第三十八話 大切なものは目の前よりももっと近い場所にある
大切なものは目の前よりももっと近い場所にある-1
多分、五分ほどは目を閉じていた。
二人して何をしているんだろう。
喉が渇いて、しかも互いの体が触れあっている部分は汗ばんでいた。
部屋の中はヘアカラーとミントの匂いが混ざっていた。
今起きていることは現実なのかと疑ってしまう。
でも、肩の傷は熱を持っていた。
二つの碧眼がじっとこちらを見つめていた。
こんなきれいな眼をした向井桐花が、どうしてこんな近くにいてくれるんだろう。
俺なんかの近くに。
陽太郎みたいな寛容さや包容力はない。
白馬のような情熱も、杜太のような柔和さも持ち合わせてはいない。
依子先生には卑屈と評された。
「あ……」
桐花の体が離れた。
それだけで不安を覚えてしまう。
「痛っ!」
「我慢して」
消毒液を含ませたコットンを肩に押し付けられた。
「あ、ありがと……で、でも、いいから」
こんな風に気遣ってくれる女の子と、深い仲になってしまった実感が湧かない。
「うぶ! 口はもういいって!」
なんでまだ口を拭くか。消毒液って口に入っても平気なのか?
「周りに残ってる気がする!」
まだ宜野成分を一掃しようとしようとするか。
嫌われたもんだな、宜野よ。
「ほら、前夜祭の閉幕式っていうか、クロージングイベント、もう始まるだろ」
「……知らない」
桐花が知らないはずはない。
「今、何時?」
「なんで気にするの?」
なんで急に機嫌を損ねるんだ。
でも、それに振り回されている場合ではなかった。
「そろそろ行かないと駄目だろ?」
「……行くなら、このこと先生に言う」
「ほ、本気で言ってんの!?」
思い切り首を縦に振られた。
「いずれは……ばれる」
「う……まぁそうだけど」
他聞に漏れず、この学校も異性交遊は禁止だ。
『校内及び校外にて、みだりに異性と逢い引き及び不必要な接触をしてはならない』と明記してある。
よく漫画や小説で見かける『不純異性交遊』という言葉は登場しない。
『異性交遊』そのものが校則上禁止されているんだから、『不純じゃありません』なんて言い訳もできやしない。
「桐花、そ、それはちょっと、困るって」
「自治会室で……一年委員長に……された」
上目遣いで唇をいじる姿はかなり扇情的ですよ、桐花さん。
そもそもしたのは桐花さんからですのよ?
それはそれで男として情けない限りなんだけど。
「先生なら許してくれるから、自首する」
「俺、クビにならないかな?」
人生初の管理職という立場を一度として忘れたことはないつもりだし、校則違反は完全下校時刻をオーバーしたことが何回かあるくらいだ。
いずれ何かやらかすだろうなぁとは思っていたが、ついに本格的な違反をやらかしてしまった。
しかも自分が一番縁遠いと思っていた違反行為だ。
いや、前にもあったっけ。
課外活動時間中に花火を見たいなんて小学生みたいな感覚で立入禁止場所へ立ち入ってしまった。桐花と一緒に。
「……クビになってもいい」
「い、いや、それは」
それは困る。
俺よりずっと向いてる奴はたくさんいるけれど、他人に押しつけたくなかった。
「無理されるくらいなら、一緒に自治会クビになる」
「え?」
それは嬉しいけれど、駄目だ。
俺は委員長の地位には縋り付きたい。
誰にもこんな立場押し付けたくないし、桐花の近くに居られるのはこの地位のお陰だ。
「……分かったよ。辞めたくないから、一緒に自首する」
どうせ依子先生に自首したところで、これをダシにこき使われるだけだ。
「桐花、しつこくて悪いんだけど、クロージングイベントって、もう始まるの?」
「……そんなに時間ない」
「なら行こうよ」
一気に恨めしい顔になったな。
行きたくないのは俺も一緒なんだけど。
でも、その恨めしい顔すら可愛くて堪らない。
思わず顔を近付けてみると、俺の口は桐花の手で塞がれた。
「一年委員長!」
う……そ、そうなんだけどさぁ……。
女子の切り替えの速さって凄すぎるなぁ。
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