『四人姉弟』の時間の終わり-5

 桐花に誘導されるがままに、小堂のひさしの下に並んで腰を下ろした。

 体育座りをした桐花の表情は沈んでいた。


「そ、そんなにばつの悪い顔するなよ」


 こんな言葉じゃなくて、感謝の言葉を述べたいのに。

 桐花の口が動いているが、言葉が出てこなかった。

 多分、ごめんなさいと言っているんだろう。


 俺の部屋を勝手に漁ったのは陽太郎であって桐花ではないし、桐花に抱えきれないような秘密を打ち明けてしまったのは俺だ。


「声、出るまで待つから」

「……出る」


 良かった。

 少しだけ安心した。


「聞きたいこと、いっぱいあるの、分かってるから……」

「あ、あるよ。お前が謝る必要なんてないのに、なんで、ごめんなさいって言った?」


 やっと桐花がこちらを見てくれた。


「あ、あの、先に言っておくけど、助かったよ」


 かけるべき言葉は『助かった』じゃなくて『ありがとう』のはずなのに。

 どうして正しく言葉が選べないんだ。


「……怒ってる?」

「え? ああ、いや、怒ってない」


 正直、分からなかった。

 自分の本音が見えてこない。

 あの手紙の数々が箱の中に消えていった瞬間、気持ちが一気に軽くなった。

 でも、桐花にあの手紙のことを話してしまったことへの後悔も募った。


「……嗣乃と喧嘩した時、言い合いになって」

「あ、ああ、タブレット持ってこようとしてくれた時?」


 小さく頷かれた。


「二人とも、色んなこと、押し付けたままにしてること、気付いてないから」

「いや、それは俺があいつらにいっぱい借りがあるからで」


 桐花が怒ったような顔になった。


「無い。あんな、すごく怖い手紙全部なんとかしてたのに」


 なんだか、知っているような口ぶりだな。


「お前もあんなの受け取ったことあるの?」


 頷かれた。


「怖くて、しばらく学校行けなかった」


 心臓に痛みが走った。

 俺達と同じ中学校だったらという無駄なことを願ってしまう。


「もしかして、その時ここを知ったの?」


 桐花は首を左右に振った。


「これの話を聞いて、不幸の手紙の捨て方をネットで調べて、民俗資料館で探した」


 何を言っているんだ、こいつは。

 自分が被害を受けた時は何もせずに、他人の時は必死に調べるのかよ。


「しゃべったのは、ごめんなさい」


 かさついた声は、また出なくなるのかと心配させられた。


「その秘密を守っても、お前になんの見返りもないんだからいいよ。こんなお寺探してくれなかったら、ずっとあんな怖いもんと生活しなくちゃなんなかったんだから、その……」


 ありがとう。

 なぜかその一言が言えなかった。


「そ、そういえば、例祭の翌週ここに来ようとしただろ? その時は、話そうとしてたんじゃないのか?」


 桐花が小さく首を振った。


「このお寺のこと、教えておきたくて。捨て……供養できるところ、あるって」


 思わず、桐花の頭に手を乗せてしまった。

 ここまでされてしまうと、さすがに涙腺が緩くなってしまう。

 俺の気持ち悪い泣き顔は見せたくないが、我慢ができなかった。


 全員の女子が撫でられて喜ぶと思うなという嗣乃の言葉が邪魔をするが、桐花は自称姉だから、いいじゃないか。

 どうしても、桐花に触れていたかった。


 桐花の頭が、俺の肩に乗っかった。


「つ、疲れたの?」

「……もっと、怒られると思った」

「お、怒らないよ」


 さっきまで高ぶっていた神経は落ち着いていた。

 桐花に体重を預けられているのが、心地よかった。


「……もう、お姉さんやめる」

「へ? 急になんだよ?」

「みんな、頭撫でてくれなくなった」


 そんなに撫でられるのが好きだったのか。


「嗣乃に毎日やれって頼みな」


 力強く頷かれた。

 撫でる側の立場は嫌だったか。

 本当に可愛いな。


 でも、少し気分が落ちてしまった。

 せっかく桐花との距離感が掴めてきたと思ったのに、また測り直しになってしまった。

 ママゴトとはいえ姉弟という立場が無くなってしまったことで、素直に感謝の言葉が言えない理由が分かってしまった。


 これは多分、喪失感みたいなものだ。

 桐花はこの手紙を捨てられず、途方に暮れていた俺の力になりたいと思ってくれた。

 そしてそれを実行したが、それについて何の報酬も求めてはいなかった。

 俺が『ありがとう』と桐花に感謝をしたら、桐花の中でこの件は終わってしまうかもしれなかった。

 そうなったら、俺は桐花の頭から手を離さないといけなくなる。


 あの手紙の数々を失ったことにも、喪失感を覚えていた。

 俺はあの手紙を隠し持つことで、陽太郎と嗣乃に借りを作ったつもりでいた。

 陽太郎と嗣乃に、俺は必要な存在だと思わせてくれる物がなくなってしまった。


 それを失った上に、桐花はもう姉弟ごっこを止めるって。

 俺に体重を預けてくれるのは、どうしてなんだよ。

 姉弟じゃなかったら、なんなんだ。


 問い質すこともできない。

 余計な質問をして桐花がこの状態の異常さに気付いてしまったら、桐花の体は俺から離れてしまう。

 桐花からかかる荷重が、どんどん増えていった。

 それに引っ張られるように、俺の脳も休息を求め始めた。


「桐花、眠いの?」

「眠い」


 やっぱり気が合うな。俺もだよ。

 今の俺は、桐花にとってどんな存在なんだろう。


「本当に寝る前に帰ろう」


 ピクリと桐花の体が跳ねた。


「……やだ」

「やだってなんだよ」

「……あと一時間」


 何を言っているんだ。


「十一月だぞ? 外でそんなに寝てられるかよ」

「眠そうにしてるくせに」


 まぁ確かに俺も眠いけど、寝たら終わりだ。


「国道まで出て、ほら、漫画喫茶とか探すか? じいさんの店に戻るか?」

「……日が当たってれば大丈夫だもん」


 変な所で頑固だな。

 元気を取り戻してくれたのは良いんだけど。


「ここでは寝るなよ?」

「……無理」


 無理とは言いつつも、桐花は携帯を引っ張り出しては時計を見ていた。


「そんなに時間が気になるなら帰ろうよ」

「ここがいいの!」


 ここまで頑ななのは珍しい気がするな。


「なんでそんなに気に入ってんだよ?」

「気に入らないの?」

「え?」


 質問を質問で返されるとは。

 しかイライラがこもった声で。


 山の中腹で景色がよく、静かで誰もいなかった。

 しかも、隣には無理に会話しなくても良い相手がいる。

 その相手は隣が嗣乃でも陽太郎でも味わえない。桐花でないと。


「そりゃ、気に入ってるけど。桐花もいるし」

「なら、ここいる」


 かかる体重が軽くなった。

 しまった。桐花もいるなんて気持ちの悪いことを言ってしまったからか。


 いや、違うか。

 桐花は俺に画面を見せないように、誰かとチャットしていた。

 その態度に、俺の気分はささくれ立ってしまう。


 さっきからこの時間を邪魔する奴は誰だ。

 そんなことを考えてどうするんだ。

 とにかく俺の気分を優先させて、桐花をここで足踏みさせちゃいけない。


「行こう」

「やだ」

「休み過ぎたら体が冷えるって言ったのはお前だろ」


 至近距離でぎっと睨まれる。


「揚げ足取り!」

「今に始まったことじゃないだろ」


 また単語モードに戻ったな。


「なら、うちにでも帰るぞ」

「駄目。お願い」


 うぐ。お願いだと。


 なんてキラーフレーズを。

 人にお願いされると弱いところを突いてくるとは。

 いや、心揺さぶられている場合じゃない。


「ここに何かあるのかよ?」

「……気に入ったから、動きたくない」


 目を逸らしながら言うなよ。俺だってここにいたいよ。

 でも、ここらで満足しておかないとまた体調を悪くしそうだ。


「なぁ、もういいから行こう」


 立ち上がろうとすると、桐花が俺の腕を掴んで引きずり下ろした。


「ここにいて!」


 やっぱりか。

 桐花がではなくて、俺がここにいなきゃいけないんだ。


 優しいな、桐花は。

 でも、そこまで演じなくて良いんだよ。

 お前が俺をここまで引き止める理由なんて、誰かに頼まれた以外にあり得ないんだし。


「ごめん、桐花。よーと嗣乃に会いたい。邪魔はしないから」


 桐花の目が大きく見開かれた。


「な、なんで、知って……!」


 鎌をかけられたんだよ、お前は。


「あいつらの行動見てれば分かるんだよ。俺を遠ざけておく必要があることくらい」


 もちろんはったりだ。

 あの二人が今何をしているかなんて分からない。

 桐花を使ってでも俺を止めようとしたのは、女子サッカー部との一件であることは間違いなさそうだ。


「学校行こう」


 観念したように、桐花は立ち上がった。

 気づいてよ。学校と言ったのも鎌をかけたんだよ。


 終わってしまったんだな。

 もう二度とない時間が終わってしまった。


 俺にかかっていた桐花の体重も体温も、しばらくは未練として頭にこびりついてしまいそうだ。

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