眠らぬは愚かなり-2
委員長職をサボるには最高の場所を見つけてしまった。
公立高校とは思えない豪華なホールの舞台上、あの下品な芝居の稽古が行われていた。
宇宙人がオッサンの排泄物に追い詰められる裏ゲネ板と違い、本番用はオッサンの体臭だけで追い詰められるというシナリオになっていた。
「えぇいオチが弱い! 思い付かねーかてめぇら!?」
「考えてるって言ってんでしょ!」
主宰氏がギャーギャー怒鳴り散らすが、それに対して同じくらいの音量で他の演者が応戦していた。
つい数分前、教頭先生との最初の話し合いが持たれた。
多江と桐花による埋蔵金と言って良いかは分からないものには手を付けず、しばらくは予算自体があるという状態で活動することになった。
でも、これ以上学園祭関連の予算増額申請を受け付けるなと釘を刺されてしまった。
教頭先生が味方になってくれたのは一つ安心材料にはなったが、次の一手が全く思いつかなかった。
嫌だねぇ、金の話って。
金が無いなりにできることはいくらでもある。
でも、金が無ければ無いほど選択肢は大幅に限られてしまう。
金というのは選択の自由度を飛躍的に向上させてくれる最強の手札なんだと、改めて思い知った。
そのお金を奪われると、大きな軋轢が生まれてしまうのは当然のことだった。
お金というのは大事だ。
ましてや公立高校の出所がはっきりしているお金なら尚更だ。
先生達が浮いた金を接収する判断も当然の決断だった。
むしろ教頭先生がこの余剰予算で学園祭の拡大に賛同してくれたのが間違っているかもしれないくらいだ。
例年と同じ予算を使った上で、余剰が出たなら使わないに越したことはないと俺も思う。
「「すいませんでしたぁ!」」
ラストシーンのリハがまた始まったらしい。
宇宙人役が全員でオッサンに土下座をしていた。
「てめぇらよぉ、そんな謝罪で許せると思うわけぇ?」
「やーすんません、あのー、なんていうかー、調子に乗ってたっていうかぁ」
宜野が平身低頭でオッサン役に謝っていた。
確かに面白くはないな。
「やっぱ駄目だなこのシーン!」
大声で叫んだのは主宰氏だ。
「お前ら全員で案持って来いや!」
全員がはーいだのへーいだの言って舞台を降りていく。
「ふぅ、お仕事お疲れ様です」
「あ、うん、お疲れ様」
宜野が俺の隣の席に座った。
「恥ずかしいところ見せちゃいましたね」
「いや、恥ずかしいってなんだよ? すごかったよ。怒鳴り合って」
「あはは、何熱くなってるのって友達にはよく言われますよ」
そんな揚げ足取りでも友達と呼ぶのか?
俺が友達という表現へのハードルを上げ過ぎているだけかな。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いみたいですけど」
「んーまぁ、ピークは過ぎたんだけど、裏方仕事が多くて」
不眠は自分の問題だ。
昨夜はずっとタブレットと睨めっこを続けていた分、顔色に出てもおかしくはなかった。
「演劇は大丈夫なの? 揉めてるけど」
「こんなの普通ですよ。今から本番といわれても大丈夫です。アドリブでなんとかできるのがコメディのいいところですよ」
アドリブ……?
コミュ障にとっては北斗神拳を極めるよりも難しい技をいとも簡単に。
「そ、そんなこと、できるんだな」
「他の出演者が重要な台詞を言い忘れたら補足してあげたりはよくあるんですよ。コメディなら大事な台詞飛ばすんじゃねーとか突っ込んでもいいですし。同じ演目なんですけど、演じると毎回変わるんです。やればやるほど面白くなっていくんですよ」
うへぇ。
俺達の雑なチームワークとは違うな。
「あらぁ、宜野君はつっきー君とすっかり仲良しねぇ」
会長氏も来ていたのか。
「はい、すごく良くしてもらっています」
「え? あ、こんにちは」
「うやうやしく挨拶なんてしないで。もうお友達になったんですから」
相変わらず和やかな人だ。
元お嬢様学校の制服は緑色のセーラー服の上から更に同色のブレザーを羽織る不思議な制服なのだが、今日の会長氏はそのブレザーは着ていなかった。
そして眼鏡をかけていないからか、小学校時代の先輩そのものに見えた。
でも、いきなりお姉さんいますかなんて聞けたもんじゃない。
「つっきー君本当に顔色悪いのねぇ」
「うひぃ! え? いや、そうですか?」
突然両頬を抱えないで欲しい。
「寝不足ですよね? いつも変な時間にメール書いてますよね?」
「だ、大丈夫です。今日からはちゃんと寝るので」
なんてな。
今の精神状態じゃ眠れないだろうな。
「そうですか? これからが正念場ですよぉ……多分」
その通りだろうな。
一番デカい金の問題は解決されないままだ。
「あの、寒いんですか?」
思わず質問してしまった。
夏服の時から、会長氏の手の甲まで覆うアームカバーの方が気になっていた。
「え? アームカバーが気になりました?」
「は、はい」
「いやぁ、若気の至りってヤツでさぁ、カタギの兄さん……腕には桜、背中にゃ昇り龍が
いちいち分かりにくいボケをかます人だな。
「会長、その刺青ネタ何度目ですか?」
「言わないでくださいよぉ。私バイク通学しているんですよ、だから袖と手袋の間が焼けないようにアームカバーをしてるだけです。外すのが面倒くさいだけです」
なんだ、本当にバイク通勤をしているのか。
「ところでなんの話をしているんですか? ナマモノには手を出さない主義なんですけど、男の子同士の会話ってそそっちゃって。なんか、こう、つっきー君ちょっと攻めっぽいしぃ。宜野君は完全に受けですしぃ」
「……どういう意味なんですか、セメとかウケとか」
「あの、会長さん、今日来る予定なんてありましたっけ?」
宜野の質問は無視だ。
説明したって理解されない。
「予定にはなかったんですけど、湊ちゃんと陸がすごく困ったって言ってたから相談に乗ってたんですよ。我が愛馬
「この前は風雲なんちゃらとか言ってませんでした?」
「
何でキレ気味なんだ。
結局どっちが正式名称なんだよ?
「え? この前はジュウシマツだか鳥の名前だったじゃないですか」
「その名前はやめたのです! 仮にもうら若き女子高生が二十代職歴皆無にまたがってその両腕を押さえてつけ、あまつさえ走れと片手をぐいぐい絞り上げるなんて背徳的過ぎて……!」
すげぇ早口ですげぇ頭悪いこと言ってるなぁ、この人。
「あの、会長、話を戻すんですが、陸さんって誰ですか?」
会長の意味不明発言に白旗を揚げたか。しかもなかなか良い質問だ。
「うふふ。旗沼君のことですよ。私の幼馴染っぽいんですよねぇ」
「会長、『っぽい』なんてふわっとした言い方しないでくださいよ」
良いツッコミ役だなぁ、宜野よ。
「昔のことはあんまり覚えてないんですよぉ。もしかして宜野君、過去の記憶はっきりしてる方なんですか?」
「え? 人並みには覚えてるとは思いますけど」
「あらぁ、つっきー聞きましたぁ? こんなハーレムゲーの主人公っぽい感じなのに過去の記憶曖昧じゃないんですって。人の話もちゃんと聞こえてるし」
「それは確かに赤点ですね」
「え、えぇ……?」
これは問題だ。
主人公はそもそも幼い頃の記憶を各ヒロインとの会話を重ねることで少しずつしか引き出せない特殊な記憶野を持っていてかつ、ヒロインの本音の吐露が聞こえない特殊な聴覚を備えていなくてはならない。
しかし、また聞き捨てならない話が出てきたな。
この人が旗沼先輩とただならぬ関係だったらどうしよう。
山丹先輩が心配だ。
「ふ、二人で分かり合わないでくださいよ! 僕も仲間に入れてくださいよ!」
「敢えて畜生道を選ぶのは愚かですよ?」
会長氏もさすがに修羅の道へと引き込むのは良くないと分かっているようだ。
「あ、あの、もしかして、フロンクロスさんはこういう、その種の会話が分かったりは?」
「いや、それはないと思うけど」
今後もどうかは請け合えないが。
「あらぁ、またフロンクロース! さんですか、宜野君。恋は盲目ねぇ」
なぜ両腕でクロスを作るんだか。
まぁ確かに必殺技っぽい苗字ではあるけど。
「え? いや、そういう訳では。あ、そういえば、もう少しフロンクロスさんの写真があるんですよ。汀さんに送っておいていただけますか? さっき会ったんですけど、すごく感謝されちゃって」
俺の携帯に数枚の画像が送られてきた。
いるよねぇ。女子に感謝されると無駄に頑張っちゃう男子って。
俺も例外ではないし。
「あらぁ、その画像は送らないんですかぁ?」
「あ、これはちょっと! ダメですって!」
後ろから覗き込んでいた会長氏が、普段は見せない素早い動作で宜野の携帯を奪って写真を送ってくれた。
「な、何これ?」
ジャージ姿の桐花が、頭を抱えたままでしゃがんでいた。
「こ、これは僕が撮った写真じゃないんです!」
誰が撮ったかなんて一言も聞いていない。
問題は桐花の髪の毛の色だ。
「あらら、髪色がになっちゃってますね。本当にめんまちゃんみたい」
「あ、その、これが原因でフロンクロスさんが変なアダ名付けられてしまって。そ、そうだ、会長が今言ったメンマってなんなんですか?」
「えぇ!? 手塩にかけて育てている後輩が『あの花』すら知らないなんて」
金髪で背が小さいだけなら他に思い当たるキャラは色々いるのに、何でだろうとは思っていたんだ。
「修学旅行先の温泉に入ったら色が落ちてしまって、先生から逃げ回ってる最中に、誰かが撮った写真なんです」
普通ヘアカラーが落ちてきたら茶色っぽくなりそうなところなんだが、桐花の髪の毛はグレーのような色合いになっていた。
宜野が色々と説明してくれてはいるが、あまり頭には入ってこなかった。
写真の中の桐花から、ひどい困惑が伝わってきた。
「その後ホテルを抜け出してどこかでヘアカラーを使ったのか、びしょ濡れになって帰ってきたんです」
くそ、どうしてこの時に近くにいてやれなかったんだろう。
馬鹿な感想を抱いてしまった。
「おやまぁ。親御さんは学校に抗議しなかったんですか?」
「いえ、何も。僕達クラスメイトからは先生に何度も訴えかけたりはしたんですけど……本人は黙って髪の毛を黒くしていたので」
心臓がチリチリ痛んだ。
何の力にもなれていない宜野に腹が立ってしまった。
「なんだか辛い話ですけど、今は楽しそうにしてて良かったですねぇ」
「え? ええ、ほんとに」
なんでこいつは近くにいたのに、桐花の力になってやれなかったんだ。
どうしてこんなに歯がゆい気分にさせられるんだ。
もう終わったことなのに、自分の苛立ちがまるで理解できなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます