謎の女と傷病少年と過干渉少女-3
「ったく、病人のベッドたためって鬼か」
アイスノンと座布団を持ってきたのは嗣乃ではなく、瀬野川だった。
「あ、なっち! トッティ会長すごいんだよ! タクシーで来るかと思ったらなんかマッドマックスみたいなバイク乗ってんの! 後ろ乗せてもらっちゃった!」
前輪が二輪あるくらいでマッドマックスって。
「Oh, what a lovely day! ……マッドマックスは見たことないのでこの台詞しか分かりませんよぉ?」
訳の分からない身振り手振りで会長氏が登場した。
私服を期待したのに、指定ジャージ姿だった。
アンダーリムの眼鏡は相変わらず浮いていたが、髪は三つ編み一房はなくなっていた。
代わりに、片方のこめかみ部分が編み込みになっていた。
「……あらぁつっきー君、気が合いますねぇ」
即行でアニメのグッズを見つけられた。
「うんうん。しっかりキープしている箱、ポスターは丸めたままビニールに詰めて保存! 素晴らしい! でも湿気だけは注意してくださいね! うちのマンションはカビが発生しましてねぇ……というわけでおはようございます」
「あ、え? お、おはようございます」
挨拶が特殊過ぎるぞこの人。
「はい、アイスノン変えてあげて」
「うん」
瀬野川からアイスノンを受け取った白馬が俺の腕に巻かれたガーゼやらタオルやらを取り除こうと手を伸ばした。
だが、まるで俺を隠すように背中を瀬野川と会長氏へ向けた。
瀬野川と笹井本会長氏がすすっと白馬で視界を奪われない場所へ移動した。
もちろん白馬は再び移動してその視界を阻む。
瀬野川と会長氏がすすっとまた移動したところで、白馬が瀬野川と会長氏の方へと振り向いた。
「どうぞ、お座りください」
その表情はこちらからうかがい知れないが、瀬野川と会長氏が素直に床に尻をつけた。
白馬の睨みと冷たい声は会長氏にも有効らしい。
「拙者、とても悔しいでござる……! ちょっとくらいナマモノをつまみ食いしたっていいじゃないですかぁ!」
会長氏も白馬の怖さを知ったか。
「悔しいのは拙者も同じでござるよ!」
ボソボソと何を嘆き合っているんだこいつらは。
瀬野川と会長氏が座った隣に、俺の腕の処置を終えた白馬も座った。
「ふぅ。醜態を申し訳ありません……うーん、つっきー君あまり顔色良くないですね。お話していられますか?」
「あ、はい、寝過ぎてるだけです」
実際はいくら寝ても寝足りない気分だった。
「ちょうどいいですねぇ。そのお顔の色を直しに来たんですよ、私。薄々気付いているかとは思いますが、私とつーちゃんとよたろー君がしていることですよ?」
なんで嗣乃と陽太郎がこの人と動いてるの?
「え、えと、まるで知らないんですけど」
「あ、あらぁ? そうなんですか? 困りましたねぇ」
この人と組んでいたとしたら、陽太郎と嗣乃が学校交流会の遅々として決まらない問題を解決しきる離れ業にある程度の説明がついてしまう。
俺としては説明がついて欲しくなかった。
純粋に二人の実力だったと信じて疑っていなかった。
「コイツはもう過労状態だったんですよ。みなっちゃんが抱え込んでて誰にも共有されない仕事をつっきーが発掘して、気がついたらこいつが大部分処理してたって感じで」
まぁ、その仕事発掘指令を出したのは依子先生なんだけど。
「あららぁ、そんなことが。どうして他の人に振らないんです?」
「え……えと……?」
う……どうしてなんだろう?
今思えば、ちゃんと仕事を割り振っているつもりで、三割も振っていなかった。
「もう。僕には最低限仕事を振って欲しかったよ。結構暇してたから仁那ちゃんの仕事ばっかり手伝ってたんだよ? 分かってる?」
それは分かっているんだけど。
「分かんねーからこのザマなんだよコイツは。普段のよたろーとつぐだったらすぐ気付いて何とかしただろうよ。要するにコイツのこのザマにはさ、こいつのバカ兄弟二人は関係大有りなんだよ。で、会長さんさ、ウチのつっきーぶっ壊した責任感じてんなら答えろよ。アンタ何者だよ?」
「な、なんて口利いてんだよ!」
口が悪いなんて域を超えているぞ。
「あははぁ、良いんですよぉ。笹井本家は瀬野川家に逆らえないんですからぁ」
「なっ!」
一瞬、瀬野川が怒りで歪んだ。
「仁那ちゃん、覚えておいてくださいね。いくらあなたが自分の家の力を振りかざしているつもりはなくても、このクソみたいなムラの中ではクソのカケラ程度もそう解釈されませんからね。ぜーんぶ瀬野川本家の長女の発言って思われるんです。
言い知れぬおぞましさを含んだ笑顔を浮かべた会長氏が、怯えたような顔になった瀬野川の頭を撫で回した。
市議会や自治体代表者や地元の企業は、瀬野川と笹井本の名前が目立つ。
瀬野川家は二百年以上前からこの辺一帯を取り仕切っていた大商人で、笹井本家は神社の宮司や氏子の筆頭だ。
この二家が実質的にこの辺りを支配しているという構造が、未だに存在していた。
という話を最近父上から聞き出した。
そんなことすら知らなかったことに、思い切りため息を吐かれてしまったが。
「話を逸らせてごめんなさいね。つっきー君は私が何者か分かってますよね?」
は?
全く知らんのだが……あぁ、一つだけ知ってるな。
「あの、小学校の頃に嗣乃を叩き直してくれた人の妹さんか、いとこですか?」
「はぇ……?」
会長氏の頭の上にハテナマークが飛び交っていた。
「もしかして、私がトッティと呼ばれてる理由をご存知ない?」
知らねぇよ。
『かとり』という名前で、しかも腐ってて松林の中に囚われてるからトッティ呼ばわりされてると思うに決まってるだろうに。
「いや、だから会長さんのお姉さんが嗣乃の恩人だって」
年齢が合わないんだよ。
嗣乃が二年生でその人は六年生だったんだぞ。
「お姉さん? 私の姉は結構年上なのでそれはないですよぉ?」
「トッティ会長、こいつまだ分かってないんですよ。いい加減本調子に戻れよテメー!」
無茶言うな。
まだ安静と言い渡されてる病人だぞ?
「もしかしてトリプル? 二年留年してる……とか?」
白馬のひらめきは多いに納得できた。
「正解です! いっぱい高校生できていいでしょー!」
何言ってんのこの人?
私立って二留しても生徒会長なんてできるの?
いや、そんな瑣末なことを気にしてどうするんだ。
「えと、え、ええ……」
言葉にならない。何から質問すれば良いんだ。
「あ、あの、いいこと、なんですか?」
白馬も戸惑いはもっともだ。
「自分からオープンにしておくと楽なものですよ? そもそもあんまり記憶がないんですよ」
少しずつ、頭が本調子を取り戻し始めた。
この人の抱えている苦悩が見えてきた。
「記憶喪失……?」
この期に及んで『記憶喪失』という中二病が好むワードを口に出しにくくなるとは。
本人にすればかなり大変なことだ。
「あらぁ、正解。やっぱりつっきー君は想像力がありますねぇ。よっ! 頼りになるかもしれない男!」
「何ですか? 『なるかもしれない』って」
「ふふ、そのままの意味です」
会長氏のこぼした笑みは目眩がするほど美しかった。
「だってつっきー君、私と背は一緒くらいだし、自転車であの坂登ってるっていうから、うまいこと支えてもらえれば、あの体育館の階段も降りられると思ったんですよぉ?」
何を言っているんだこの人は。もっとガタイのいい奴に頼んでくれ。
「ホールで宜野と楽しそうにしてるから、嫉妬して引き剥がしてやろうと思っちゃいました」
「は? たまに姿くらますと思ったら宜野座とホールでイチャついてたのかよ!?」
「イチャついてねーよ!」
「いえいえ、眼福でございましたよぉ? 青春をぶつけあう月人と
あいつの名前、『みゆと』って読むのか。
「……お二人共それくらいにしていただけますか?」
衝撃的な事実をぶちまけているのに自分の欲望を優先する腐女子怖い。
「あのですね、つっきー君が恐らく引っかかっているのは私の性格でしょう? 過去の私ってどうも人から恨みを買うタイプだったらしいのは知っています」
「は、はぁ」
確かにあの小学校の頃、この人による嗣乃の調教の仕方は凄まじかった。
見ていた限りでは鉄拳制裁どころか絞め技まで駆使していたし。
だけどそのお陰で、嗣乃はかなり落ち着いたと思う。
あの体育会系で暴力的な人が、目の前のぼやっとしたこの人物とは思えなかった。
「信じられなくても事実は揺るがないからいいんですよぉ? 話だけ聞いててくださいな」
頭が痛くなってきた。
なんでこの人はニコニコしていられるんだ?
「あの体育館の階段はね、つっきー君と一緒に克服したかったんですよ」
なんでまたその話に戻るんだ。
手摺がない階段を降りる時は常にエスコートしろとでも言いたいのか?
「私はですね……うわっ! ぞぞっと来ちゃいますねぇ」
呼吸を整えてから、会長氏が口を開いた。
「私、四階から突き落とされたみたいなんです。二階まで」
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