眠らぬは愚かなり-3

 ベッドで寝転がって目を閉じている間も、時間は勝手に過ぎていく。


 いつまでも予算問題は消えず、俺の神経を保たせているのは多江桐花コンビが作った部の余り予算表だった。

 普段より多くの酸素をよこせと暴動を起こす心臓様のために、我が肺は何度も収縮を繰り返してその機嫌を取っていた。


 酸素の導入は鼻孔では全く足りず、口も頼りにしなくてはならなかった。

 口の中は既に乾ききり、かさかさになった口の中と気管のせいで言葉を出そうにも出せない。

 なのに頭ははっきりしていて、体中の痛みはしっかりと感じられた。


 今更体は心のままにならないことを実感してどうするんだ。

 いくら気が急いても、体はいつまでもそれに付いてきてはくれない。

 どうしてこうなる前に気付かないんだろう。


 目を閉じても眠れはしなかった。

 眠ることはあきらめて、目を開いて自分の部屋の状況を確認……あれ?

 どこ? ここは、どこだ?


 頭が全然はっきりしなかった。

 でも家の布団じゃないことだけは確かだった。


 俺は何をしていたんだ。

 そうだ、依子先生を介して教職員側の実行委員会と話をしたんだった。

 未だにどんな結果になるかまるで分からなかった。


 一、二年の委員長と副委員長で押しかけ、その予算によって見込まれる利益だのなんだのを教頭先生が説明してくれたところまでは思い出した。

 自治会側から何の話をしたか覚えていなかった。

 いや、俺は何一つ話していなかった。


 何度も教頭先生に話しかけられていた気がするんだが、それに応えられなかった。

 そんなザマだったから、帰宅しろという命令を受けたんだった。


 でも、やることは山積していた。

 だから、自治会の古着が入ったダンボールの間に入り込んで少し寝ようと思ったんだった。


 なんでこうなる前に気付かなかったんだろうねぇ。

 誰しもそうやって気付けば倒れてしまうことなんてないか。


 ダンボールの山の影から動けなかった。

 いやいやその表現は大げさだ。

 現状の俺はただちょいと疲れて動く気を無くしただけだよ。


 そろそろ動かないとな。

 呼吸がどんどん喉の水分を奪って張り付くからか、酸素が吸いづらくなってきた。


「はーあ」


 山丹先輩の声だ。

 ばたばたと結構な人数が入って来る音がした。


「みんな仕事の邪魔してごめん。でも分かっての通りの状況だから、一年生が動く前に私達が動くわ。多江のバカたれが個別の団体予算の余剰分を算出してやがったの。これで今回潰された予算を補填しようとしているんだと思う」


 多江の奴、ファイルのアクセス権限には気をつけろって言ったのに。


「今日の話し合いで分かったわ。教職員は一度決めたらもう変わらないと思う。一年は教頭先生の指示で予算があるものとして動いているから、私達はその資料にある予算の追加申請をしている団体に謝罪して回るわ。追加予算を見越して余剰購入した分についてはなんとしても学校側に譲歩させるから。不平等は生じるけど、その点は予算ぶんどった学校側が悪いんだし」


 それは確かに一つの道だ。


「や、山丹、ちょっと待ってくれよ! 今更無理なんだけど!」


 男子生徒の不満の声が上がった。

 ざわついていて何を言っているか、良く聞こえなくなってきた。


「みんなごめん。一年には絶対お金のことでトラブルを起こして欲しくないの」


 しばしの沈黙。

 信用を失うというのも、俺は懐疑的だった。


 これだけ信頼を集めている山丹先輩と旗沼先輩が見限られるとは思えないんだが。

 俺が楽観的過ぎるのか?


「ま、いいんじゃねーの? 去年だって色々あったしさ。アタシ達で恨みを被っちまおうってんでしょ?」

「みんな、ほんとにごめん。元々は私が余った予算の活用なんてさせなければ良かったのに」


 働かない俺の頭でも分かってきた。

 一年生を蚊帳の外にして、自分達だけに悪評を集める算段か。


 予算を取り返そうと教頭先生を味方に付けて頑張る一年生、かたや早々に先生達の手先となって追加予算を断って回る二、三年。なんて作戦だ。

 でも、一年生は全員助かるのか。安心した。



 なーんて展開許してたまるか!!


 なんで一年ごときを守るのに中心メンバーの二年が犠牲にならないといけないんだよ!

 分かってるよ!

 学園祭は何千人という人間の利害が絡むことだって、恐ろしい額の金が動くし地域経済にも密接に関わってるよ!

 来年もあるんだよ!

 そんなイベント、俺達だけでどうやりゃ良いんだよ!

 まだなんも教えてもらえてないのに!


「ゲホッ! ゲホッ!」


 まずい本格的に目眩がしてきた。

 喉が勝手に咳をしてしまった。


「誰かそこにいるの!? き、桐花ちゃん!?」


 ドアが開く音がしてすぐに、俺にかかった重たい毛布が引き剥がされた。


「うぇ?」


 あぁ、桐花だ。

 俺の肩を掴みながら何か叫んでいる。

 それともまた声になっていない?

 いや、周囲の人間の声もあまりよく聞こえなかった。

 二年が全部背負うなんて反対って言わないといけないのに、何も言えなかった。

 口が全く動かなかった。


 肝心な時に何もできないのか。忘れてた。それが当然なんだったよ。

 俺の器ではこれが限界だ。二年生を止めようにも、止められないんだ。


「おい落ち着け! コイツを離せ!」


 辛うじて条辺先輩の声が聞こえた。

 体が揺さぶられていた。

 条辺先輩に羽交い締めにされてるのに、桐花の手が俺の着ているジャケットを掴んだままだ。

 でも、お陰で少し目が醒めた。


「桐花……山丹先輩に……あと少し、待ってって……」


 こう言うのが精一杯だった。

 いや、声になっていたのかも分からなかった。


 ひどいい眠気が襲ってきた。

 条辺先輩を振り切った桐花が、俺の体をダンボールの隙間から引きずり出してくれた。


 桐花の腕に抱えられる感触は、凄く気分が良かった。

 きっと桐花なら、俺の言葉をの意味を分かってくれるはずだ。

 見つけてくれたのが桐花で、本当に良かった。

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