謎の女と傷病少年と過干渉少女-4
「は!?」
驚きの声を上げたのは瀬野川だった。
「え!? そんな事件……ああ、ごめんなさい、続けてください」
良いお家柄の人間がそんな目に遭ったのに、瀬野川が知らなかった。
二階まで突き落とされた。
つまり、明らかに故意ということだ。
当たり前だが、階段と階段の間には踊り場がある。
転んで落ちたとしたら、四階と三階の間にある踊り場で止まるはずだ。
つまり、誰かが故意に二階まで何度も突き落としたのだ。
そんな殺人未遂のような事件自体を無かったことにしてしまえるんだろうか。
「な、なんで、そんな目に?」
「それは死んだ私か犯人に聞いてくださいな」
優しい笑顔で言われても。
「とにかく、私に残されたのはこのポンコツボディとそれから、」
会長氏がジャージのファスナーを下ろし、アームカバーを外した。
「昇り龍も桜吹雪も残念ながらいませんぜぇ」
抉れたような傷が前腕に刻まれていた。
「だ、誰がそんなこと?」
白馬の焦ったような口調に、会長氏がただ微笑む。
「そりゃー身内ですよぉ」
あっけらかんと答えられてしまった。
「私が目障りだったんでしょ。過去の私を知っている人は例外なく私が怖かったようですから。覚えていないので反省のしようもありませんけどね」
にやけ笑いを浮かべながら言うことじゃないぞ。
「今の私が爆誕してからは外科だのリハビリ科だの神経科だの脳外科だの色々通いましたよ。お陰で倒れた原付二種くらいなら起こせるパワーを産んでくれる程度に腹肉も溜まりました。体重は六十の大台で……うぅ」
爆誕って。
冗談めかしながら語る内容じゃないぞ、こんな話。
「記憶と一緒に学力はイマイチ回復しなかったので、高校は二年遅れのやり直して去年の九月に編入したんです。でも勉強してたらソッコー追いついたので強くてニューゲーム状態です。しかも生徒会長になっちゃいました! つっきー褒めて!」
なんでそんなにポジティブなんだこの人は。
どこからどう質問を投げかければ良いか分からない情報量だ。
「あ、あの、では、山丹先輩とはどう知り合ったんでしょう……?」
今は白馬に頼るしかなかった。
瀬野川は何も言わずに黙っていた。
「そりゃぁ、私は勿論覚えてないですけど、同じ高校の後輩で同じ自治会だったんですからね。ほんと、あんなにクッソ可愛いロリっ子の記憶が無いのは痛恨の極みです」
「え!? いや、同じ高校!?」
変な声が出てしまった。でも遮らざるを得ない。
「あらぁ、言い忘れてましたねぇ……私が突き落とされたのは高校三年生になった時で、それまでは皆さんと同じ県立の平自治会員をしていました」
この人、天然で変なことを言っていたんじゃなかったのか。
始めて来たと言いながら自治会室からトイレは遠いことを知っていたり、体育館の貨物エレベータの場所も操作方法も知っていたり。
それは断片的な記憶があったからなのか。
「で、でも、向井さんがまとめた中には一切笹井本かとりさんの名前なんて無かったですよ!?」
「んふふー。その答えは仁那ちゃんが分かるんじゃないですか?」
瀬野川の目が少し伏せられた。
「……そもそも噂も資料も無ければいないのと一緒よ。もう卒業してるはずの年なんだし」
「ひ、人が一人消えるなんて
俺の考えに、瀬野川が鼻から盛大に息を吐いた。
「そう? アタシのクラスはもう一人いなくなったけど? 親が再婚して東京出るって言って転校してった。こんだけ生徒数がいるんだから一人あたりの扱いなんて大して大きくもないっての。トッティ会長の恨みを買いやすいっていうキャラが本当だったなら、暴力沙汰起こして自主退学とかそんな情報流せばみんな信じるだろうよ」
しかし、そんな簡単に人の口に戸が立てられるんだろうか。
いや、立てられたから俺達が知ることもなかったのか。
「わーお! 暴力キャラ認定されちゃったのね私! 興奮しちゃう!」
いちいち茶化さないと死んでしまう呪いでもかかってるのかな、この人。
「んふふ、湊に聞いたんですけどね、私ってすごーく眼光鋭くて、見てくれが怖かったらしいんです。テレスドンの目!」
謎の言葉とともに左右の目を指で吊り目にされてもな。
「だから研究してこんなヘアアレンジと眼鏡にしてみたらしいんですよ。ちなみにこれ度無しなんです」
山丹先輩と同じデザインの眼鏡を指差した。
かけていない時はコンタクトをしているのかと思っていた。
会長氏の指は側頭部へと移動させる。
「あ、見てください! 先日編み込みにアップグレードしたんですよぉ! 女子の変化は気づいて褒めてあげないと駄目ですよ!」
瀬野川が大きめに溜息をつく。
「気付いてるし可愛いから話を進めてよ」
「ああーん仁那ちゃん冷たーい! まぁとにかくですねぇ、私がこんなズッタボロの体に、腕にデカい切り傷つけられて温泉も入れなくなっても楽しく暮らしていられる理由はですね」
綺麗な人の笑顔って視線が吸い込まれてしまう。
こんな屈託のない笑顔を向けられ続けたら本当に好きになってしまいそうだ。
「……そんな状態にしてくれた奴を同じ目以上に遭わせて社会的にも抹殺ちゃうぞぉっ! というチャンスを伺っているからなんですよ。その瞬間が楽しみで楽しみで!」
会心のスマイルで言うことではないぞ。
「ふふ。つい最近までは悪いことなんて忘れてポジティブに生きようと思ってたんですよ。過去の私は超ドSのクソ女だったんですからねぇ? なら過去に戻る訳にはいかないねって私としても思う訳ですよぉ。でもね」
会長氏は眼鏡を外し、ベッドと床の隙間に両足を突っ込んだ。
「すみません、ちょっと足痺れちゃって……あなたの妹さんが悪いんですよ?」
急にあざといアヒル口になった。
「な、なんで嗣乃が悪いんですか?」
俺の妹といえば間違いなく嗣乃だろう。
上級生からすると嗣乃は妹キャラなんだろうか?
表情からすると、そんなに悪い理由じゃないのは分かるんだが。
「だって、私に会いたくて会いたくて仕方なかったって言うんですよ?」
当たり前だ。
嗣乃が変わるきっかけをくれた人だ。
「私、逃げるつーちゃんをとっ捕まえて、鳩尾に数発ぶち込んだり絞め落としたり、家に押しかけてホットパンツ以外のズボン全部隠して、私のお下がりのスカート無理やり着せてたらしいんですよ?」
当時住んでいた団地に嗣乃の叫び声がよく響いていた。
あの頃は嗣乃が俺達を引っ張るような立場だったからか、嗣乃は一切俺達に助けを求めなかった。
俺達は俺達で、嗣乃が勝てない相手に近寄ることすら恐かった。
「学校交流会でつーちゃんと再会して、最初は年齢的にいる訳がないですから、私が分からなかったみたいなんですけど……分かった瞬間、私にずっと会いたかったって言うんですから、困っちゃいましたよ」
下を向いて話す会長氏に、言葉を掛けられなかった。
「湊もですよ。私、湊があまりにも駄目な子だったから、いろんな無理難題ふっかけて仕事をさせてたのに。塔子のことも好きにさせておけば良かったのに、私が塔子を気に入ったってだけで無理矢理自治会所属にして仕事させて。陸はもうちっちゃい頃からアゴで使って、本当は特進科に入りたいって言ってたのに、同じ普通科にしろって無理やり進路変えさせたり……」
また衝撃的な事実が雨あられと降りかかってきた。
結局俺達には本当のことを言ってくれていなかったのか。
いや、無用なことは語らなかっただけか。
「はぁ……なんて人間でしょうね」
全く覚えていないのか。
伝え聞いた断片的な情報を反芻しているだけなんだろうけど、悔しさは伝わってきた。
「過去の私を慕う人がいたなんて、知りたくありませんでした。そんな私を葬った挙げ句に、体をポンコツにしてくれたクソ野郎に恨みを覚えてしまいますよ」
ふぅ、と一息吐いてから、会長氏が顔を上げた。
過去の自分を嫌いになることで前を向いて歩いてきたのに、再会した人達の誰もが過去の自分のことを慕っていたのだ。
「あ、あの、沼っち先輩とはどういう……?」
あぁ、瀬野川は余計なことを。
でも、グッジョブ。
「残念ながら、ご期待には添えませんよ」
「あの、旗沼先輩ってそっちの学校に彼女がいたりは?」
いいぞ瀬野川!
あ、いや、プライベートに踏み込みすぎなのは良くないと思うよ。うん。
「えぇ……? 陸にそんな甲斐性はありませんよぉ! 今はほら、いい相手もいらっしゃるようだし?」
知った風なことを。
旗沼先輩の記憶は無いんじゃなかったのか?
まぁ、突っ込みたいけどやめておこう。
確かに旗沼先輩は肉食系には見えないし。
「ねーさん……条辺先輩が部活委員会紹介でそんなことを言っていたんですよ。自治会に入ると彼女ができるって前置きして」
瞳孔がばっくり開いた瀬野川が言う。
本当にこいつこういう話が好きだなぁ。俺も興味津々だけど。
「そこに何か意味があると思いました? 残念ですけど、ただの勧誘文句ですよ。そんな言い方をすれば陸がうろたえるでしょうから。塔子の悪知恵ですよ」
うわぁ、なんて人だ。
「……おかしいでしょう? こうしてたまに思い出すんですよ。顔も覚えてないのに、その人がどういう人かは、以前に親交があると分かるんです」
なるほど。
条辺先輩の長い髪を編み上げていたのはこの人だったのか?
「嘘を吐いて近づいてくるナンパ野郎を弾き返すには便利なんですけど、同時に過去の知り合いにはすごく申し訳ないんです……どう接して良いか分からなくて」
「だ、だったら沼っち先輩のことは?」
「どうやら昔の私は彼が大学に入ったら花婿修行をさせようと思っていたみたいなんです。私の数ページしか使われていない日記帳によるとですが。彼がもし私にまだ恋心を抱いてくれていたとしても、私はそんな気持ちになれません」
会長氏の苦しみは計り知れなかった。
そして旗沼先輩も、親密な相手に『赤の他人』という烙印を捺されてしまった。
部屋にしばしの沈黙が走った。
高かった日は、もう傾きかけていた。
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