大切なものは目の前よりももっと近い場所にある-3
こんないい加減な寒風攻め作戦に、たくさんの人間が動き始めた。
体育館の脇に投げてある参加者達のコートや防寒具の類いは、隅っこのわかりにくい場所へと追いやって山にしてやった。
何人かが気づいて不平を言っていたが、それは瀬野川に追い払わせた。
爆音の中、暖房が切られたのに誰も気付いていないようだった。
教頭先生経由で呼び出された教職員達が、ほぼ全ての排煙窓の開閉ハンドル前に待機が完了していた。
演奏に旗沼先輩の声が割り込む。
「明日の利用のために空気の入れ換えを行います。声は小さめにお願いします」
「ハァー!?」という声が上がったが、そこまでだった。
曲が途切れた瞬間、依子先生の手が上がった。
体育館の窓という窓と、扉という扉が開放された。
恐ろしいほど冷たい風が吹き込み、汗だくの生徒達の体を冷やした。
一歩間違えば、教職員ぐるみの暴力行為ともいえる光景だった。
いや、違う。
単なる空気の入れ換えだ。
それ以上の意味なんてない。
「ヒョーー! さっみいい!」
コスプレの上からベンチコートを着ただけの条辺先輩は本当に寒そうだった。
それでも必死に扉という扉を開けまくっていた。
俺もそれを手伝ってどんどん扉を開け放っていく。
体育館内が一気に冷え、ワーワーギャーギャーと三年生達が叫んでいた。
外気温はほぼ零下だ。
そしてこの高校は丘の上だから、気温は殊更低い。
寒さに閉口した生徒達は一人また一人と、隅っこに積み上げられた山から必死に自分のコートを探していた。
目論見通り、ほとんどの生徒は着る前に体が冷え切ってしまったようだ。
一人一人ガタガタと震えながら、校舎へ走って逃げていった。
客席に集結した教師達の怒りを買ってしまったという事実も効いているんだろう。
「……大丈夫?」
桐花に心配されるのは何度目だろう。
「浮かねぇ顔だな。オメーの作戦大成功だぞ? 喜べよ!」
笑顔の依子先生に頭を軽く叩かれたが、全然嬉しくなかった。
「……何を喜べばいいんですか?」
「ハァ?」
俺のしていることってなんだ。
目の前に降り掛かった火の粉を必死に振り払うだけで、その火の粉の元を断つようなことなんて一切できやしない。
しかも人を傷つけて、憎しみを広げるようなやり方ばかりだ。
「あいだぁ!」
考え込んでいると、依子先生に頭を強く叩かれた。
「何考え込んでんだよ! 少しは誇れよ! 喜べよ!」
うるさいなぁ、この人は。
「三年の先輩達の楽しいことしようって計画を力尽くで解決するなんて、何を喜べばいいんですか!」
つい声を荒げてしまったが、依子先生には大きな溜息を吐かれてしまっただけだった。
「一年委員長テメェ、ルール破って何が楽しいだ、バーカ!」
依子先生をキレさせるのは何度目だ。
「つっきーよぅ、オメーはたまーにルール破るけどよ、誰も損してねーんだ。むしろ得してんだわ。でも、今後ルール違反はルールを改めてからやれ」
確かに、良かれと思ってやったルール違反は多い。
でもそれは、今盛り上がっていた三年生も同じじゃないのか。
「いっで! な、なんですか!?」
前髪を思いっきり掴まれ、頭を横に向けられた。
「まだ分かってねーな? おい、アイツらを見ろ。あと数分止めるのが遅れたら近隣への騒音被害でこの学校は一切鳴り物が使えなくなったんだぞ。テメーの快楽のために学校運営自体危険に晒したクソ馬鹿共は制裁されなきゃいけねーんだよ! 分かんねーのか!?」
寒風が吹きすさぶ体育館の中、舞台上で逃げ惑う三年生が教職員に捕らえられていた。
逃げおおせた協力者達も既に先生方が状況を撮影していたので、逃れることはできない。
「だ、だから! それは分かるんですけど」
「この際だから教えておいてやるよつっきー。金髪……じゃなくなった桐花も聞け。二年生にも三年生にもふざけたマネをした奴はどうなるか通達済みなんだよ。部活動停止、大学推薦資格剥奪だ。代わりに推薦要件満たしてる生徒なんてたんまりいるんだ、この高校にはよぅ」
県立高校としては出席停止の次に重い処分だ。
「オメーはあの馬鹿共を止めて今年と未来の学園祭を守ったんだよ! オメーは正しい側なんだよ! バカを見るのが正直者でいいわけねーだろ! 善悪の判断もつかねーバカがバカを見ねーと世の中おかしいだろ! い、以上! ち、ちょっと、二人ともこっち来い」
他の先生方が依子先生に微笑ましい視線を向けていた。
熱血な部分を見られて恥ずかしそうだ。
依子先生の後を追って体育館を出ると、模擬店が立ち並ぶ校庭は一夜で人が消えてしまった街のように見えた。
「寒いとこ悪いけど、ちょっと聞け」
吹きすさぶ風に負けるか負けないかくらいの声だった。
「よたろーとつぐは、大丈夫になった。正確には今しがた大丈夫になった。オメーらにウソついた。ごめん」
「は、はぁ!?」
思わず食って掛かろうとしたが、桐花に腕を取られてしまった。
「でも、何があったかは教えてやれねぇ。まぁ、例の女子サッカー部連中に関連することさ」
「た、多江が言ってた取り巻きが何するか分からないっていう話ですか?」
「そっちはまだ継続中だ。でも、よたろーと嗣乃のことはもう終わったから気にするな。兄妹で学園祭守ってくれちまってさ。アタシはアンタらが初めての担当生徒で鼻がたけーよ」
何が守っただ。
また陽太郎に差をつけられたらしい。
どうして俺が委員長なんだ。
「俺は降りかかってきたもんに対処しただけじゃないですか。よーと嗣乃は……」
「だけって言うなよぉーー!!」
心底辛そうな声で依子先生が叫んだ。
「アタシが、教師全員情けなくなっちまうだろうがよ……つっきー、ちょっと彼女借りるわ」
依子先生が、力なく桐花に抱きついた。
「大丈夫、ですか?」
「結構体重かけてんのにパワーあるなぁ。髪の毛くせぇけど」
桐花はよろけもせず、依子先生の体を抱き留めていた。
「この仕事さ、きっついんだよ。教師にも生徒にも近隣住民の皆様にまでいい顔してよぅ。何年もこのクソみたいな延長ゲリラライブ問題解決できなくてさ……今年は完璧に防げたと思ったら、楽器を即行片付けるはずだった軽音部が裏切りやがって。それをクソ簡単に解決してくれたんだぞお前は。しかも来年も再来年も使える手段で」
褒められるのは嬉しいけど、もっと良い手段はあるはずだ。
「い、いや、でも、あのままやらせておいて、近隣住民を再度説得するってのもできたと思うんですけど」
「だーから、毎年それだったんだよ! 法的手続きってヤツを食らうとこだったのさ! あーもう安心したよぉ! う! くっさ! ヘアカラーくさっ!」
依子先生は桐花を離してこちらを向いた。
どろどろに溶けたマスカラが暗い中でも分かった。
「つっきーよぅ、どーせもっと時間があればいい考えがあったかもしれないなんて考えてんだろ? そいつはちげーよ。お前が考えた作戦は最高の作戦だ。今考えた作戦じゃねーし」
「は、はい?」
いや、今考えた作戦だよ。
俺はエスパーだと思われてるのか?
「ずぅーっと考えてきたんだろ? よたろーのため、嗣乃のためってさ。オメーはずっと自分にできる最大限のことを考えて考えて考えてきたから、目の前に転がってきた問題の答えをすぐに引っ張り出せるのさ」
依子先生の言葉を、どう受け止めて良いか分からなかった。
いつも後ろ向きで自分の思考に埋没していた俺は、間違っていなかったのかな。
「い、いや、だ、だって、他にもっといい手段があったかもしれないのに……」
「桐花、お前のカレシ卑屈過ぎるぞ?」
暗い中でも桐花の眼が大きく見開かれているのは簡単に分かった。
「ブハハ! 予想通りの反応!」
桐花で遊ぶなよクソ担任。
「つっきーよぅ、もっといい手段なんてねぇよ。思い浮かばないことは無いってことなんだよ。でもまぁ、そうやって考え続けるのはつっきーのいいところさ。考え続けろよ。オメーには考え過ぎっていう言葉は当てはまらねぇ」
依子先生の声が、段々優しくなっていく。
「でも、一人になるなよ? さっきの作戦だって、お前を支持してくれる奴がいたから実行できたんだ。同じようなことを考えたヤツはいるかもしれないよ。でも実行されなかったら思いつかなかったのと一緒だよ。つっきーの横にはつっきーの考えを真に受けてくれるヤツがいるんだよ。そのことも忘れるなよ……忘れるわけねぇか」
依子先生の両手が桐花の顔を挟み込んだ。
「……つっきーを一人にしないでくれよ。結構大変だとは思うぜ。そしたら誰も見てねーところでイチャつくくらい許してやるからよ。あー……あともう一つ、正直に何したか事細かに報告しなくていいからな。自慢されたって受け取るぞ」
桐花さんまじで報告したの!?
どこまで知られたのか怖いんですけど。
「じゃ、お前ら早く寝ろよ。寒っ!」
依子先生はそのまま捕り物の手伝いに加わってしまった。
桐花と眼が合う。
お互い言葉を発することもなく、ただ見つめ合うしか無かった。
自治会室へと歩みを進めると、桐花も付いて来てくれた。
これも桐花と俺にとっては立派な会話だ。
もう少しだけ、二人でいたいという気持ちは多分、伝わった。
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