大切なものは目の前よりももっと近い場所にある-2
『盛り上がり足りてねぇよなぁ! お前らぁ!』
体育館を満たす生徒達が、叫び声でMCの煽りに応じていた。
あまりにも現実味がないことが起きているからか、盛り上がる体育館の空気にまるで付いていけなかった。
でも、仕事に支障はなかった。
手書きの「警備」という腕章を巻き、統率の取れた暴れ方をする集団を隅っこでただ眺めるだけで良かった。
桐花は山丹先輩によって、大人数の女子の出し物の手伝いに連れて行かれてしまった。
でも、それは却って良かった。
今の俺は桐花と肩が触れあうだけで、おかしな感情が渦巻いて腰から下が公序良俗に反しそうになってしまう。
「「YEAAAH!」」
アイドル風の衣装を身にまとった女子が大挙して舞台上に走り込んで来た。
数え切れない人数が、一糸乱れぬダンスを披露していた。
「うへぇ……すげぇ」
俺の横で年寄り臭い感嘆の声を上げたのは、本日の警備隊長である瀬野川だった。
やけにモッサリしているなと思ったら、普段短めにしている制服のスカートが膝丈になっていた。
「はーいそこの線から出ないでねー」
「瀬野川! それじゃ聞こえないって」
「うぇーい」
何だその返事は。
「瀬野川、ちゃんと声張れよ」
「あーん委員長こわーい」
本当にどうしたんだ。
「どうしたんだよ? 悩みごとでも……ひっ!」
瀬野川の睨みはほぼ物理攻撃だということを自覚して欲しいな。
「オメーの妹のことに決まってんだろがボケェ!」
怖っ!
周囲の生徒まで引かせてどうするんだ。
しかし瀬野川の中でも嗣乃は俺の妹に設定なのか。
ちょっと嬉しいな。
「何の心配だよ?」
「うるせぇ!」
取り付く島もないな。
嗣乃が心配なのは分かるが、もう少し冷静になってくれ。
「うわ、すげぇ」
曲がサビに入ると、アイドルっぽい格好の連中が舞台から床に降りて踊り出した。
人数はどんどん増えて、百人はいそうだった。
「あんだこれ? 多すぎだろ」
隠れ陰キャの瀬野川はあまりお気に召さないらしい。
曲が終わって、全員がポーズを取った。
携帯のシャッター音がバシャバシャと鳴り響いた。
『ッシャー、テメェラァ! こっからはアタシがMCじゃ!』
クロージングイベントのMCを務めるのは条辺先輩らしい。
「な、なんだあれ?」
やたら気合入ったコスプレをしていた。
バットなんか持っているし。
「あ? ハーレイなんちゃら知らねーの? ほら、悪役ばっかの映画」
ああ、スーサイドなんとかのヒロインか。
『オメーラがいちいち時間かけるせいでタイムテーブルめっちゃくちゃだぞ! 閉会の時間だクォラァ!』
なんだかんだで超人的だな、条辺先輩も。
忙しく動き回っていたのにMCまでこなすとは。
『設置おっせーんだよ! んな太鼓くらいどこでもいーだろ!』
世界中のドラマーを敵に回すようなことを。
条辺先輩の背後では、スタッフがばたばたとドラムセットを調整していた。
「あれ? クロージングイベントは先生方の挨拶が先じゃなかったか?」
「あぁ、校長が『体調不良』で来てねーんだよ……あ、電話」
そうか。
校長先生も可哀想に。
県議会議員に圧力をかけられて、それが白日の下に晒されてしまって。
「依ちゃん? あぁ、横にいるけど。なんで直でつっきーにかけねーの?」
依子先生か。
まずい、携帯の電池は切れたままだった。
「おい、依ちゃんブチキレてんぞ。携帯の電源入れろよ」
「ごめん、電池切れた」
「謹慎中にエロ動画見過ぎだろ」
「見てねぇよ!」
「隠さなくてもいいって。男のインフラなんだしよ。なっちも見てるし」
理解あり過ぎだろ。
桐花はどうなんだろうな。
悩むだけ無駄か……絶対不寛容だ。
エロゲはどう隠れてやろうかなぁ。
いや、卒業すべきなのか?
せっかく交野さんがどんどん貸してくれそうなのにそれは難しいぞ。
「んなこたいいからテメェ何した? 桐花がどうの言ってんぞ?」
桐花さん、もしかしてもう依子先生に色々ゲロったの?
「いや、その、」
次の瞬間、ギターの爆音で会話が途切れた。
『さぁ、実行委員会と生徒自治委員会から、感謝のイケメン乱舞だ! 一人以外』
条辺先輩が高らかに宣言した。
なんだ、イケメン乱舞って。
ステージ上には軽音楽部の男子チームの演奏に、三人の見目麗しい男子がマイクを持って並んでいた。
まったく。
いつの間にこんなチーム結成していたんだか。
笹井本マコト氏に白馬、そして何故か宜野。
更に何人かがその後ろに並んでいた。
『クロージングイベント、最後まで楽しんでください』
白馬の一声で演奏が始まり、白馬の中性的な高い声が響いた。
ほえぇ、洋楽とは恐れ入った。
あの激務の中でよく練習時間を捻出したもんだ。
宜野の中音域と笹井本部長の低音域が、白馬の声に混ざり合った。
浮き足立っていた気分が、すっと落ち着いてしまった。
あの舞台の上は遠いな。
俺にとって身近な存在である白馬有光が生徒達を盛り立て、笹井本マコト氏はダンス部のメンバーと共に見事なステップを決めていた。
宜野は圧倒的な声量を披露していた。
心底楽しそうな笑顔で声を張り上げていた。
あぁ、勝てないなぁ。
もし俺が宜野と同じ土俵に立ったら、どうなるかな。
勝負になんてならないな。
「「ありがとうございました!」」
白馬歌唱隊(仮)の歌が終わり、俺達生徒自治委員会を含む学園祭実行委員会の面々は舞台へと上がった。
ホールの舞台とはまるで違う光景だった。
舞台の下にいる生徒達の顔がはっきりと見える。
それだけで、足がすくんだ。
せっかく自治会に入ったのだから、旗沼先輩みたいに舞台上で淀みなく話せるようになりたいなんて思っていた。
でも、現状は何も進歩していなかった。
旗沼先輩がマイクを持った。
『明日からの学園祭、事故やケガのないよう気をつけて楽しみましょう。では、三年生からご退場ください』
旗沼先輩が閉会を宣言したが、興奮冷めやらぬ生徒達は解散に応じてくれなかった。
『これより清掃がありますので体育館から出てください!』
何かがおかしかった。
実行委員会と自治会のメンバーが舞台から降りて生徒を誘導しようとするが、三年生がまるで言うことを聞いてくれなかった。
『なんで楽器いじってんだコラ!? 演奏やめろバカ!』
条辺先輩がマイクで叫ぶが、軽音部らしい三年生が勝手に楽器をかき鳴らし始めていた。
ごく一部の生徒が出て行った以外、誰も出て行こうとしなくなってしまった。
これはまずいぞ。
もうすぐ近隣住民との取り決めで音を出せなくなる時間だ。
「あ、安佐手君!」
宜野か。
なんだよ一体?
こっちはさっさと誘導を終わらせたいんだが。
「瀞井君は見つかったんですか?」
「……は? 何の話?」
陽太郎がいないだと?
嗣乃も見当たらないということは、一緒に行動しているのか?
「何も聞いてないんですか? 僕は瀞井君の代わりに歌わせてもらったんです」
「か、代わり!?」
何も聞いてないぞ。
「えぇ、皆さん瀞井君が見つからなくて困っていたんです。ちょうど知ってる曲だったんで代わりを務めさせていただいて」
「あ、ありがとう。た、助かった」
そもそもこんな企画自体知らねぇよ。
二人ともどこ行った?
「つっきーこっち来て!」
轟音の中、俺を呼んだのは多江だった。
「わ、分かった!」
「僕も協力します!」
「え!? な、何から何まで悪い!」
くそ、これだから宜野は嫌いになれない。
人格はしっかりしていやがるんだ。
多江に連れて行かれた先は舞台下の備品倉庫だった。
「これ解散させないとヤバいんだ!」
「た、多江! ちょっと待ってくれ! よーと嗣乃はどこ行ったか分かんねーのか!?」
「おい」
ドスの利いた依子先生の声で我に返った。
「ずいぶんテメーの立場忘れてくれてんなぁ」
「うるさいな! 二人も居ないなんて問題でしょうが!」
依子先生の怒りも分かるが、俺だって自分の兄弟が行方不明でやきもきしているんだ。
「テメーの兄妹がいねぇのは気にすんな。アタシが許可した」
なんだと?
ますます混乱させるようなことを。
「だ、だから何を!」
依子先生に食ってかかりそうになったところで、いつの間にかその場にいた桐花に腕を掴まれた。
「その話は後!」
しまった、やっぱり金髪で桐花の存在を認識していたんだ。
居ることに気づかなかった。
彼氏失格だよこれじゃぁ……彼氏って誰? 俺!?
「動揺してますって顔に出すんじゃねーよしっかりしろ!」
危ない。
事態に動揺していると思われて良かった。
「あ、あいつらは大丈夫なんですか?」
「アイツらのことを信じれてやれねーのか!? 目の前のことに集中しろ!」
信じるだけじゃ物事は好転しないだろ……という言葉を飲み込む。
今言うべき言葉ではなかった。
「いいか! 今舞台乗っ取ってる馬鹿共を黙らすなり解散なりさせねーと近隣からの抗議でもう前夜祭どころか音の出るもん全部禁止されちまうんだよ! 何年も同じ過ち繰り返しちまって住民側は弁護士を立てるとまで言ってんだ! 状況見て来い! 全員で止めるぞ!」
倉庫の外、体育館は混乱状態だった。
残っている生徒達が大声で演奏を煽り、マイクで叫ぶ条辺先輩の指示なんて誰も聞いていなかった。
それもそのはず、煽っているのはかなりの人数の三年生だ。
クロージングイベント後のゲリラ行動を裏で計画していたんだろう。
舞台上には生徒達が肉の壁を築いていて、演奏者へは近づけやしなかった。
なかなか周到な作戦だ。
「先生、配電盤は? ブレーカー落としたらいいんじゃないですか?」
倉庫に戻ってありきたりなアイディアをぶつけてみたが、依子先生には思い切りため息を吐かれてしまった。
「ヲタの癖に知らねーのか!? そんなことしたら簡単にアンプがぶっ壊れるんだよ!」
知らないよ。
エレキギターだのなんだのは陽キャのアイテムだぞ。
俺が触ったら体が溶けちまう。
とにかく、体育館にたむろするうるさい連中を解散させられればいいのか。
円満解決が望めないなら、いくらでも方法はある。
俺の差し金とバレれば、命が危ないかもしれないけれど。
「……先生、客席の上にあるハンドル回すと開く窓みたいなやつ、開けられますか?」
「へ? アルミ板みたいな窓のこと?」
さすが多江、ちゃんと認識していたか。
体育館の左右の壁は客席とキャットウォークがある。
そして、壁面にははめ殺しの窓の他にアルミ板の窓が備え付けられていた。
だが、それが開けられているのは見たことがなかった。
「ありゃ排煙窓っていうんだ。火災が起きたらあそこから煙を抜くんだよ……なるほど、全部開けて寒風攻めにしようってか。ゴリラに連絡する」
依子先生が携帯電話を引っ張り出した。
「た、体育館の中寒くして追っ払うってこと!?」
「そうだよ。暖房も全部切っちまえ。体育館の扉も全部開けるぞ。実行する前に全員が脱ぎ散らかしているコートは一カ所にまとめて自分のを探しにくくするぞ」
誘導に失敗して舞台下にいた宜野が、目を丸くしていた。
「なんだよ?」
代案があるなら是非ともお聞きしたいところだ。
「あの、せ、先輩方に不興を買ったりしませんかね……?」
「そりゃ仕方がないだろ」
不興買うからって、この状態なんとかしないといけないんだよ。
「いや、でも……」
「はーあ、分かってねーな宜野座」
宜野だよ先生。
「コイツにはな、そういうクソみたいな先輩への気遣いだの教師への配慮なんてもんはねーんだよ。だから委員長なんだよ。生徒会長の地位狙ってんなら覚えておくんだな。クソみたいな縦社会の階級意識は捨てちまえ」
「は、はぁ」
俺は褒められているんだろうか。
「よし。お前ら、排煙窓は職員が開ける。配置についたら曲の切れ目に実行するぞ!」
本当にやるのか。
もう、覚悟を決めるしかないな。
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