第二十九話 和平交渉――卑屈少年、卑屈を貫き通す

和平交渉――卑屈少年、卑屈を貫き通す-1

 久々の当校だというのに、鬱陶しい小雨が降っていた。


 教室でも自治会室でもえらい歓迎を受けてしまった。

 要職に就くのも悪くないなもんだ。


「月人君、体調はどう?」


 自治会室でパソコンをいじる山丹先輩は可愛いなぁ。

 アンダーフレームの眼鏡と一房だけの三つ編みスタイルは山丹先輩にこそ合う。


「おーい、大丈夫?」

「あ、はい! 大丈夫です!」


 やばい、横目で見惚れてしまった。


「何? 相変わらずちっちゃいなー! 器も考えもちっちゃいなー! って思った?」

「は、はい? 思いませんよ」


 絡むなぁ。

 山丹先輩は笹井本会長氏が見舞いに来たことを知っていた。

 俺に過去を知られたことを根に持っているのかな?


「ノート!」

「ご、ごめん」


 正面の席に座った桐花姉さんが、休んでいる間のノートを写せとうるさい。

 長文モードはどこへ消えたんだ。


「やっほーつっきー。すっきりした顔してるねぇ!」


 多江の独特なのんびりした声に癒やされる。


「リフレッシュしたばっかりなのに暗い話で悪いんだけどさぁ、こっちもみなっちゃん止めるの大変だったんだよ? 感謝しろよー?」


 いつものノリでニカニカ笑いながら接してくれるのは思った以上に嬉しいな。


「うっさい! 先輩の顔を少しは立てなさいよキャラ被り!」

「えぇー! 何それ!?」


 キャラ被りなんて煽り言葉を始めて聞いた。

 似ているのは背格好だけで、性格はかなり違うのに。


「今日はゆっくりしててね。どうせこれから休めなくなるんだから」


 包容力も山丹先輩の方が断然上だ。


「ふひひー。みなっちゃんずっと心配してたんだよぉ? 自分の責任だとかすげーパニクっててさぁ……あいてぇ!」


 山丹先輩の可愛い手刀が多江の頭を強襲していた。


「いいから仕事しなさいよ実行委員会!」

「めっちゃしてるし!」


 ぎゃーぎゃー言い合いつつ、二人とも仕事に戻って行った。仲良いな。

 俺にもできる仕事はないもんか。


 脇目を振ると、桐花姉さんが早くノートを写せと言わんばかりに睨み付けてくるのでどうにもならなかった。

 桐花自身は何の仕事しているんだろう?


「桐花、今何してるの?」

「早くノート写して」

「気になって集中できない」

「出し物やる部活と委員会の、練習場所とかの時間割り当て」


 お姉さんモードの桐花はわがままめいたことを言うと、こちらの求めに応じてくれるので助かる。


「演劇部から練習時間増やす申請来てない?」

「……来てる」


 急にふて腐れたような態度になったな。


「叶えてやれないの?」

「シナリオで揉めてるから、会議室貸してる」


 なるほど、話し合いの場か。

 確かにシナリオを話し合うのにホールを貸していたら無駄だ。


「それ通常予算じゃない!」


 桐花が突然刺々しい声を出した。桐花の隣でパソコンを開けた陽太郎に向けてだ。


「え? どれ?」

「服飾デザイン科の生徒は合同企画のために来るから、交通費も全部合同企画予算!」


 どうしたんだ桐花は。

 そんなの後からいくらでも直せるのに。


「お前なんかよーにキツくないか?」


 朝からというか、昨日の夜からずっと陽太郎に対して刺々しい気がする。


「一番近くにいるのに、助け求めてきた」

「へ……?」

「部屋にこもって出てこないから、来てくれって」

「俺が?」


 視線を移すと、陽太郎が俺の視線に気付かないふりをしているのがすぐ分かった。


「嗣乃に怒られて、行きづらいのに」


 それで不機嫌が続いているのか。

 しかし、昨日の桐花の剣幕はすごかった。

 強引に俺の部屋のバリケードをこじ開け、俺達の仲を修復しつつ自分も嗣乃と仲直りしてしまった。


「お前、それで自分がお姉さんになるって言い出したの?」


 力強く頷かれた。

 短絡的過ぎやしないか。


「ぷっくく……!」


 うわ、もう知れ渡っているのかな?

 多江が笑いをこらえてやがる。


「早くノート写す! 分からないところは質問して!」

「え? あ、はい」


 はぁ、嗣乃がもう一人増えた気分だ。一人でも多過ぎるのに。


「ただいまー! 桐花ぁーー!」


 嗣乃の猫撫で声が気持ち悪い。

 自治会室に入ってくるなり、桐花にべったり抱きつくとは。

 複雑な顔で嗣乃の頭を撫でる桐花が面白い。


「ああーなにそれ!? あたしも!」


 多江まで何してんだよ。


「み、みんな仕事して!」


 あまり通る声ではないが、精一杯の声で桐花が雷を落とした。

 自分が設定した姉キャラに段々限界が来ているのが微笑ましい。


「はぁ、ありがとう」


 ノート写しがやっと終わった。

 写真で済まそうにも、分からない部分が多すぎて質問しながら写す他ないのが面倒だった。


 だけど、目先の面倒臭さに負けて手を抜く訳にもいかなかった。

 学園祭が終れば中間テストまで二週間前。

 しかも範囲激広というひどいスケジュールが待っている。


「終わったら休んでて」


 嗣乃を引き剥がそうと苦労しつつ、桐花が言う。


「え? は、はい」


 今日の桐花にはどうにも抗い難かった。


「ん? 服飾デザイン科? 専門学校みたい学科だな」


 会計処理表の学科らしき名前が目に止まった。

 先ほど交通費をどうするかと言っていた学科だ。


「うん。さすがお嬢様学校って感じだよ」


 すげぇな。

 セレブの妻でも育てようってのかな?

 こんな田舎で。


「服飾デザインって何するんだろ?」

「服のデザイナーになるための勉強よ。入った生徒全員がデザイナー目指す訳じゃないけど」


 陽太郎の代わりに山丹先輩が答えてくれた。

 そういえば山丹先輩は服屋の娘なのに行かなかったのかな?


「陽太郎君も月人君も分かりやすいよね。うちの店は上の弟が継ぐからよ」

「え? あ、すいません」


 やっぱり分かりやすいのかな。

 でも、瀬野川には表情をもっと出せとも言われたような。


「……ふわぁ」


 桐花だけピリピリしているが、全体的に穏やかな空気だった。

 いや、普段からもこんな空気だったかもしれない。


 俺は一人で熱血キャラの真似事でもしていたのかな。

 全員に、とりわけ嗣乃に辛い思いをさせてしまった。

 申し訳ないことをしたけれど、倒れたのは良いタイミングだったのかもしれない。


「おぅえ! と、杜太!?」


 なんで口に指入れるんだこいつは。


「いえーい! 初めて月人にやり返したぁ!」


 ぐぬぬ。

 杜太の半開きの口に指を突っ込みたくなるのは俺の危険な性癖だ。

 まさかやり返されるとは。


「男子の実行委員会は終わったのか? なんか提案あったの?」

「男子からはないけどぉ、女子からはトイレ増やして欲しいって」


 実行委員会は男女に別れて会議をすることがある。

 やはり男子と女子は生じる問題は違う。

 学園祭期間中は男子トイレの半分以上は女子トイレに転換される。

 更に一部休憩所では乳幼児連れ専用も用意されるのだが、これらのアイディアは男女別で委員会を開催したことで生まれたアイディアだそうだ。


 しかし、男子は女子より多くの時間をかけたのに提案はゼロか。

 女子は早々に会議を終えて多江は自治会室にいるってのに。


「各階の第二トイレは全部女子用にしておいてぇ、駐輪場近くと駐車場の仮設トイレはいつも混んじゃうから増やすって。あと、部活棟も四階と一階以外は全部女子にしてぇ」

「へぇ。仮設トイレって一基当たりいくらすんだ?」

「へ? ええとぉ」


 何気なく質問したつもりだった。

 杜太が懸命に携帯の画面をスワイプしているが、答えにたどり着けないらしい。

 これ、まずくないか?

 どうして誰も仮設トイレの金額把握してないんだ?


「よ、よー! 仮設トイレの発注は!?」

「え!?」


 ドキュメント検索をかける陽太郎の瞳孔がみるみる開いていく。


「な、ない! してない!」


 まだ抜けがあるか。


「はいはい落ち着いて。まだ時間はあるから」


 山丹先輩の声に全員の動きがスローダウンした。


「至急の用事がない人は発注に抜けがないかチェックして! 多江と杜太君は実行委員会の二、三年生に連絡して何台欲しいか結論出して! 去年より減らさないこと! 陽太郎君と嗣乃は去年と同数で仮発注!」


 一気に騒がしくなり始めた。

 よし、仕事だ。


「一年委員長は休憩を継続。よろしくね」


 えぇー。

 山丹先輩、そんな可愛い笑顔で言われても。

 しかし、それで終わりではなかった。

 山丹先輩が携帯を操作していた。


 携帯が震えた。


『おちつかない?』


 山丹先輩からのチャットだった。

 やっぱり俺の思考って読まれてるのかな?

 怖くなってきた。


『はい』


 と返すと、桐花の視線が刺さった。

 誰と会話しているのか察したらしい。


『さんぽしよう』


 雨の中をか。

 何か話したいってことだろう。


 立ち上がると、案の定桐花がこちらを睨みつけてきた。


「ちょっと散歩。人の多いところ行くから大丈夫だよ」


 山丹先輩と旗沼先輩が立ち上がり、出入り口へと進む。


「ちょっと職員室行ってくるね」


 皆に山丹先輩がそう宣言してから、自治会室のドアを開けた。


 無言で桐花も立ち上がり、山丹先輩に何かを言ってからビニ傘を一本掴んだ。

 どうやら同行許可が出たようだ。

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