生徒自治委員会、瓦解前夜-3
「つっき、速いって! 何も言えなくて悪かったって!」
陽太郎は俺が足早に歩いているのは怒っているからだと思っているらしいが、早く先輩だらけの中央校舎から逃げたいだけだ。
はぁ、空気がうまい!
二度と三年校舎になんて入るか!
三年生になるまで!
「なんか、なんか年上の人が怖いんだよ」
「みんな優しいのに。空き教室のチェックと部活棟の教室チェックは俺がやるから、つっきは戻っててよ」
「頼んだ……もう三年の先輩と接したくない。今日は自治会室から出ないからな!」
あぁ、陽太郎がいるとどんどん甘ったれになっていくよ。
「仕方ないなぁもう。じゃあ後でね」
利用率の低い部活棟の教室にも目玉企画があった。
『高校生が教える実技授業補習講座』などと銘打って、中学までの図工、美術、技術、音楽、家庭科、体育のダンス、そして理科実験をそれぞれの分野に強い生徒が教えてくれるという親御さんに受けの良い企画だ。
「おいテメーら! 勝手に触ってんじゃねーぞ!」
自治会室の前に置かれた大量の木材の前で、条辺先輩が拡声器を持って叫びまくっていた。
「質がいいのは看板一枚分までっつってんだろが!」
学園祭の資材管理は条辺先輩だったのを忘れていた。
まずい、ダン部に木材多めに渡したいなんて言いづらいぞ。
「はぁ!? 全然質良くねーだろ!」
条辺先輩とじゃれ合っているのは野球部か。
看板や装飾用に大量に届いた木材はどれも廃材で、中には古民家で使われていたんじゃなかろうかという柱風の木もあった。
ただ、絵なんて描けるような状態にない物ばかりだった。
「何文句タレてんだ! 嬢様学校の警備から外すぞゴルァ!」
「自治会のくせに脅迫すんのかァ!?」
自治会室のドアを開けると、また奇妙な光景が広がっていた。
「な、何してんの?」
「うおぉ……うぐぉぉ……」
うつ伏せの山丹先輩が唸っていた。
その腕を逆方向に決めてぐいぐい引っ張っているのは白馬だった。
「山丹先輩の体がバッキバキで。無理し過ぎですよ」
「家業なんだから仕方ないもん……プリントしたTシャツたたむのは人力だし」
学園祭Tシャツの生産現場は過酷らしい。
来年は手伝いに行った方が良さそうだ。
「ああ、月人君……あだだだ……後でプチ実行委員会やるからよろしくね」
「な、なんですかそれ?」
いつもながら何も聞いてないんだけど。
「よ、依ちゃんが、は、話さないといけないことがあるっていうから……ありがとう、有光君」
プチというくらいだから、大した話じゃないか。
「桐花ちゃん起こしてくれる?」
「あぁ、はい」
毛布の塊から金髪が漏れていた。
疲れたら毛布を使って寝ていいことになってはいるんだが、桐花が寝ているのは初めて見た。
乱暴にドアが開けられ、依子先生が自治会室へと入ってきた。
「お前ら適当に座れ」
自治会室に入ってきた依子先生に従い、皆地べたに座った。
桐花もふらふらと起き上がり、それに従った。
そして、依子先生の後ろから入ってきたツナギ姿の嗣乃も当惑気味に座り込んだ。
「依ちゃんどうしたの? することいっぱいあるのに」
どうやら嗣乃は無理矢理連れて来られたようだ。
「あーのな……まずはよたろーとつっきーにどうやってアタシのことを依ちゃんと親しみを込めて呼ばせられるかの会議から始めていい?」
「……聞かなかったことにしてあげるから本題話しなさいよ」
山丹先輩の怒りにアヒル口をする教師ってどうなんだ。
「だったら明るく話すね! じーつーは! 余った予算いくらだっけ? テントのレンタル代以外全部取り上げられちゃった! てへぺろー! あがぁ!」
山丹先輩!? 先生の顔グーで殴った!?
「てへぺろーじゃねーよ三十路!」
「うるせーロリっ子!」
「身体的特徴で貶めるな教師のくせに!」
というか、先生今なんて言った?
浮いた予算全部取られた!?
「はぁー? 教師はみんな聖人君子だと思ってるんですかぁ!?」
「せめてなろうとしなさいよボケェ!」
俺達が頼りに頼っていた交流会予算の流用が全部無くなった?
まずい。
完全に忘れていた。
常に状況がひっくり返ってしまうことを警戒していなくちゃいけないのに。
どうする? 依子先生へ精一杯の抵抗をしてみるか?
いや、したところで何も変わらないか。どうにもできないなら今のイライラをぶつけてしまうか?
「痛でっ!」
すっと息を吸い込んだ瞬間、手首に痛みが走った。
俺の腕に食い込む白い小さな万力、もとい手の主はぎっと俺を睨んでいた。
危ない。怒りに飲み込まれるところだった。
しかも、自分の功績を潰されて一番辛い桐花に制されてどうするんだ。
「先生、それは誰の決定なんですか?」
ふぅ、冷静な言葉が出せた。
嗣乃と白馬もこっちを見ていた。
二人が連鎖的に起爆する前に、言いたいことを言っておかないと。
「教職側の学祭実行委員会はあるんだよ。使わなかったら接収するんだよ」
「教頭先生が流用を認めてくれたのにですか?」
声が刺々しくなってしまった。
桐花の手がまた手首に食い込んだ。
「そうだよ。今抵抗してるけどまぁキツいだろうね。教師は例年と違うことなんてしたかねーのよ」
「先生はどっちだよ?」
「アタシ? 楽しく学祭やってくれりゃいいさ」
「その楽しい学園祭は教職員の皆様によって握り潰されたからもうないわよ」
山丹先輩の悔しさに満ちた声は、一度落ち着いた俺の神経をまたささくれ立たせた。
「覆る可能性はほぼないんですか?」
「『ほぼ』とかいらねえよ。ねえもん」
そうか。
なら、予算を奪った分については先生方にまず仕事をしてもらおう。
誠意を見せてくれないと困るってもんだ。
「桐花、多江と杜太に言って予算追加分回した部と委員会リストアップしてくれ。金額も」
桐花が小さく頷いた。
この予算を作り出してくれた桐花に頼むのは気が引けるが、桐花にしかできない。
「一年委員長は話が早くて助かるわ。二年委員長は?」
山丹先輩は何かを考え込んでいるようだ。じっと依子先生を見て黙っている。
「ちょっとつっき、本気で納得するの!?」
「黙ってろ」
嗣乃も我慢が足りない奴だな。
話を最後まで聞けっての。
白馬は相当フラストレーションが溜まっている顔をしているな。
少し前の白馬ならもう爆発していたかもしれない。
「先生、リストができたら載ってる団体全部に学校側の都合で接収することを個別に訪問して謝罪してください」
「はぁ!?」
依子先生個人が味方なのは分かっているが、伝えることは伝えてもらわなきゃならない。
生徒自治委員会と学園祭実行委員会の信用失墜だけは避けなきゃならなかった。
「つ、つっきーよぅ、教師共がそんなことするわけねーだろ?」
依子先生は実行委員会のメンバーではないのか。
「依ちゃん、やらないと駄目だと思う」
山丹先輩の声は冷たかった。
「このままで生成方は生徒の信用を保てると思う? 勝手に決定して謝罪も自治会任せなんて不誠意もいいところだと思わない? 全部自治会のせいだって思われるよね? 私達、完全に信用無くすよね?」
アンダーリムの眼鏡の裏にある山丹先輩の両目は完全に三角形だった。
童顔な先輩だが、こういう時は大人に見える。
「はぁ。短い夢だったなぁ。生徒自治委員会は今日この瞬間終わっちゃったんだね。ま、私達自治委員会なんて先生方の下僕に過ぎないんだからやるよ。謝罪行脚」
依子先生の口はへの字を書いたまま動かなかった。
「はーあ。自治会は『また』信用も何もないクソの掃き溜めに成り下がりました。一年委員長、どうしよっか?」
『また』と強調するのは気になったが、それを気にするのは後だろう。
「ど、どう……え、えと」
先生方が皆に頭を下げて回ったところで、例年の規模に戻すしかないという事態に変わりなかった。
規模を大きくすることを前提に動いている実行委員会は特にまずかった。
商工会と農協には既に仕入れの拡大をお願いしているはずだ。
山丹先輩が弱い体と弱い神経で気を張ってきた上に構築された信用が、今正に崩れ去ろうとしている。
どうにも怒りが抑えられなかった。
俺の腕を掴んでいた桐花の手が、ズボンを強く掴む俺の手に重なった。
少しだけ怒りが和らいだ。
「先生、お願いです。何度も言いますけど、せめて生徒への謝罪は先生方でしてください……ゴフッ」
山丹先輩が不快そうに喉を鳴らした。
嗣乃が立ち上がったと思うと、山丹先輩の隣に椅子を寄せて座り直した。
依子先生の目尻にも涙が溜まり始めていた。
親しい者同士が喧嘩をする独特で嫌な空気が、二人の間に流れていた。
「まだ!」
耳が痛い。
叫んだのは桐花だった。
耳だけじゃなくて、手も痛い。
俺の手の上に置かれた桐花の手が、ぐいぐいと食い込んでいた。
「まだ、予算! ゲホッ」
「き、桐花……お、落ち着け!」
痛い! まじで痛い!
桐花の爪がどんどん食い込む。
「他の、余ってる予算、あるから!」
「駄目に決まってんでしょうが。関係ない金は学園祭に流用しちゃ駄目よ」
依子先生は興味がないかのように桐花の考えを切って捨てた。
「そんなこと、ない!」
桐花が食ってかかっただと?
じっと、桐花と依子先生が見つめ合う。
「……聞かなかったことにするわ」
依子先生は何かに思い当たったんだろう。
教師でしかも自治会顧問なら、色々知っているはずだ。
「アタシに迷惑かかる程度ならいくらでもかけていいわ。ま、湊が卒業するまでクビにならけりゃいいし」
どれだけ山丹先輩のことが好きなんだろう、この人は。
贔屓するなんて宣言していたけど、もうそのレベルを超えているぞ。
「できればアンタらの卒業も見守りたいから気をつけろよ? アタシがクビになるって話じゃなくて、てめーらが余計なことして卒業できなくなったらって意味だからな? 金の話ってのは百万だろうが一円だろうがしくじったら最悪の事態しか待ってねーんだよ」
「桐花、駄目だからな……いぎぃ!」
更に桐花の手に力が入る。
痛い! 肉がえぐれる! でも負けない!
「い、言うこと聞いてくれよ!」
やっと手が少し緩んだ。
山丹先輩は黙り込んでしまっていた。
依子先生はそのまま席を立ち、逃げるように自治会室から出て行ってしまった。
「ゲホ! ……ごめん……桐花ちゃん……任せ……」
「みなっちゃん!」
机にぶつかりそうになった山丹先輩の頭は嗣乃がしっかり支えていた。
嗣乃はこうなるかもしれないと思っていたんだろうか。
山丹先輩が呼吸する度に喉がひゅーひゅーと音を出し、激しく咳き込み出した。
「汀さん! 山丹先輩の顔が下向かないようにして!」
白馬が山丹先輩の鞄を開けてひっくり返し、喘息の吸入薬を見つけてそのまま山丹先輩の口に加えさせた。
見事な機転だった。
いや、見ている場合じゃなかった。
依子先生を呼び戻さないと!
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