総力戦と戦わぬ少年-4
笹井本杏の父は、ずっと額を地面に擦り付けたままだった。
正攻法のような、大雑把な作戦だった。
笹井本杏の父こそ、我が母親達四人が道を外す原因となった因縁の相手だったのだ。
要するに、母上達が弱みを握っている相手だったのだ。
母上達はこの議員のオッサンに接触して娘に自首させようとしたが、愛する娘が裏金用の書類を盗み出して横領を働いているとは信じられなかったらしい。
あまつさえ、笹井本かとりに殺人未遂まで働いてたことも。
陽太郎達は、笹井本杏本人の口から言質を取る必要があったのだ。
嗣乃の携帯は録音ではなく、スピーカー通話になっていた。
オッサンは別の部屋で母上達とこの顛末を聞いていたのだ。
結果としてオッサンは、土下座などという手段に出ざるを得なかった。
「……危なげない作戦だな」
「つっきには負けるよ。偶然に偶然が重なっただけだしね」
何を言っていやがる。
俺にここまでのことはできない。
切っ掛けは、俺が倒れたことだった。
母上達は教頭先生へ謝罪がてら、プチ同窓会をしたことで事態が動いたらしい。
そこで母上達の因縁の相手だった男子生徒の娘が困った行動をしていることを知ったのだ。
「嗣乃が学園祭までになんとかしろって委員長閣下のお達しを鵜呑みにしたってのもあるんだけどね」
「……頑張ったでしょ? ……蹴っちゃって、ごめん」
疲れた顔をした嗣乃がボソッと呟いた。
頑張ったよ。
もう嗣乃には触らないと決めたルールを破って頭を撫でてやりたいよ。
まぁ、さっき羽交い締めにしちまったけど。
部員ではない取り巻き達は、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていた。
全員の顔と名前は一致しているので、もう遅いが。
「うわぁ、ほんとに金髪! 可愛いぃ!」
重苦しい空気の中、混乱する桐花を抱きしめる陽太郎の母だけが全く空気を読めていなかった。
「核心に踏み込むがいいかね? 笹井本さん、どうして不正をしようと思ったんだい?」
教頭先生の声は優しかった。
「こ、小遣いなら、友達とも遊べるように十分渡していたと思うんだが?」
このオッサンは金で子供に媚を売るタイプか。
「十分? ははっ」
一つ年上の少女が出すとは思えないほど、不気味な声だった。
背筋を伸ばして座り、父親をまっすぐ見据えていた。
「パパこそ小遣い足りなかったんでしょ?」
そう呟いてから、笹井本杏は口を閉ざしてしまった。
俺の体力はもう限界を超え、嗣乃に蹴られた脇腹は悲鳴を上げ続けていた。
疲れていると、俺の神経は強くなるんだろうか。
違うか。圧倒的に有利な状況だからだ。
「さ、笹井本先輩……みんな、言いたいこと、ちゃんと聞きますから」
「は? ねぇよ」
いや、あるよ。
この人はさっきから泰然自若とし過ぎなんだ。
敢えて表現するなら、まるで思い通りになって満足しているみたいに見えた。
「あの、言いたいことありますよね?」
もう一度聴き直すと、恐ろしい目で睨まれた。
「こうなること、狙ってたんでしょう?」
「はぁ?」
自分自身にすら本音を隠してしまっていた俺には分かる。
この人は何かを叫びたがってる。
その声を聞かないと解決にはならない。
「テメーのことをシケイにしてやろうと思ってたんだけど? 寛容ぶるな」
それも半信半疑だ。
笹井本杏は何度か廊下で見ている。
俺は恐怖を覚えなかった。
この人と取り巻きから感じ取れたのはむしろ、『俺達への恐怖』だった。
「言いたいことがあるなら、お父さんも聞く」
馬鹿かこの親父。
娘のストレスを爆発させる気か?
「アタシに遠慮してるバカジジイが今更何言ってんだよ!?」
ついに爆発した。
「……こいつら許してよ。アタシが怖くて従ってただけなんだから」
「え!? アンちゃん何言ってんの!? 一人にできないよ!」
教頭先生の顔が周囲を見渡した。
「分かった。君達は帰りなさい」
「ごめん、早く行って」
女子サッカー部員達がすごすごと会議室を出て行った。
人望はあるんだな、この人。
廊下に出た部員達が、一瞬ざわついた。
「どうもー! 遅れましたぁ」
入れ違いに入ってきたのは、笹井本かとり生徒会長だった。
「ちっ。何で来たんだよ?」
「嘲笑しにきました……と、言いたいところですが、一応被害者らしいので」
「娘が……取り返しのつかないことを……」
「えぇ? 何のことでしょー? それはさておいてぇ。さぁ杏ちゃん、どうぞ。思っていることをおっしゃってください」
言いたいことを言って欲しい。
どうして凶行に及んでしまったのか。
「う……うぅ……!」
「落ち着かれないようなので、私が調べた限りをお話ししますね。まずはこの第一商店と書かれた用紙や社名の角印のセットですけど……私がこの学校に持ち込んだ物ですね?」
「え!?」
声が上ずってしまった。
「ごめんねつっきー。私が全部悪かった……らしいです」
「ち、ちげぇ! アタシが選挙事務所で見つけたんだ!」
会長氏が笑いながら首を横に振った。
「一般人もマスコミも出入りする選挙事務所にあんなヤバい物を置いておく訳ないでしょう? 嘘なんて吐く必要はないですよぉ?」
「……黙れ」
「黙りません。ああん、立ってるの疲れちゃった! つっきー支えてぇ」
なんでこの人こんな時ですら俺に絡むの?
腕をしっかり掴まれて外せない。
「は、母親がいるんで勘弁してください!」
「あらぁ、ご挨拶しなきゃ! お母様ご安心くださいな、私は二号で満足ですから」
こんな時までからかわないで欲しい。
母上の方が見れねぇ。絶対笑ってやがる。
「ほらぁ、杏ちゃん、言ってくださいな。悪い奴が目の前にいるんですよぉ? ま、あなた自身、あなたが悪いってことにしたい理由なんて簡単に分かりますけどねぇ」
俺の肩に頬を擦り付けながら言わないでいただきたいんだが。
「あ、アンタ、本当は覚えてるんだろ!」
「覚えてませんねぇ」
煽るような口調だ。
「こ、こいつは、この糞オヤジは! あの紙切れで人様の金を好き放題盗んでたんだ! エラソーなこと並べて議員になんてなりやがって! ママに……ママに泥棒の片棒担がせたんぞ!」
ほとんど泣きべそのような口調だった。
「アンタもだよ笹井本リナ! その紙で金を引き出してただろ! 何がアタシのお父さんも同じことしてるんだからこれを使えだよ! 覚えてねーのかよ!」
「はい全く。過去の私はあなたに成敗されました。ねーつっきー!」
知らねえよ。
というか離れてくれよ。
「だからもう終わりでいいじゃないですか。つっきーはそれでいーい? 狙われてたのはつっきーなんだから、あなたが決めればいいんじゃないですか?」
「い、いや」
何言ってんだよ、この人は。
俺は狙われていたような気は一切しなかったぞ。
「うむ、私もその考えを支持しよう」
「は、はい?」
教頭先生まで何言ってんだよ。
このオヤジの犯した罪は無かったことにするのか?
娘が親の罪を告発するために悪さを働いたなんてどうしようもない親子のコミュケーション失敗から始まったようなものだぞ。
どうして関係ない俺が。
「さぁつっきー、早くぅ!」
「や、山丹先輩は……?」
山丹先輩に助けてくださいという念を送ったが、小さく首を左右に振られてしまった。
「さぁ、関係ない人はご退出してください。ご協力ありがとうございました。陽太郎君達も疲れてるでしょう?」
「よー、俺と桐花の自転車、頼む」
「母さんの車に積んでもらうよ」
陽太郎はふらつく嗣乃の腰を抱えて会議室を後にした。
やっぱり、嗣乃の隣にはお前がふさわしいな。
桐花は何かを言いたそうにしていたが、陽太郎の母親に連れ出されてしまった。
議員のオッサンも我が母上に促されるまま、教室の外へと出て行った。
「え、えと……」
残ったのは教頭先生に、二人の笹井本と俺だけになってしまった。
どうして山丹先輩まで去ってしまうんだ。
「ええと、まず、その、笹井本会長は、自分のされたことについて、どうするんですか?」
「足を滑らせました」
「お、おい!」
会長氏が俺の腕を離し、冷たい表情で笹井本杏を指差した。
「だから、あなたの思ったような結末にはもうなりませんよ。あなたは大好きなママに悪の片棒を担がせた笹井本家全体を潰そうとしましたよね? 同じ罪を重ねて、また人に怪我をさせようとして。無駄ですよ……ああ、すみません。続けてくださいつっきー」
なんて冷たい目だ。
この目が俺に向いたら、心臓麻痺を起こしそうだ。
「えと、ええと……お金はとにかく返還してください。会計について訂正を出します。それから、女子サッカー部は全部員について、どうしてもやっていたことはその、看過できません。ええと、マネージャーを欲しがっているスポーツ部に、組み込まれてください。あ、後は教頭先生のご判断で」
「ハァ!? 委員長が不正見逃すのか!?」
うひぃ、怖い。
でも、俺が判断を迫られたんだ。
だから、思った通りに判断するしかないんだ。
もう不正会計以外の罪は消えてしまったんだから、仕方ないだろう。
「……あ、後は、ご自分で判断してください。もし他の罪があるなら、報告して出席停止処分を受けるなり、もしくは自主退学するかなどは決めてください」
弱腰だよ。
弱腰だけど、俺はもうここで玉虫色に収めるために残されたんだ。
また笹井本杏とその仲間に変な気を起こされてもたまらない。
罪を重くしたら、恐らく笹井本杏は納得するだろう。
でもあの取り巻き達は違う。
あの連中には悪事を働いているという自覚はあった。
でも、それは笹井本杏の両親の権力の傘の下にいたからだ。
それを失った奴らが破れかぶれな行動にでないとも限らない。
本音を言えば許せないし、怒りも収まらない。
陽太郎と嗣乃を苦しめ、瀬野川にも迷惑をかけた。
それに、桐花をひどく怯えさせた。
この女にもあの連中にも怒りが収まらなかった。
でも、恨みの連鎖はどこかで止めなくちゃならない。
どこかで断ち切らなければ、必ず何倍にもなって戻ってきてしまう。
「ふむ。安佐手君の判断を尊重しよう。学校側としては、学園祭の片付けなどが終わった後に出席停止処分だけは受けてもらおう。本日君を擁護した生徒達もだ。私からは以上だ」
「な……!」
食ってかかろうとした笹井本杏の口が止まった。
笹井本かとりが、笹井本杏を指を差していた。
「理解しなさい。あなたはこの学校で保護観察の身になるんですよ。これ以上変な気は起こさないようにしましょうね……それからですね、あなたのお父さん、不正は犯していませんよ」
「は、はい!?」
何言ってんの? 今までのことは何だったの!?
マジで親子のコミュニケーション不足が原因なの?
なんで先に言わないんだよ。
その事実があれば、別の解決の道もあったはずなのに!
本当になんなんだ、この人は。
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