生徒自治委員会、瓦解前夜-4

 山丹先輩は戻ってきた依子先生によって連れて行かれてしまった。


 こんな空気になるのは何度目かな。

 あの会議から一時間ほど後、自治会室内の重苦しい沈黙が走っていた。

 先輩方は既に帰宅したが、桐花の願いで一年生だけはこの場に残っていた。

 あとは多江と杜太が帰ってくれば全員が揃う。


 シャリシャリ、という摩擦音が響いていた。

 ツナギ姿の瀬野川が枝打ち用のナタを研いでいるのだ。

 瀬野川流の精神統一なんだそうだが、今にも般若の面を被って襲いかかってきそうな雰囲気なのが困る。


「みんなお待たせ」


 多江と杜太も戻ってきた。

 結局、桐花の『予算はある』という言葉を信じるしかなかった。


「桐花、さっきあるって言ってたのはいくらくらいなんだ?」

「つっきー、それはあたしが説明するよ」

「な、なんでだよ?」

「前にさ、依ちゃんの旦那さんに『常に最悪ベースに物を考えると楽だよ』って話をされたのが頭から離れなくって。何か大きくお金が足りなくなっちゃった時にどうしようかって考えてたんよね」

「え? あたしにも相談してよ!」


 嗣乃が食って掛かった。

 実際の一年生会計担当は嗣乃と桐花だ。


「校外であんなに大暴れしてくれてた時に言えないでしょーよ。つぐにはちゃんと休んでて欲しかったんよ」


 むぅっとした顔のまま嗣乃が黙りこむ。

 嗣乃は気を遣われることに慣れていない奴だ。


 古いプロジェクタがファンの音を響かせながら、ロールスクリーンにスプレッドシートを映し出した。

 右下のフォントをやたら大きくした数字は、今回立ち消えた金額を額を大きく超えていた。


「これね、部活と委員会の毎年の余剰予算を足したもんなんだけど、ただの計算書じゃないんだぜぇ。過去何年か分の残額の平均を出したもんなんさ……一部抜けがあったけど」


 画面に映しだされた計算書は過去数年の三月末に残った金額を割り出した表だった。


「いくつかの部に合同で見積を取ってもらえば、トラックもチャーターできると思う」


 桐花も策士だな。

 そうそう簡単に学校側が予算使用を通してくれるとは思えないけれど。


「す、すごいなこれ……確かに部に交渉すれば融通してもらえるかもしれない」


 陽太郎は手放しに感心し過ぎだ。

 案の定、全員に冷や水を浴びせるように舌打ちが響いた。


「何がすごいだバーカ」


 瀬野川が水のしたたるナタを陽太郎へ向けた。


「どうすんのよこれ? 各団体が学園祭のために自分らの個別予算使うってぇならいいさ。だすけよぅ、これをアタシ達がそそのかして使わせたらどうなるよ? 完全な不正だよ! しかも協力してくれた部活が突然予算が必要になったら助けられるんかよ? おい!」


 瀬野川が憎まれ役を演じてくれたが、全員安心しきったような顔をしていた。


 まずい。

 これが俺達の弱点だ。

 赤信号も全員で渡ってしまえばどうにかなると思ってしまうような、そんな感覚だ。


「瀬野川の言うとおりだぞ。この案は最終手段だぞ。まずは学校側にあの予算の召し上げを再考してもらうからな。それから……」


 自分が一年委員長に就任して良かったと思うことが一つあった。


「これは俺が一から考えてお前らに強要するんだ。それに納得いかないなら無しだぞ」

「な、なんでだよ!」


 案の定、陽太郎が食ってかかってきた。

 全員が異を唱えるのはも予想済みだ。


「なんでも何もねーよ。いーんちょー閣下だからお前の熱烈なご推薦の。黙って従え。今だけは従いやがれ!」

「犠牲になってもらうために推薦してないよ!」


 知ってるよそんなこと。


「犠牲になるつもりなんてねーよ。どーせこの学校はよっぽどのことしねぇ限り出席停止で済むし。俺が処分食らったら自治会は頑張ったって体面くらいは保てるだろ」

「はーぁ」


 瀬野川の盛大なため息が響き渡った。


「クソみてーな脅迫だなつっきー。自己犠牲俺氏カッコいいとか思ってんじゃねーよ」


 あらやだ、俺の考えてること完全に筒抜け。


「うるさいな。いいだろそれくらい……ひっ!」


 ナタをこちらに向けるな。

 プロジェクタの青白い光りのせいでヤンデレってレベルじゃねぇ。


「アタシも。副委員長のアタシも責任取る」


 それ助かるな。

 確かに俺一人が主導してやったなんて通らないだろうな。


「ちょっと! なんで二人とも!」


 嗣乃がやっと口を挟んだ。

 瀬野川のナタが嗣乃へと向いた。


「たりめーだろ。つっきー一人に恐喝されたなんて通じねっての。うちの親族思い出せよ? 県議会議員も国会議員もいるぜ? 瀬野川んとこのクソガキにナタで脅されましたーって言えばボンクラ教師共に言い訳立つだろ」


 はぁ、瀬野川自身がこんなことを申し出るとは。

 真っ先に異を唱えそうな白馬が黙っていた。


「と、とにかく、これは最後の手段だからな!」


 俺じゃ確かに皆に強要したところで誰も従わないだろう。


「あ、あたしとよーで先生方から話は聞いてみる。あと、他に味方になってくれる人を探すくらいならいいでしょ?」


 嗣乃の言うことはもっともだ。


 遅かれ早かれこの情報は全校に回る。

 その前に不正を持ちかけなくとも、教師の暴虐を訴えかけるくらいのことはできるだろう。


「味方か……ダン部とか野球部とかかな?」


 陽太郎が呟いた。

 俺もそれくらいしか思いつかなかった。

 やべぇ、あまり協力してくれそうな人達が思いつかない。


「女子のバ、バド部とバスケ部なら、月人の頼み、多分聞いてくれるお!」


 杜太は簡単に言うなぁ。

 俺達に悪い印象は抱いていなさそうだし、当たってみても良いかもしれないけれど。


「僕もスポーツ部には当たってみるよ」


 白馬も口を開いたと思ったら、この悪巧みに加担する気満々かよ。


「文化部とはアタシがねーさんと当たるわ」

「実会と委員会はあたしととーくんに任せてね」


 まずい、話がどんどん決まっていく。

 自分自身もこの雰囲気に飲まれかけていた。


 みんなの動きに冷や水を浴びせる要素はないものか。


「うわ……まずいな、これ」


 スプレッドシートを見れば見るほど、余剰予算の流用は危険極まりなかった。

 学校から割り当てられた予算よりも多く使っている部活だらけだった。

 つまり、学園祭の模擬店売上も重要な財源になっているのだ。

 それらの部が例年よりも多くの集客と稼ぎを期待しているとしたら、学園祭のために多くの予算を使わせるのは危険過ぎる。


 奪われてしまった百万円程度の予算はとんでもない大金だ。

 学校としてはセーブするに越したことはないだろう。


 自治会の仕事で大きな金額を見ることには慣れたつもりだったが、それは既に決着がついたことばかりだ。

 この金額がまるまる足りないというのは、気持ちをひどく焦らせた。


「……ん?」


 ふと、気になる項目が目に入った。


「桐花、この部……なんで残金0円なの?」

「ぴったり使ってた」


 即答だな。

 桐花も気になっていたのか。


「いや、ぴったりってできるか?」


 どの部も一円単位でピッタリなところなんてこの部以外皆無だ。


「領収書もあった」


 うーん。

 店側と値引き交渉なりして金額をぴったりにしてもらうってのはありそうだが、そんな風に擁護する気が起きるような団体ではなかった。


 その部は設立今年で二年目で、活動内容も今一不明瞭。

 そんな部にこんなきっちりとした芸当ができるんだろうか。


「信じられるか? お前もこの人達見たことあるだろ? 部活委員会紹介とかで」

「……見てない」


 へ? 何を言ってるの?


「いや、あの日にお前のチャリ見かけたぞ。学校来てたんだろ?」


 桐花はばつが悪そうに下を向いてしまった。


「……人、多かったんだもん」


 むくれやがって。

 人の多さに怖気づいて入れなかったのかな。


「……なんでよりによってこの団体なんだよ」


『よりによって』って言葉は初めて使った気がする。

 昨年度の残予算が唯一、一の位まで『0』となっていたのは、件の女子サッカー部だけだった。

 気にはなる。でも、今じゃなかった。


「お前ら盛り上がるな! いきなり動くなよ! 動いた瞬間に不正会計なの忘れんじゃねーぞ!」

「ほぉ? 怖いんか? 怖いんか、つっきー?」


 やけに多江が絡む。


「怖えよ! お前ら突っ走りすぎて俺以外の誰か処分されたら最悪だぞ」

「安佐手君! それ以上自己犠牲気取って悦に浸るなら本当に怒るからね!」


 白馬さん恐い。怒りながら怒るよっていうなよ。

 とにかく、一度解散しないと収集がつかなそうだ。


「もう下校時間過ぎてるから帰るぞ。全部明日からな! 陽太郎と嗣乃が教職員の実行委員会から事情聞いてから! 分かったな!?」

「おぉー月人が委員長っぽいぃ!」


 杜太、そんな感想おかしくないかい?

 こんなにエラソーにしてるんだけど誰か突っ込んでくれないの? つっきーのくせに生意気だとかそういうのないの?



「安佐手君、お疲れ様です。ちょっとお時間もらっても?」


 全員外に出たところで、俺だけ呼び止められてしまった。

 なんで宜野がこんなところにいるんだ。

 演劇部の練習か。

 

「え? う、うん。いいけど……よー、嗣乃、先帰っててくれ」


 金髪が足早に駐輪場へと消えていくのが見えた。

 挨拶くらいしろよ。失礼すぎるぞ。


「何よ? あ、サンプルお疲れ! 演劇部?」


 嗣乃は本人を前にしてもサンプル呼ばわりか。


「あ、は、はい、演劇部です。あの、サンプルってどういう?」


 まだググってなかったのかよ。

 ITリテラシ低いな。


「一応下校時刻だから県道のコンビニとかまで行けると助かるんだけど……坂降りきったところのコンビニならイートインあるし」

「分かりました。そこで落ち合いましょう」


 正直、明日にしてくれと言いたかった。

 だが宜野の焦った口調に、分かったとしか言えなかった。

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