第三十話 少年の戸惑いと少女の秘密

少年の戸惑いと少女の秘密-1

 誰かに見られている。

 それだけは確かだった。


 一度気づくと、何をしていても意識を引っ張られてしまう。


 昨日の交渉が功を奏したのか、決裂したのか。

 俺と杜太と多江、そして条辺先輩は大会議室で先生側の実行委員会と話し合いを持つことになった。


「つ、月人ぉ、あれ」

「ありゃギャル系ってだけだろ? 部員は八人しかいねーんだぞ?」


 一番繊細で、しかも人の顔を覚えるのが得意な杜太の神経が持つか心配だった。


「いでっ! なんですか?」


 条辺先輩、頭をはたくのは良いけど加減してよ。


「つっきーはヴァーカだなぁ。奴らがたった部員八匹で調子乗った行動取れると思ったか? 一匹いたら取り巻きは三十匹いると思いやがれミラクルうんこたれが」


 ミラクルなうんこをした経験はないんだが。

 そして女子サッカー部をゴキブリになぞらえるのもどうかと思う。


 条辺先輩の言葉はにわかに信じがたかった。

 そんなに多くの取り巻きがあちらにいるというのに、どうして何もして来ないんだ。


「そしてコイツが最大の敵だ!」

「ね、ねーさんダメですっ!」


 多江が焦った声を上げた瞬間に杜太が条辺先輩を羽交い締めにしていた。

 え? 何この展開?

 あぁ、ダンス部部長氏か。


「とーたてめぇ! 乳揉みてーならそう言えばいいだろ!」


 何言ってんのこの人。

 マジもんの変態なのかな?


「ぶ、部長さん見るたびにぃ、パ、パンチしようとしないでくださいぃ!」

「御宿直君、慣れてるから大丈夫だよ」


 慣れてるのかよ。

 今日は雨なんて降っていないのに、ダンス部は校舎内のありとあらゆる鏡の前でフォームの確認をしていた。


「往来で痴情のもつれを見せつけんな」


 依子先生は煽るような発言をやめていただきたい。


「おい、まこまこりーん。パウンドケーキの試食持って来たんだろうな?」


 うわぁ、職権濫用。

 ボーイッシュアイドルみたいな呼ばれ方だな。部長氏、いじられキャラ過ぎて可哀想。


「あ、は、はい、アールグレイ味です」


 アールグレイ?

 あれか、一昔前のお嬢様系攻略対象には必須に近い紅茶ではないか。

 俺も飲んだことある。ファミレスのドリンクバーで。

 笹井本先輩は依子先生に紙袋を渡すと、すぐに去ってしまった。


 依子先生に促されて会議室へと入る。いよいよ話し合いの始まりだ。

 そして、俺のどっちつかずな交渉が白日の下にさらされるのか。


「……へ? 誰もいないんだけど? 先生達遅れてんの?」

「え?」


 多江の言葉通り、誰もいなかった。


「あん? アタシだけだよ。そこの紙見てみろ。予算なら半分戻ったぞ」


 依子先生が指さした長机の上に、A4の紙が一枚置いてあった。

 雑なレイアウトのスプレッドシートだな。


「さすがつっきー! どうやって交渉したのこれ?」


 言いたくねぇ。

 最初から妥協案を提案したなんて。


「多江もコイツに学びな。なんでここに教師側が来ないと思ったよ?」

「そりゃー我らがつっきーに恐れをなして逃げたからっしょ!」


 多江も口が減らないな。


「その通りだよ」

「へ!? つ、つっきーどんな悪どい交渉したの……!?」


 俺の威厳に恐れを成した可能性だってあるでしょうよお多江さん。

 まぁ、無いよね。


「先生の冗談に決まってんだろ」

「え!? あ、そっか、そうだよねぇ!」


 先生が一切表情を変えない。

 冗談っぽくならないからやめてくれ。


「い、急いでみんなにチャットするお!」


 杜太が携帯を取り出してあたふたという表現がよく似合う操作をしている横で、依子先生が置いた紙を拾い上げた。

『合同企画余剰予算利用目安表.xlsx』というファイル名が直接印刷されていた。

 確かに半分程度の予算は確保されていたが、内容がひどすぎた。


「杜太、連絡すんな」

「えぇ! なんで!?」


 何の冗談だこれは。

 確かに合計額は予算の五割は戻ってきていた。


「承認された予算がスポーツ部しかねぇんだよ」

「へ? あれぇ!?」


 やはり運動部の方が権力値が高いのか。

 でも、これはひどすぎるぞ。


「気にすんな。多江、確定の返事してない部のリスト見てみろ」

「ほーい……おっほ! サッカー部以外全部確定の連絡してないぜぇ!」


 携帯で確認しつつ多江が言う。


「これもしかして依ちゃんがうまいことやってくれたん?」

「偶然だっての。この合計の金はぐぅーぜん現金で職員室の金庫にあってぐぅーぜんアタシが任されてるよ。見積書と引き換えに渡してやる」


 そんな無茶苦茶な。


「いや、先生が不正会計の片棒担いでどうするんですか? この通りに分配しないと駄目でしょ?」

「問われねえから安心しろ。議事録はこれしかねえし、タイトルを見てみろ。『目安表』」って書いてあんだろうが。お前らが確定って答えちまった分については先にここから引いとけよ」

「いや、目安だからって無視しちゃ駄目なんじゃ?」

「ウチのガッコの教師はな、平等って言葉に弱いんだよ。今頃スポーツ部の顧問連中は自分達のわがままが通り過ぎてビビってるよ。だからこの目安通りに金が使われなかったらむしろ安心するかもなぁ」


 何をしたんだ、この先生は。


「……教頭の野郎が文化部の顧問連中を説き伏せて、予算について文句タレるんじゃねぇって言いくるめたりしたのかもなー。んで運動部側がちょっと気まずくなるような状況を演出するってーの? あのジジイが孫みたいな年のガキの悪知恵に感化されたかねー?」


 そこまでしてくれたのか。

 教頭先生はそんな手回しをして立場が悪くなったりしないのかな。

 とにかく、内訳は無視しても問題ないってことか。


 とはいえ、認められたのは約半分だけだ。

 どの部にもある程度均等に行き渡らせる必要はある。


 さて、どこを削るか。


「ぐえ!」


 首がグキっと鳴った。

 そんなに強く髪の毛を後ろに引っ張らないで欲しいなぁ。

 条辺先輩は俺に話しかける際に暴力を振るう自分ルールでもあるのか? 


「なーにが不満なんだよテメェ?」


 条辺先輩の顔が近づいて来る。


「やめな塔子。コイツは自分で考えたこの結果に不満なんだよ。テメーで半分でいいって言っといてな。大ちゅきぃーな金髪ちゃんの予算をとりあえず一部でも取り返そう! ってな交渉したことを今更後悔してんだよ」


 はぁ、先生の稚拙な煽りは置いておいて、最初から半分で良いと言ってしまったことを見事にばらされた。

 遅かれ早かればれることなんだけど。


「へ? その程度で先生方折れたんすか?」


 多江は俺と依子先生が議論を重ねた結果、こうなったと思っているんだろうな。


「ちげぇ。オメーだよ多江。裏金資料が最高のレバーブローになったんだよ。わざわざ面倒くせぇ方式採用して部費を使わせねーようにしてんのによ、あんなもん見せられたら震え上がるに決まってんだろ」

「おほー! あたしも少しは役に立ったんだねぇ!」


 人聞きの悪い依子先生はわざとと言うが、生徒にお金の使い方を考えさせるためだ。多分。


「それによぅ、オメーらが懇切丁寧に部費の使い方を指導しやがるからよぉ、どの部にも例年の倍以上部活予算使っちまってんだよ! 今まで交通費程度しか使ってなかった文化部までガンガン使いやがって!」

「おー! さすがだねぇ、あのバカップル!!」


 白馬と瀬野川の部活担当コンビはさすがだな。


 部活予算の管理は顧問が基本的に一年間管理していて、自治会が見られるようになるのは一年分の集計が終わった三月になってからだ。

 そんな事情があったのか。


「そこに来てテメーらも見事に金使いまくりやがってよ! このまま学祭の費用を部費でまかなわれた上に想定した売り上げ出せなかった場合を考えろ! 三月までもたなくなるんだよ! そうなったらこの浮いた予算ケチったってだけで補正予算を組まなきゃいけねぇ状況が起きちまうのさ。教師共は初めてのことにパニック状態なんだよ」


 依子先生の顔は心底あきれ顔だった。


「そこにこの鬼畜一年委員長の『半分だけでいいんですぅキャピー!』なんて発言がどんだけ甘く響いたか分かるか? 見事な連携プレーだよオメーら」


 盛大にため息を吐かれた。

 このバラバラな動きを一つの線にまとめたのは依子先生と教頭先生の機転だろう。

 散々脅してから救いの手を差し伸べる。

 まるでカルト宗教の勧誘みたいな手段だ。


「ね、ねぇ、月人ぉ……もしかして、部活予算いっぱい使われちゃってるから、先生達焦って学園祭の予算削ろうとしたんじゃないかなぁ……?」


 あ……。


 全員の視線が杜太へと注がれた。


「とーくん、忘れなさい」

「へ? あ、はいぃー!」


 余計なことに気付きやがって!

 しかし、半分だけでも確保できたと喜べたもんじゃない。


 他の文化祭だの学校祭だのが終わるたび、集客が例年より少ないという報告が上がってきているのだ。

 相対的に我が校の学園祭の集客は相当多くなる恐れがあるんだそうだ。

 昨年の資料にすら材料不足が指摘されていたのに、今年はどんな状況に陥るか見えやしなかった。


 ひとまず安心して良いのに、俺の神経はずっと張り詰めたままだった。


「よっしゃパウンドケーキ喰うぞお前ら。味わって感想聞かせろ」


 依子先生によって十枚に切られたパウンドケーキが二枚ずつ紙皿に取り分けられ、それぞれにスプレー缶タイプの生クリームがトッピングされていく。

 香りは確かにファミレスで嗅いだアールグレイの香りだった。


「なんか、ずいぶんしっとりっつーか、ねっちょりしてますねぇ」


 多江の言うとおり、断面がつやつやしていた。


「米粉だからな。生産過剰の米粉の活用ルートを探してくれって役場がうるせーからダン部に試作させてんの」


 米粉のパウンドケーキか。

 これが一皿二枚に生クリームで二百円か。

 価格破壊もいいところだ。


「これ……おいしいけど、ちょっと重いっすね。それに味に対して期待した食感がないっていうか」


 多江が首を傾げる。


「そう、それなんだよ!」


 女子はシビアだな。


「抹茶かほうじ茶ならいいんじゃないっすかねぇ?」

「和風か。やらせてみるかなぁ」


 携帯を取り出してチャットを打ちつつ、依子先生が前を向いた。


「さーてこれ食ったら仕事戻れよ。でもこの委員長は少し休ませろ。あぁーそうだ。お前次の他の学校の警備参加する予定あるならやめとけ。その日は全休な」

「え? 一回しか参加する予定ないんですけど。その前日も一応休みなんですけど? ぐふぉっ!」


 米粉パウンドケーキって喉につっかかるな。

 俺の警備の行き先は元お嬢様学校だけなんだけど。

 一応、元お嬢様学校の空気くらい吸いたいんだけど!


「ほーい! きりきりに頼んで軟禁してもらおっかね」

「それ休まらねぇよ」


 陽太郎と嗣乃なら出し抜く自信はあるけど、桐花は無理だ。

 おかしいな。

 なんで家で寝てたりゲームしてたりしたくないんだろう? なんだこの気分は。


「月人ー。俺と陽太郎と嗣乃、土曜日のお嬢様学校の警備だから俺と代わろうよ。楽しみにしてたっしょー?」


 ぶっと多江がパウンドケーキのカスを飛ばした。しばらく嘲笑されるぞ、これ。

 隣に口裂け女がいるし。

 条辺先輩にそういう餌を与えないでよぉ……。


「なぁんだよ行きてぇなら行きてぇってはっきり言えば良かったんだよつっきーよぉ!」


 正面にも教師の癖に満面の笑みの鬼がいた。

 女子に興味なかったらギャルゲなんてやらんし。三次元も一応いける口だし!


「よしあれだ、目の保養もしたいだろうから杜太、お前午後でこいつ午前でローテ組みな! 午後は女子校の空気吸わせてやれ!」

「合点でさぁ!」


 なんだその掛け声は。

 くそ、恥ずかしいなぁ。


 杜太に本音を吐露しすぎるのはやめた方が良いかな。

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