総力戦と戦わぬ少年-3

「はーいみんな静まれー! 今からぜーんぶの質問に答えてあげるねー!」

「え? アンちゃんさすがにそこまですることないって!」


 取り巻きが焦り始めた。


「だいじょぶだいじょぶ!」


 いよいよ動くか。

 どんな手段を使って俺達の口を封じる気なんだか。恐らく親の権力だろう。

 それは果たして陽太郎と嗣乃の思うツボなのか、そうではないのか。


「あのさ、この請求書何か多分想像ついてんじゃない? こういうのなんていうんだっけ? そう、トンネル会社的な。これでパパは税金盗んでんの! 分かる?」


 遂に核心に触れたか。


「一応この商店さ、別名もいっぱいあってうちの一族はみんな色々便利に使ってんの! 電話繋がらないのは当たり前でしょ。だって今は選挙でも税務調査の時期でもないし。抜き打ちだったらすぐに電話返すけどさ。アンタら学生ごときに追求されても相手しないに決まってんだろバーカ! はいお前ら一緒にハモろー! 不正ですかぁ!?」

「「不正でぇす!」」


 なんだ、その掛け声は。


「いーい? だからこれ君達がいくらアタシ達追求しても無駄なの! 分かるかなー?」

「つっきー、さっきから顔怖えーよ」


 依子先生は何言ってるんだ?

 俺は結構冷静なのに。

 いや、冷静じゃない。額に手を触れると、また眉間に皺が寄っていた。

 桐花にびくつかれたのはそのせいか。


「あーあ、しゃべっちゃったー! でもアンタら自治会と教頭先生と依ちゃんもマエストロちゃんもおしまいだね!」


 身内なのに仲悪いんだな。


「ふふ、そうだねメリーアン」


 笹井本マコト先輩が笑いながら言う。なんだメリーアンって。なんかの台詞の引用か?

 そう思った瞬間。

 パイプ椅子が空を舞い、窓の下の壁にぶつかって落ちた。

 心臓に悪い。激しく動揺した桐花は下を向いていた。


「その名前で呼んだら殺すって何度も言ってんだろ!」


 いつだか教頭先生の言ってたメリーアンさん発見しちゃったよ。

 あなたも苦労したんだな。


「故意による器物の損壊は校則に違反する行為です。この行為についても議題に加えます」


 陽太郎の声は冷たかった。


「自治会って馬鹿だよねぇ。これだけ何度言っても処分できないって分かんないのかなー?」


 笹井本メリーアンこと杏の目つきが不意に鋭くなった。


「この際だから教えておこうかなー? メモの用意はいーい?」


 笹井本杏のメモをしろという言葉に反応したのか、反射的に顔を上げた桐花の手から携帯電話が落ちて派手な音を立てた。


「うるせーんだよ外人!」


 依子先生が桐花をかばっていた。


「うっわぁ! 何いい先生演じてんの? ウリ女の娘のクセにさ」


 なんだと?

 真偽はさておき、個人のプライバシーに立ち入りやがったな。


「アタシ知ってんだよぉ? そんな女の子供がどうして平気な顔して先生やってられるのー? なんでだろー?」

「関係ない話はしないでください」


 嗣乃の震える声が響いた。


「うわ、何? こんな女が大事なの? アンタらもどうせちょろまかしくらいやってんしょ? こんなのが顧問なんだしさぁ?」

「えー? まじでー!?」


 棒読みな台詞を吐きつつ、取り巻きどもがざわつきはじめた。

 依子先生への罵詈雑言が事実かは知らないが、他人のバックグラウンドをえぐるとはなかなかの外道だ。


「教頭先生ってさー、この糞教師のことなんとかしてやったんでしょ? 何させたの? 何回ヤったの?」

「うわ、キモッ! でもオッパイ揉み応えありそうだよねぇー!」


 くそ、言わせておけば。

 思わず拳を握りこむ。


「つっきー抑えな。その気持だけで十分だよ」


 女子サッカー部員はどんどん盛り上がっていく。

 しかし、取り巻きの一部はその物言いに段々引き始めていた。


「さてと、クソビッチの嗣乃ちゃん、メモの用意をもう一度よろしくねぇ! あ、そこで録音に使ってるスマホの充電は十分か確認してよ」


 嗣乃は何も言わず、足下のバッグからモバイルバッテリーを取り出して接続した。

 よくこらえているな。


 自分が大事に思っている人間をけなされると、真っ先に飛びかかるのは嗣乃だ。

 しかし、なぜ証拠を残したがるんだ。

 それだけ俺達を舐めているということだろうか。

 何をしても無駄だと、絶望させたいのかもしれない。


「第一商店の他にぃ、第二水産、第十卸商会、それからぁ、ええと、第八食品……それくらいかなぁ? 全部ニセモノ。ウチの部以外でも使ってるからさぁ。多分何個かは過去の資料見たらあると思うから見てみてー! 全部不正に金奪ってるだけだからぁ! 教頭さー、どうせ知ってて全部通してるんでしょ? 生徒が大事みたいなこと言って自分の身が可愛いんだよねーゴミジジイ!」


 なんだ?

 この連中の、笹井本杏自身の目的はなんだ? 


「ああ、その通りだ」


 教頭先生があっさり認めた。


「私は君の一家が怖いよ。君達が今まで不正に決済して得たお金は大体分かっている。そんな端金で生徒に危険が及ばないなら、私はいくらでも見過ごすよ。君を優遇するつもりもないがね」

「ならなんでこんな尋問させてんの? バカなの!? ここにいる全員何されるか知らねーぞ!」


 もっともな意見だ。

 だが、笹井本杏自身も焦っているように思えた。

 俺達がもっと早く白旗を振ると思っていたのだろうか。


「この尋問も生徒の願いだからだよ、笹井本さん」


 そう言ったのは旗沼先輩だった。


「僕達にも平等に権利が与えられるべきだと思わないかい?」

「思わないかなー? 権利とか平等とかキモい。下々が出過ぎてるんだよ。だからさ、シケイやろう」


 シケイ?

 桐花の震えがひどくなっていた。

 依子先生が必死に抱きしめているが、もう桐花の神経は限界を迎えていた。


「シケイ……とはなんですか?」


 陽太郎の声はあくまで冷静だった。


「うぜー奴を階段から突き落として事故死させんの。アタシが殺しても事故死だから! 最初は誰かなー? 山丹湊かなー?」


 椅子が蹴飛ばされる音がした。

 条辺先輩の体を笹井本マコト部長とダンス部らしき人達が取り押さえ、口を思い切り押さえていた。


「ふぐ! うんぐうう!」


 条辺先輩も感情がピークに達していた。

 旗沼先輩も立ち上がって、山丹先輩を背中に隠していた。


「あ! そこの関係なさそうな外人、お前シケイ」


 その瞬間、俺の体は動いていた。

 目の前の机を押し倒し、先ほどから偉そうに語る女の前に躍り出ていた。


「ぐぇっ!」


 ガードが間に合わなかった。

 俺の腹に嗣乃の強烈な蹴りが食い込んでいた。

 何かの弾みで、嗣乃が爆発するのは分かっていた。

 陽太郎の反射神経と力では、嗣乃を押さえ込めるわけがないことも分かっていた。


「あががー! あああがー!」

「嗣乃! 落ち着け!」


 嗣乃を抱え込み、絶対にしゃべらせないように口に手を突っ込んでやった。

 録音機能が稼働している状態で、嗣乃に暴言を吐かせられない。

 あばらも痛いが、指も噛まれて痛む。


「はぁ? 馬鹿なのお前?」

「ば、馬鹿です! すっころんじゃい、ましたぁ!」

「キモ……ほんとキモ!」

「嗣乃、支えてくれてありがとなぁ……痛ぇって! 指取れるって!」


 馬鹿もキモいも認めるよ。

 陽太郎と二人で押さえているのに、嗣乃を押さえ込む自信がなくなってきた。


「嗣乃! やめろ!」

「あーあ。一人だけで許してやろうと思ったのに。アタシのパパ到着したって。パパの友達も来るからお茶でも用意してよ」


 くそ、それを待っていたのか。


「まあちょっと長い物とか持ってるかもしんねっけど、仲良くしてやってよ」


 なんだ、それは?

 そんなの、現実にありえるのか?

 どうして陽太郎と嗣乃は刃向かってはいけない相手に刃向かったんだ。


 あと少し動いてくれよ、俺の頭。

 少しでも穏便に済ます方法はないのか。


「あ、あの、笹井本、先輩」


 くそ、かすれた声しか出せない。


「何? マゾ委員長?」


 妥当なあだ名だなぁ。

 でも痛いのは嫌いなんだけど。


「俺、その、シケイになるので、手打って……いってて! 噛むな!」

「あぐぁぁ!」


 嗣乃の口に押し込んだままの手に歯が食い込んだ。

 廊下の奥から乱暴な足音が聞こえてきた。


「アンタはシケイ確定してんだよ。 学祭前日にぶっ殺してやろうと思ってたから。お前が不注意で階段から落ちて学祭中止! 全て台無し!」

「やめて!」

「うるせーんだよ外人!」


 大声で叫んだ桐花を、依子先生が押さえ込む姿が見えた。


「嗣乃、俺に質問させてくれ!」


 やっと嗣乃の抵抗が弱まった。


「あの、笹井本先輩、どうして、笹井本……かとりさんを、突き落としたんですか?」

「うるせぇなぁ何度も! 知らねーよ!」


 あくまでこの件についてはシラを切り通すつもりか。

 だけど、笹井本杏がどうして笹井本かとりを四階から二階まで四度も突き落としたのかが知りたかった。

 そこまで憎悪を募らせる理由は何だったんだ。


「ど、どうして何度も突き落としたり、ナイフで刺したりしたかくらい……教えてくださいよ」

「ハァ!? ち、ちょっと押したくらいだぞ! 大げさに転びやがったのはあいつの方なんだよ! 誰がそんなことテメーに言ったんだ!!」


 語るに落ちたな。

 しかし、ちょっと押しただけという言葉が引っかかった。この期に及んで自己弁護をするつもりだろうか?

 腕に消えないような傷を負わせて、四階から二階まで突き落としたはずだろう。


「それは、事実ですか?」

「うるせーなぁ! 本当だっつってんだろうが! 一度押しただけだっつってんだろうが! ナイフってどういう意味だテメェ!」

「いえ、その、人づてに聞いたというか」


 本当は本人から聞いた話だし、実際に傷もあった。

 鎌をかけたつもりはなかったが、笹井本杏は全ての罪を認めることとなった。


「つっき……な、なんで邪魔したのよ……こいつ、リナ先輩を……!」

「罪は認めただろ。落ち着け」


 嗣乃の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。

 どうして本当のことを供述しないんだ、笹井本杏は。


 廊下の向こうから、たくさんの足音が聞こえて来た。

 会議室のドアが乱暴に開け放たれて、入ってきたのは俺達の救世主……などというマンガみたいな助かった展開は無いよな。

 だってこれは、現実だし。


 政治家と、ただの高校生と教師達。

 この力の差を埋めてくれるような力は働く訳がなかった。

 そもそも政治家なんて、こんな村に毛が生えた程度の街では強すぎる存在だ。


 なのに、どうして陽太郎は泰然自若としているんだ。


「失礼します」


 礼儀正しく軽く会釈をしてから入ってきたオッサンはなかなかに精悍で、ひと目で高い物だと分かるスーツを着こなしていた。


 そのオッサンは、笹井本杏を背中に守るように立ちはだかった。


 絶望的な光景だった。

 廊下にもたくさんの人の気配がした。

 このオッサンこそ、県議会議員だという人物なんだろう。


「パパ、こいつらよろしく。アタシ達帰るから」


 しかし、その願いは聞き届けられなかった。


「待て」


 オッサンのかすれた声が響いた。


 その次の瞬間。

 この場に居た誰もが、一生忘れないような光景を目にしていた。


 偉そうに息巻いていた女子サッカー部と取り巻きのよく回る口も、完全に止まった。


 その光景に一番圧倒された、笹井本杏以外。


「な……パパ……!」


 オッサンは膝を床につき、両手も床についた。

 そして、その額までも床に擦り付けていた。


 その美しい土下座姿の所作の前に、俺が良く知っている人物が立ちはだかっていた。


「は、母上……?」


 しかし、そのパニックも一瞬で解けてしまった。


「うわぁ、本物の桐花ちゃんだぁ!」


 緊張感の無い叫び声が響く。


「うわぁ! うわぁ! 初めまして! オバちゃん誰か分かるぅ?」


 初対面の桐花を依子先生から奪い取る厚かましい人物がいた。

 その全く空気が読めない我が母上とほぼ同じ顔をした人物こそ、一番ここにいるはずがない陽太郎の母だった。

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