『四人姉弟』の時間の終わり-4

 割烹料理屋を出てから数キロの間だけ、じいさん達が自転車の乗り方を指導してくれた。


 また二人に戻った後はフォームなんて気にしていられなかった。

 前を走る桐花の後ろをただ必死に付いていくしかないほど、山道がきつかった。


 でも、運動ってのは本当に良い。

 悩み事に余分なエネルギーを使う余裕が無くなるからか、心が勝手に軽くなっていく。


 桐花が停止サインを出して自転車を降りた。

 さすがに自転車で進むには、舗装が荒れすぎていた。


 二人とも普通の靴に履き替え、ほぼ砂利道と化したコンクリートの道を歩く。

 横に並ぶと、桐花が神妙な顔つきになっているのが分かった。

 実はどんな寺かは事前に検索していたが、頼りの世界最大手検索サイト様さえ真言宗のお寺だという記載しかなかった。


「え……?」


 アスファルトもコンクリートもめくれ上がり、草も生え放題な山道が途切れた先。

 突然磨き上げられたように綺麗な石段が現れた。

 古びてはいるが掃除が行き届いていて、それが逆に異様だった。


 由緒などが書かれた看板も何一つ無く、どういうお寺なのかはまるで分からなかった。

 石段の手前で俺の自転車に桐花の自転車を立てかけ、まとめてロックをかけた。

 桐花は無言で石段を昇っていく。


「あ、歩きながらは危ねぇって」


 携帯で誰かとチャットする桐花を咎めつつ、石段の頂上へとたどり着いた。

 静かで誰もいないこんなお寺に、桐花はどうして連れて来ようと思ったんだろう。


 本堂で手を合わせてから、桐花はきょろきょろと周囲を見回していた。

 その態度からすると、桐花も初めてここに来たのかもしれない。


 桐花は大衆割烹での態度からは打って変わって、一言も話さなくなっていた。

 一日の単語量を使い尽くしたんだろうか。

 それとも、俺と同じでこのお寺の雰囲気に飲まれてしまっているのか。


 でも、桐花と二人だけの沈黙は心地良かった。

 何かを話したくなったら話せば良い。桐花は聴いてくれる。

 桐花が何かを話してくれるなら、それを聴くだけだ。


「ち、ちょっと待って」


 しばらく本堂から目を離さなかった桐花が、足早に移動を始めたので慌てて付いて行く。

 でも、疲労した足が重たくて追いつけなかった。


 やがて、桐花が立ち止まった。

 本堂から少し離れた建物の前に、大きな木箱のような物が設置されていた。

 正月に御札やお守りを返納する神社の木箱と全く同じような見た目で、投入口も付いていた。

 お札の返納箱にしては時期が早すぎるし、そもそもここは神社ではなかった。

 桐花の前に立つ看板には書いてあるかもしれないが、桐花はわざとそれを隠していた。


「これ、なんなの?」


 桐花は唇を引き結んだり、元に戻したりを繰り返してから息を吸い込んだ。


「…………」


 口を動かしたが、声が出なかったらしい。

 自分でも驚いたらしく、碧眼が大きく見開かれていた。


 俺はこの状況を予想できていた。

 少し前から、桐花の手が震えていたからだ。


 こんな状況に陥ったら、どう対処するかは考えてある。

『はい』か『いいえ』で答えられる質問だけにすることだ。


「……こ、これが何なのか、そこに書いてあるんだろ?」


 桐花が小さく頷いた。


「……少し休もうよ」


 反応無しか。

 なら、待つしかなかった。


「…………」


 桐花の口がまた動いた。

 うん。何度でもトライしてみてくれよ。とことん付き合うから。

 うつむいた桐花の手の震えがひどくなっていった。


 突然、顔を上げた桐花と目が合った。


「……な、何?」


 それは俺の質問だよ。

 もしかしてそんなガサガサした声をしているのに、しゃべれなくなったことを誤魔化したいのかもしれないな。


「ごめん、足が辛くて」

「ゲホ! そういうことは、早く……」


 おお、カサついてはいるが、声が戻った。

 努めて平静を装うのは可愛い。心がかき乱されるので控えて欲しいけど。


「あの、あ……」


 何を言おうとしたのかは分からないが、またすぐに空気が抜けるような音を立てるだけだった。

 心配でこっちの神経がやられてしまいそうだ。


 しゃべれないのは仕方がない。

 一朝一夕で治るようなことではないんだ。


 桐花は震える手で背中のリュックを降ろすと、中から嗣乃に渡された包みを取り出した。

 我が家で使っていた古いテーブルクロスの切れ端だ。こんな物に何を包んでいたんだ。


「な、なんなのこれ?」


 問うまでもなかった。

 リュックを降ろすためにかがんだ桐花の後ろに、ラミネートコートされた貼り紙が見えた。


「手紙、はがき焚き上げ……?」


 すぐに分かった。


「そ、そんなもんに触るな!」


 テーブルクロスの包みをひったくると、ばらばらと手紙やガムテープでぐるぐる巻きにされた玉が石畳の上に転がった。


「なんでこんなもん持ってんだよ!」


 陽太郎と嗣乃宛の『不幸の手紙』などという表現では済まされないような呪詛の類だ。


「なんで、こいつまで?」


 分厚いビニール袋の上からガムテープをぐるぐる巻きにされた物は、俺がカッターの刃と血液と大量の毛髪が入っていた手紙だ。


 引き出しの一番奥にしまっておいて、しかも色々な物を詰めて開けにくくしておいたのに。


「なんで……なんでこれをあいつらにしゃべったんだよ!?」


 昨日、陽太郎は俺の部屋でこれを探していやがったんだな。

 桐花の体が震えていた。


「ご、ごめん、でかい声出して。で、でも教えてくれよ。なんで二人に言ったんだよ? あいつらには言ってなかったんだよ」


 返事ができないのは分かっているが、自分が止められなかった。


「……お姉さんごっこの延長か?」


 分からない。

 桐花の行動を自分の中でどう処理して良いのか、分からなかった。


「待ってるから、教えてくれよ」


 俺に桐花を責める権利なんてないんだ。

 何の対価も無しに秘密を背負わせておいて、それをバラされたことを責めるのは馬鹿のすることだ。


 桐花の行為に悪意はない。

 これは桐花だけじゃなく、陽太郎と嗣乃も絡む問題だ。


「……ごめん、一方的にこんな秘密、お前に押し付けてごめん。ほんとに、ごめん」


 咄嗟に出てしまったが、正しいと思う。

 そうだ。いつだって俺が一番正しくないんだ。

 今この場で正しいことをしたのは、桐花なんだ。


 この気持ち悪い手紙の数々は俺を苦しめてきた。

 今もこの手紙の存在は怖くてたまらなかった。

 安易に捨ててしまったら、陽太郎と嗣乃に何かが起こるんじゃないだろうかという気持ちが拭えない。


 呪いなんて非科学的なものを恐れるのも馬鹿のすることなのは分かっているけれど、転がったこの手紙の数々を拾い上げることもできなかった。


 一番遠くへ転がってしまったガムテープ玉には、嗣乃への一方的な憎悪が込められている。

 ビニールテープでぐるぐる巻きにした青い封筒の中には血で書かれた便せんと髪の毛で表現された陽太郎への歪んだ恋慕の念で満たされていた。


 そんな物を処分したら、二人に何も起きないだろうか。

 ずっと怖くてたまらなかった。


「……ごめん、これは持って帰る」


 持って帰るから陽太郎と嗣乃、それからここで処分しようとした桐花に憎悪を向けないでくれ。

 勝手に開けて読んだ俺こそ呪う対象だろ。

 俺を呪え!

 どの手紙も、針のむしろを拾っているような気分にさせてくれる。

 中の手紙に失礼がないように風呂敷を優しく結ぶなんて、俺は本当にどうかしているな。


 あれ? 桐花がいない?


「ぐぇ!」


 体当たりされた?


 脇腹に衝撃が加わって、思い切り転んでしまった。

 桐花の狙いは分かったが、もう遅かった。


 桐花は投入口に見事なダンクを決めていた。

 でも、風呂敷よりも小さな投入口に阻まれてしまった。


 投入口に詰まった包みに何発も拳を叩き込む金髪少女の姿を、俺はただ呆然と眺めることしかできなかった。


 止めようと思えば止められたのに。

 やがて包みが解けて、手紙とガムテープの玉がばらばらと箱の中へと落ちていった。


「あ……」


 消えていった。

 俺にはどうにもできなかった物が、もう取り戻せない箱の中へと消えていった。


 桐花がサイクリングウェアのバックポケットに手を突っ込んだかと思うと、小銭を箱の脇についている浄財箱に投げ込んでいた。


 そして、ヘルメットを脱ぎ捨てて手を合わせた。

 俺も、それに倣うよりなかった。


「さ、賽銭、いくら入れた? 返すから」


 何を言っているんだ、俺は。

 まずは桐花に感謝すべきだろう。

 なのに、口からその言葉が出てこなかった。


 桐花にかけるべき言葉が、まったくまとまらなかった。

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