謎の女と傷病少年と過干渉少女-6

 結構、長く話していたんだな。

 外は暗くなり始めていた。


 自分のあずかり知らないところで、陽太郎と嗣乃が暗躍の限りを尽くしていた。

 しかも、小説のように危険な事件に巻き込まれていた。


 俺はそこに参加することは許されなかった。

 白馬のお陰で陽太郎達に怒りをぶつけずには済みそうだが、一人になる時間が必要だった。


 ドアには『入るな』という紙を貼って、開かないようにレバー型のドアノブに椅子の背もたれを引っかけた。


 でも、階下から立ちこめる甘い香りが食欲を刺激するのは困った。

 しかも廊下の外が騒がしかった。

 何度も階段を上がっては降りる音が聞こえた。


 コンコンとノックされる音がして、ドアノブのレバーが動いた。

 もちろんレバーが椅子の背もたれにぶつかって下がりきらなかった。


 スリッパの音が下へと降りていき、すぐに戻ってきた。

『食事』と書かれた紙がドアの下から差し入れられた。

 食べ物を置いていってくれたらしい。

 スリッパの音が遠ざかるのを確認してから、ドアを開けた瞬間だった。


「うわぁ!?」


 ドアの隙間から足を突っ込まれて、そのまま開け放たれた。


「き、桐花!?」

「ご飯できたから持ってきた。ベッド畳んで」

「は……はい」


 素直に従う他なかった。


「な、何これ?」


 白いシチューが米にかけられた食べ物と、小さなテーブルが運び込まれた。

 匂いはかなり甘いが、わずかにカレーのような匂いがした。


「え? あの……?」

「瀞井君が下にいるから、ここで食べて。一緒に食べるから」


 辿々しいとはいえ、桐花が長文で話していた。

 俺には単語で話すことが多かったのに。


「これ、何?」


 桐花の違和感はさておき、この謎の食い物が気になってしまう。


「これは、お父さんのお土産のココナッツカレー。タイに行ってたから、そのお土産」

「へ? お父さんタイに行ってたの?」

「会社のファブ……工場があるから、そこに出張してた」

「そ、そう……いただきます」


 匂いは甘いのにかなり辛かった。

 でも、癖になる味だ。


「あ、美味しいね、これ」


 そうだ、食べ物の感想よりも伝えたいことがたくさんあった。

 正面切って伝えるのは恥ずかしいけれど。


「あの、桐花、ずっと言えなくてごめん。迷惑かけて」


 桐花がスプーンを持ったまま、俺の方を見ていた。


「あ、あの、助けてくれてありがとう」


 ひどい棒読みだ。

 なんでこんなに恥ずかしがる必要があるんだ。


「返事なくて、すごく心配した。チャットの返事も、メールも返信なくて」

「え? あぁ、ごめん。携帯没収されてて」


 桐花に何も伝えられなくて困っていたのは俺も一緒だ。


「分かってるから、迷惑はかかってない」

「いや、かかってないことはないだろ。全然仕事できてないし」


 桐花のスプーンが止まった。


「相手が迷惑に思わなかったら迷惑じゃないって言ったくせに」

「は? あぁ、そうね、そうだった」


 そういえば、そんな無茶苦茶なことを言ったかも。

 長文を話す桐花には慣れない。

 たった数日の間に何かあったのか?


 やっと桐花が一口目を口に入れた。

 甘い匂いを裏切る辛さだけど、大丈夫なんだろうか。


「う……!」


 やっぱり言えばよかった。

 辛いのは苦手だったか。


「あの、あの日は、チャットに、帰らせたって、送られてきて、でも、絶対、どこかに隠れてそうだから、見つけて帰らせようと、思っ……!」


 ああ、そこまで読んでいたのか。

 俺の行動なんて予想済みか。


「ずっと、探し回って……!」


 桐花は急に立ち上がって、下の階へと駆け下りていった。

 辛さに耐えられなかったか。

 母上と陽太郎の笑い声に包まれつつ、紙パックの飲むヨーグルトを二つ持ってきてくれた。


「……自治会室で見つけて、ゲホッ!」


 何事もなかったかのように話を再開するのか。

 そこまで必死に探し出してくれたと思うと、涙が出そうになってしまった。

 涙が出るほど辛いカレーで良かった。


 無言で汗まみれになりながらカレーをなんとか平らげ、一息ついた。


「はぁ……はぁ……」


 桐花の息が荒い。こんなことに根性使わなくても良いと思うんだけど。


「俺の飲み物残ってるから、ストロー替えて……」


 ストローを替えて飲んでもいいよと言う前に、桐花は俺の飲み物を奪い取って吸い尽くしていた。

 間接どうのは気にしないタイプか。


 勢いそのままに携帯を取り出すと、誰かに電話をかけ始めた。


「Just shut up and listen!(黙って聴け!)」


 うお!? でかい声で何いってんだ。


「I told you! One more joke and you’ll never see me again! Ever!」


 そしてぎゃーぎゃー何かを一方的に話してから切ってしまった。

 電話の向こうから桐花のお父さんらしき高笑いが聞こえた。お父さんはなかなかのいたずらっ子らしい。


「な、なんて言ったの?」

「また嫌がらせしたら親子の縁切るって言ったのに……辛いの苦手なのに、いつも辛くなさそうで辛いもの買ってくる」


 なるほど。

 桐花は辛いものは苦手なのか。


「桐花の好きな物って、何?」


 桐花は皿とトレイを重ねつつ、考え込んでしまった。


「好きなものはいっぱいあるけど……納豆は嫌い」


 へぇ、ちょっと欧米人っぽい。


「今、外人っぽいって思った」

「え? あぁ……うん。ごめん」


 鋭いなぁ。

 桐花は手早く食器が乗っかったトレイやらテーブルやらを廊下に出すと、ベッドを広げて枕を置いた。

 そして、自分は座布団に座り直した。


「ちゃんとベッドで寝て」


 あれ?

 食べ物の話はもう終わりか。


「あ、ありがとう。でも、あんまり眠くないんだけど」

「ちゃんと寝て。あとで起こすから」


 トントンと、階段を登ってくる音がした。


「嗣乃は今、自分の部屋にいるから」


 陽太郎の声だ。


「ど、どういう意味だよ?」

「察してよ。向井がつっきの部屋にタブレット持って行こうとしただけで嗣乃が追い返しちゃってさ……今はあんまり刺激したくないんだよ。向井、もうすぐ嗣乃が来るかもしれないから気をつけて」


 陽太郎はそう言い残すと、ちゃぶ台を抱えて階段を降りて行ってしまった。


「嗣乃と喧嘩したの?」

「……追い出された。タブレットとか、書類持って行こうとしたら、すごく怒られて、泣かれて」


 はぁ、それでここに来られなかったのか。

 そしてその喧嘩は今も続いていると。


 ベッドに腰掛けた俺の隣に、桐花が座った。

 桐花とこうしているのは当たり前な気がしてしまうのはどうしてだろう。


「えと、最近、変わったこととかあったの?」

「……何が?」

「いや、そりゃ、桐花がなんか変わったように見えるから聞きたいんだけど」


 長文桐花への変貌の理由を知りたかった。

 桐花はこちらをじっと見ていた。


「な、なんだよ?」

「学祭の話は、しなくていいの?」


 あ、そうか。

 嗣乃が近くにいない間にその話をしておいた方が良いかもしれないけど、今は桐花がどうしてるかの方が気になった。


「先に桐花の話を聞いてもいいだろ。なんか、今日はたくさん話してくれるし」


 桐花の顔が下を向いてしまった。


「……カウンセリング、受けてる」

「か、カウンセリングって、メンタルとかの?」

「……教頭先生に、しゃべれなくなるの、気付かれて。お父さんの友達に紹介された所に、通うことになった。良くなるからって」

「そ、そっか。もう結構しゃべれてるな」


 少しだけ、桐花を遠く感じてしまった。

 桐花には変わらずにいてくれることでも期待していたのか?

 しゃべれないことの克服を頑張って欲しいのに、あまり肯定的な気分になれなかった。


「授業はどう?」

「授業? 学校の?」


 曖昧な質問になってしまった。


「当てられたけど、大丈夫だった」


 俺は多分、自分を必要とされたくてこんな変な質問をしてしまったんだろう。


「ごめん」

「なんで?」

「いや、なんて言うか、授業中、桐花のこと邪魔してる気がして」


 桐花の口が少し開いてから、すぐに閉じた。


「……誰かに役に立ってるって、言わせたくなったの?」

「う、うん」


 よく覚えてるな。その通りだよ。

 もう桐花について聞くのはこれくらいにしないと、自分が許せなくなりそうだ。

 少しの沈黙の後、桐花は背中に手を突っ込んで何かを取り出した。


「新聞?」


 渡されたのはローカル新聞だった。


「スポーツのところ」


 その理由はすぐ分かった。

 大きめのカラー写真に、十数名の女子バスケ部員が写っていた。

 このローカル新聞が主催する中学生高校生の秋季スポーツ大会で、通称『新聞杯』と呼ばれている大会だ。


 大きなトロフィーを抱えた人物は女子バスケ部の部長さんだ。

 バスケットボール部員は、全員真っ黒く日焼けしていた。

 あんな提案でも、少しは役に立つこともあるのか。

 俺の外コートで練習しようなんていう無茶な案を受け入れてくれていた。


「これで役に立ってなかったら、自治会全員役に立ってない」

「う、うん」


 なんだか恥ずかしくて、受け入れにくかった。


「横になって。疲れてるから、いい方に考えられないんだと思う。ひどい顔してる」

「ん? 顔は普段から……ごめん」


 碧眼の睨みは相変わらずとても怖かった。

 でも、俺の発言で感情を動かしてくれることがなぜか嬉しかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る