俺で桐花にぐっと手を握られているのに、どうしてドキっともしないんだろう。
「き、桐花、この状態でどうすんだ……?」
満足そうな顔で黙ってしまった桐花に質問するが、返事はなかった。
「き、桐花?」
桐花が俺を睨み付けてから、嗣乃と陽太郎の方を向いた。
あぁ、やっと分かった。
「……つっき、何も言ってなくて、ごめん」
先に察したらしい陽太郎が謝罪の口火を切った。
「いいから早く終わらせろよ?」
「う、うん」
その程度の返事で十分だ。
陽太郎は滅多なことでは約束を違えない。
「嗣乃、身内が何日か寝込んだくらいで大げさに騒ぐな」
「ご、ごめん」
嗣乃の愛情の深さは良いところではあるんだけど、嗣乃自身を苦しめてしまう厄介な感情だ。
「き、桐花、ごめん……帰れとか、言っちゃって……」
嗣乃の目からポタポタと涙が零れた。
「ごめんなさい」
桐花も謝った。
お姉さんを演じているつもりなのか、努めて気丈に振る舞う横顔は見ていて面白い。
「えと、いつまでこうしてればいいの?」
桐花が俺の方を向いた。
「ずっと」
満足気だなぁ。
俺もそう思ってたから、いいや。
でも、そろそろ意識が保てなくなってきた。
桐花に触れていると、なぜか眠気に襲われてしまう。
俺も二人に悪い態度を取ってしまったことを謝りたいのに。
「大丈夫?」
「あ……ごめん」
首が座らなくなってきて、桐花の頭に自分の頭を軽くぶつけてしまった。
三人が立ち上がって、俺の体をベッドに横たえてくれているのは分かった。
「あ……あぅ」
俺の手から桐花の手が離れてしまったのが、堪らなく嫌だと感じてしまった。
何とか片手を上げて桐花の手を探しても、何も触れることはなかった。
「桐花、お風呂一緒に入ろ」
何で。
桐花はここに布団を敷いて寝るんじゃなかったのか?
いや、そんなことをするなと言ったのは自分だったっけ。
「おやすみなさい」
俺の手に求めていたものが重なった。
小さくて冷たい桐花の手だ。
この手にさえ触れていれば、満足だった。
後は、眠気に総てを委ねるだけで良かった。
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