変わる日常、残る日常-2
「はぁ……腰痛ぇ」
今までの妄想は腰痛を忘れたかっただけだ。そして、見事に失敗だった。
建売住宅だから文句はないが、ベッドは折りたたみにするしかなかったのが今は恨めしい。
本棚も最小限、机は小さいころから使っている天板と脚しかない机だ。
もちろん壁も少ないのでポスターを貼れる位置は少ない。色があせてしまうから貼りはしないんだが。
もちろん幼馴染みの部屋の窓が目の前には当然ない。建売住宅の日照とプライバシーを考えたら当たり前だ。
『あははー聞いたよ! つっきーが席から立てなくなったって』
スマホスピーカーから朗らかな多江の笑い声が響いた。
「うるさいな。自転車乗って帰って来れたよ」
立ち上がれなかったのは一瞬だけだ。
でも、帰宅後すぐに痺れるような痛みに襲われた。
「今日はゲームしないの?」
「出来ねぇよ。二人とも助けに来てくれねーし」
『あははー! 今もしかして二人にほっとかれて不貞腐れてる?』
「なんとでも言え」
そうだよ。何してんだよ陽太郎も嗣乃も。
『しょうがないなあ。明日そっち行ってやんよー。んでつぐの部屋で盛り上がるからさー』
「結局放置じゃねえか!」
一瞬期待して損した。
『あそうだ、クリスティニアちゃん呼んであげようか?』
「よ……呼べるもんなら呼んでみろよ」
うーん。本当に呼ばれたらまずい。
正直、フロンクロスのの存在は結構重荷に感じている。
欧米人丸出しの見た目よりも、困り顔で固定された表情が気になって仕方が無い。
『ま、親しくなったらまずあたしの家に呼ぶけどね! あ、例の新しいダンジョンに行くって呼ばれちった。つっきーも来れないか聞いてきてるけど断るよ?』
「あいよ」
本当に多江とは他愛の無い話ばっかりだが、とても良い時間だ。
『ほーい。いやぁ楽しみにしてたんだよこれ! 一時間後に行くって言ってるから気が変わったら準備しなよ』
流石に一時間で回復するような状況にはないので、ここは我慢だ。
『お、チャット返って来た。明日よーちんの家行くね!』
別に多江が陽太郎と遊ぶと宣言しているんじゃない。
一人暮らし同然の陽太郎の家はほぼ遊び場と化している。
「本気で来るのかよ」
『あははー! あたしに二言はないぜぇ。でも安心してくれていいぜ、なっちゃんも来るから』
白馬が来てもなぁ。
『お、にーも来るってさ』
言うまでもなく瀬野川仁那のことだ。勢ぞろいじゃねえか。
「分かった。俺はここで枯れて死ぬ」
『あははーそんなこと言うなよ。あ、そうだ、明日ちょっち真面目な話するから宜しくね』
何を言ってやがる。
大体多江の真面目な話なんて手に入れたいフィギュアの共同予約か2.5次元舞台のチケット戦争だ。
「今言ってくれよ。忘れられても困るし」
売れる恩は売っておかないとな。当選経験ゼロだけど。
『え? そういう件じゃなくてぇ……なんつーか、言うには決意がいるっていうかさ……』
なんだかいつもの調子と違うな。
俺のネガティブ回路が発動する前にいつもの調子を取り戻してくれ。
『と、ところでさ、つぐとよーちんはどんな感じよ? 最近』
「ふぇっ!?」
心臓が止まるかと思った。
多江の声は明らかに本気だ。
『ど、どしたん?』
「ん? あ、いや……えと、なんも変わらねぇよ。あいつら告白されまくりなのにな。俺まじ可哀想」
思わず茶化してしまう。なんだか、どうにも嫌な予感がする。
『あははー。我々の業界の人間はそんなもんよ。ちなみにつっきーはお手紙自動返信サービスまだやってるの?』
「うえっ!?」
また心臓が止まるかと思った。
俺のナンバーワン黒歴史を思い出させてくれるなよ。今も思い出す度に声を上げそうになるんだぞ。
陽太郎と嗣乃宛のラブレター的な手紙を本人達に託されては返信をしていた。
「も、もうしねーよ。他人の手紙なんて開いちゃ駄目だろ普通」
『へ、へぇ、もう手紙は勝手に読まないんだね?』
「読んでたまるか。高校入ってから手紙なんて一通も見てねぇし」
きょうび手紙で告白なんてなかなかないと思うが、俺達の中学は例外だった。
女子はおろか男子までもがやたら華美な便箋と封筒を持ち歩くほどのブームだったのだ。陰キャ以外と注釈は付くが。
陽太郎と嗣乃、そして多江もよく手紙を渡されていた。
呼び出しには極力応じてはいたが、手紙かメールで返事を求める分については俺が対応していた。
二人とも相手の好意を突っぱねるだけで傷ついていたからだ。
陽太郎は始めて面と向かって交際を断った時は涙を流していた。
自分が好かれる意味すら分かりかねているのに、相手に泣かれてしまったので混乱したらしい。
嗣乃は傷つきながらも気丈な態度を取っていたが、断った相手に襲われてからは瀬野川に同伴を頼んでいた。
それでも二人は呼び出しには応じていた。できる範囲で相手に配慮していたのだ。
俺はせめて二人の助けになりたいと、あいつらの下駄箱から机の中に仕込まれた手紙を開いて読むような行為を犯していた。
でもそれ以上に俺を突き動かした手紙が多かった。
本人達に見せられない不幸の手紙を通り越した呪詛のような物があまりにも多かったのだ。
「おーいつっきー?」
ただまぁ、義侠心も最初の内だけだった。
最初は二人のためだと思っていたが、途中からは多分手紙を開くのを半ば楽しんでいた気さえする。
『おーいつっきー? 大丈夫けぇ?』
「……自分のクズっぷりを思い出して鬱になってた」
『いやいや正当っしょ。先生も手紙は開けずに捨てろって言ってたし。大体手紙を机とか下駄箱とかに忍ばせるなんて不確実な手段っしょ?」
軽いなぁ。
俺の気分も少し軽くなったが。
『あたしは全部ぽいーっとしてたよ。全部不幸の手紙か罰ゲーム告白みたいなんだし。あれには結構心えぐられたねぇ』
何言ってんだ。
多江のせいでパソコン部は部員があふれていたってのに。それくらい愛くるしい姿をしていることを認めようともしないとはどんな自己評価だ。
多江の自己評価の低さは中学の半分以上の間、いじめを受けていたことが原因だ。
狙われた理由はまぁ、妙に整った顔立ちと偏った趣味だろう。
しかもコミュニケーション能力もそれなりに高かった。分け隔て無い態度が男に媚びていると思われたんだと思う。
俺もいじめられっ子体質だから分かるが、いじめられている側はいじめている側の放言をすべて真に受けてしまう節がある。多江は今でこそ明るく腐女子人生を謳歌しているが、その頃の傷をまだ引きずったままなのは言葉の端々に見え隠れする。
「……いや、俺は他人宛の手紙を開けてたんだぞ?」
『じゃーあんなやべーもん全部本人に見せた方が良かったって思うん?』
「い、いや、それは」
まだ自己弁護をしているようで気分が悪いが、その通りだ。
あの二人に届く手紙は恐怖を感じるくらい重い物が多かった。
陽太郎は中学生女子の理想を絵に描いたような奴だったし、嗣乃は見た目以上にどんな男子に対しても分け隔てがないからよく好意があると勘違いされた。その点は多江と同じだった。
そのせいか分からないが、やたらと思い詰めたような手紙が多かった。そして断られた相手や、返事を受け取っていない相手からの復讐めいた手紙は危険極まりなかった。
「で、でも、駄目だろ?」
『だーかーらー! 駄目じゃないって! 少なくともよーちんとつぐは安全に学校生活送れたんだからさ!』
「そ、そういうもんかな?」
『そういうもんよ。それにさ、あんだけ可愛い子達とかイケメン達とかのメールアドレス全部知れる立場にあったのにさ、ちゃんと破棄してたでしょ? あたしだったら転売してたかも分からんぜぇ? まぁ、そんなに気にするならもう二度としなければいいじゃないの』
あんまり褒めないでくれ。
腰が痛いのに起き上がりそうになったじゃないか。
「う、うん。あいつらがまた手紙を持って来たら言うよ。ちゃんと自分でなんとかしろってさ」
『うんうん。誰が分かってくれなくてもつっきーが二人の代わりに傷ついてたのはあたしがちゃーんと分かってるからさぁ』
必死だったのは確かだ。
危険極まりない手紙の中身は陽太郎にも嗣乃にも見せず、引き出しの奥底にしまってある。今もどう処理して良いか分かったもんじゃない。
『……まー、その、だから、つっきーにはあたしの最大に近い秘密を打ち明けて進ぜよう』
「き、急に偉そうだな」
あぁ、すごく気分が良い。
傷ついているなんて大袈裟な表現に感じるが、事実だった。
お前の秘密は俺が守るぞ、多江。なんて口に出しては言えないけど。
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