第三十二話 総力戦と戦わぬ少年

総力戦と戦わぬ少年-1

 ゆく道すがら、どこで何が行われるかは桐花が白状してくれた。

 予想通り、女子サッカー部への活動調査と銘打った尋問が行われるらしい。


 俺の知らないところで色々やってくれているな。

 桐花の声は憑物が落ちたように明快だった。

 だが、桐花が知ってることはそれほど多くなかった。

 陽太郎も嗣乃も、桐花を巻き込みたくはなかったんだろう。


「へい、そこの二人。そんな格好で校内うろつく気か?」


 依子先生は一年校舎の入口で待っていた。


「あいつらは何処ですか?」


 はぁ、と盛大なため息をつかれてしまった。


「何のことぉ? アタシ分かんなぁーい」


 先生は桐花を睨みつけていた。


「金髪テメェ、なんでしゃべったんだコイツに」

「桐花はしゃべってませんよ。俺に鎌をかけられただけです」


 俺のネタばらしに桐花はさぞかし驚いているだろうと思ったが、その表情は冷静だった。


「ちっ。そんなことだろうと思ったよ。オメーに女を籠絡できるような甲斐性ねーだろうし」


 相変わらずイカれたことを言う先生だ。



「あいつらはどこですか?」


 疲労困憊の両足を引きずりながら、依子先生を追うのは苦痛だった。


「疲れてんならゆっくり来い」


 依子先生に誘導された場所は、小会議室だった。


「いや、先生、あいつらの所に」

「金髪」

「え? ちょっと!」


 桐花につかみかかられて、小会議室へと引きずり込まれてしまった。


「先生! ちょっと!」


 扉が閉められ、鍵が締められた。

 この学校のほとんどの引き戸は前後鍵穴式だ。

 ロックされれば最後、外には出られない。


 油断していた。

 もう桐花も味方じゃないんだった。


「離してくれよ。どうせ開けられねぇし」


 桐花の両手が体から離れた。

 なんてな、小会議室の鍵は壊れているんだよ!


「あれ!?」


 直されていやがった。

 机の上にはジャージの上下が二着置いてあった。

 校舎に居る間は羽織っておけということか。


 仕方なくパイプ椅子に腰掛けると、桐花も隣に座った。


「お前なぁ……」


 桐花の不安げな顔に、毒気を抜かれてしまった。


「こんなことしなくたって、最初から本当のこと言ってくれれば良かったんだよ」


 そうだよ。

 俺は良い子にお前とあのお寺でぼさっとしていたよ。

 小さく咳をしてから、桐花が首を左右に振った。


「そんなことない」

「あるよ。俺はいい子にしてたっての」

「してない」


 むぅ、桐花が正解だ。


 でも今は間違いなく何もできない。

 ここまで百キロは自転車を漕いでいた。疲れて動けやしなかった。


「他に知ってることはないの? なんで俺をここまで除け者にするんだよ」


 桐花の顔が下を向いてしまった。


「……自分だけだと思わないで」

「え? あ……うん」


 色々言いたかったことがき飛ばされてしまった。

 桐花も除け者だった。


「過去の」

「ん?」

「過去の資料に、おかしい部活見つけて。予算使う時の見積書が、おかしくて。教頭先生が通してるから、気にしてなかったんだけど」


 桐花に差し出された携帯には、『卸・小売 第一商店』という店名がプリントされた見積書の写真が表示されていた。


「数量も、単価も書いてなくて、電話帳にも載ってなくって。嗣乃が書いてある電話番号に電話しても、出なくて」


 品目は「スポーツドリンク(粉)」と合計金額が手書きで記載されているだけだった。


 そもそも文化部として登録しているのにスポーツドリンクなんて、ナメているにもほどがある。

 こんないい加減な見積書を嗣乃と桐花が看過するはずなかった。


「それで、嗣乃と一緒に湊先輩に相談したら、湊先輩、この話……嗣乃にしか、しなくなって」


 桐花の目に涙が溢れ始めた。

 山丹先輩と嗣乃の態度に傷つく桐花には悪いけど、少し嬉しかった。


 蚊帳の外にされたことが辛くて泣いてしまうなんて、出会ったばかりの頃の桐花だったらあり得なかった。

 自分は所詮一人だと、心に蓋をしてしまうだけだったと思う。


 でも、桐花を泣かせた山丹先輩と嗣乃がちょっと許せない。

 桐花を大事に扱いすぎだ。同じ自治会員なんだぞ。


「役に立たないの、分かってるけど」


 卑屈は俺の専売特許じゃないのか。


「役に立ってるだろ。このやばい資料見つけたのと俺をここに閉じ込めたのはお前の功績だよ」


 変なフォローになってしまった。


「そんなの、小さいことだもん」

「いや、そもそもお前には女子サッカー部に突っかかる理由がないだろ?」

「自治会だもん!」


 あら、完全に論破された。

 確かに自治会は是正しなきゃいけない立場だ。


「えと、ほら、分担ってあるだろ! お前だって色々仕事があるだろ!」

「嗣乃が……心配」

「な、なんで?」

「笹井本会長のことで、頭がいっぱいになってて」


 それはそうだろう。

 確かに嗣乃の行動は終始おかしかった。

 自分の仕事が終わったら早く帰ってしまうし、陽太郎と一緒に金の無心をして。

 しかも、中学時代に一方的に敵視してきた連中がたくさんいる元お嬢様学校の警備ボランティアすら嫌がらずにこなしていた。


「……よーがいるから平気だよ」


 桐花の腫れた目がこちらを見ていた。

 咎め立てている目だ。


「瀞井君は、全然嗣乃の心配してない!」


 鼓膜が破れるかと思うほどの大声だった。


「本当に心配だったら嗣乃を止めてるもん!」

「え、お前、嗣乃がやろうとしていることを手伝わせてもらえなくてへこんでたんじゃないのか? なんで嗣乃を止めろっていうんだよ?」


 碧眼が大きく見開かれる。

 自分の発言が矛盾していることに気付いたか。

 でも、桐花が本当に嗣乃が大好きで心配しているのは分かった。


「……なんで、嗣乃と一緒にいないの?」

「な、何?」


 俺も何も知らされてなかったことは桐花も知っているはずだ。


「なんで、嗣乃と一緒にいてあげないの?」

「何言ってんだよ。お前に誘われたからだろ」

「なんで、断らないの?」


 何言ってんだ、一体。


「嗣乃が俺をいらねえって判断したんだよ。俺を遠ざける作戦は嗣乃が考えたんだろ」


 桐花が首を横に振る。


「……お前か?」


 小さく頷かれた。

 この際誰でもいいんだが、女の子に誘われたら男はホイホイ釣られちゃうんだよ。


「……怒ってる?」

「怒ってないけど」


 誘ってくれた桐花自身に断れと言われて、悲しくなっただけだ。


「いや、だから、その……よーがいるんだから大丈夫だろ」

「大丈夫じゃない」

「だ、大丈夫だよ。先生もこれに関わってんだぞ?」


 外が妙に騒がしいことに気づいたが、どうすることもできなかった。

 今は桐花の勘違いを正さないと。


「今、俺が陽太郎の代わりに嗣乃の隣にいたとしたら、どうなったと思う?」


 また何も言わない桐花になってしまった。


「そもそもこんな風に女子サッカー部を尋問するまで至らないよ」


 桐花の目が少し見開かれた。

 俺ならもっと上手くやると思ってくれたのかな?

 残念ながらそうじゃない。


「俺がもしちょっとでも危ないと思ったら、嗣乃の意思なんてねじ伏せて、お前が見つけた資料は全部シュレッダーにかけて、データも全部消すよ」


 そんな驚いた顔するなよ。

 俺がいつでも悪巧みする奴だと思わないで欲しいんだけど。


「過去のことは一切追求できなくするんだよ。またさっきみたいな見積書を提出されたら、次からは詳細に書いてねって伝えてお終いにする。嗣乃の復讐心になんて絶対協力しない」

「それで、いいのに!」


 桐花の両目が涙を溜めていた。


「良くないんだよ」


 俺は陽太郎にはなれない。

 それを認めるのは悔しくて仕方がないけれど、事実だ。


「そんなことしたら、嗣乃は多分一人ででもやろうとするよ。たった一人であいつらに突っかかって、笹井本会長さんと同じ目に遭ってたかもな」


 桐花の目が伏せられてしまった。

 目の前が突然暗くなったような気がしたのは、窓の向こうで日が沈んでいくからではなかった。


 視界が大きく揺れていた。


「だから……俺じゃ、駄目なんだよ」

「だ、大丈夫!?」


 パイプ椅子から崩れ落ちそうになったところを、桐花が支えてくれていた。

 悔しくて情けなくて、今すぐ息を吸うのも止めてしまいたい。


「……よーは、すげーんだよ。あいつは、嗣乃が何をしても、受け止められるんだよ。だから、俺はあいつに、勝てないんだよ」


 嗣乃は陽太郎じゃないと駄目なんだ。

 俺は家族を隠れ蓑に、嗣乃への想いから逃げていたんだ。


「嗣乃は……大事だよ。俺の人生、嗣乃にあげてもいいくらいだよ」


 なんて重たいことを言ってんだよ。

 でも、これがやっと見つかった俺の本音だった。

 家族ならいつか袂を分かつこともないから、兄妹を演じている方が楽だったんだ。


 桐花、すごいよ。

 多江はもすごいな。

 もうずっと早くに勘付いていた。

 陽太郎にいたっては、もっともっと早くに気づいていた。

 結構うまく誤魔化してきたつもりなんだけど、騙せていたのは自分だけだったのかもしれない。


 多江にお前が好きだと言おうとした瞬間もあった。

 でも、できなかった。


 むしろ陽太郎が好きだと白状した多江の味方をしたことだって、嗣乃の隣に自分が滑り込みたかったのかもしれない。


「ごめん、桐花」


 座ってすらいられない俺の体を、桐花が抱きしめてくれていた。

 さっきまで泣いていた女の子に慰められているなんて、なんて情けないんだよ。


「……無理なんだよ。俺は、嗣乃を全部、受け止めて、その上で、嗣乃を守ったりなんて、できないんだよ」


 嗚咽が止まらない。桐花の腕に力が入った。


 自分がやっと、何者でも無かったことに気付いた。

 やっと、自分に立ち返ることができた。

 全部、桐花のお陰だ。


 少しずつだが、自分の体に力が戻ってきた。


「あ、ありがと」


 椅子に座り直すと、タオルで顔を拭かれてしまった。


「あ、いいよ、自分でするし、鼻水……」


 桐花も自分の顔をタオルでぐいぐいと拭いた。


「お、おい、俺の鼻水」

「いいもん」


 強く拭き過ぎて紅くなった桐花の顔が、なんだか可笑しかった。

 お陰で混乱していた頭が、少しだけ落ち着いた。

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