変わる日常、残る日常-3

 多江は息を整える必要があるのか、ブホーとマイクに息を吹きかけた音がした。

 深呼吸が必要なくらいの秘密ってなんだ。


『え、ええと、つっきーはさ、よーちんとつぐのこと、実際どう思ってんの?』

「うぇ!?」


 パチン、と何かが弾けたような音が頭の中に響いた。

 本当にパチンと音がした。


「お、お前がBLに話を持って行かないのはちょっと不思議な感じがするな」


 思わず茶化してしまう。


『あははー。ここは冗談言う場面じゃないぜぇ? 二人がさ、もし別々の相手と付き合ったとして、どう思う?』


 真面目に答えろってか。

 一度浮いていた心がどんどん沈んでいく。こんな質問をされたら、嫌でも多江の魂胆が見えてしまう。


「んー……まぁ、あいつらがそれでいいなら」


 これは本音のつもりだ。

 正しくは、今本音が変わってしまった。

 あの二人に決められた未来を押し付けても仕方ないと気付いたのだ。


 ……いや、違う。

 きっと俺はどんな形であれ、三人一緒にいられることを望んでいるんだ。

 自分の母親達がそうしている様に。


『ほ、ほほー。ならさ、つっきーはつぐのこと、どう思ってるの?』


 言うに事欠いて何言ってんだ。


「嗣乃と俺ってそりゃあ駄目だろ。嗣乃を見くびんなよ!」

『な、何そのキレ方? あたしは全然アリだと思ってんのに!』


 へ? まじで? ……なーんて思わねぇ。

 多江は他人の気持ちに敏感な奴だ。ブサメンに気を使ってこんなことを言っているのは間違いない。

 たとえ俺が嗣乃に釣り合うイケメンだったとしても、嗣乃と恋人関係なんて気を使い合わなきゃならない相手になられてしまうのはちと困る。


「あのな、嗣乃はまぁ、そういう関係になるにはある程度対等じゃなきゃいけなくなっちゃうだろ。そんな無理だっての」

『へ? ええと……そりゃどういう意味?』

「だ、だから、あいつは姉だったり妹だったり親友だったりしてくれないと困るんだよ」


 うわぁ、なんて甘えた奴なんだ。俺って。


『へ、へえー。つぐのこと恋愛的に好きって訳じゃなかったのか……えと、ドサクサに紛れて好きな人とか聞いて良い……?』


 焦ってるな。

 俺との取引のアテが外れたんだから当然か。


 はーあ。

 俺がもう少し健全な人間だったら、『お前だよ!』なんて言ってしまえるんだろうな。でも俺は自分の立場をわきまえている。

 女子とどうこうして良いような人間じゃないんだよ。


「はぁ、んなことはどうでもいいだろ。秘密はなんだよ。俺の小っ恥ずかしい内心引き出しておいてやっぱやめたは通用しないぞ」

『え? あ、あははー……今日のつっきーは辛口だねえ。いや、その』


 早く言ってくれ。

 早く言って俺を谷底へ突き落としてくれ。


『うんと、その、話の流れから分かると思うけど……と、とにかくさ、つっきーは今好きな人とか、いない?』

「俺お子ちゃまだから二次元から卒業できてねーの」


 まぁ、多江とどうこうなりたいなんて図々しい思いはなきにしもあらずだよ。


『そ……そっか』


 やや重い沈黙が流れた。

 多江は嗣乃と陽太郎の間柄がはっきりしていない状況にあって、俺も嗣乃に思いを寄せているから停滞しているのではないかと踏んだんだろう。


『ええと、ね……あの、もう、分かると、思うけど……』


 ずるるっと鼻をすする音がした。


「……悪いけど、お前の助けにもなれないと思う。ごめん」


 俺も大概自己中心的だ。

 多江が陽太郎と仲良くする姿なんて見たくないし、陽太郎とうまくいかずに泣く姿も見たくない。嗣乃が陽太郎以外と仲良くする姿も想像したくなかった。


『さ、先回りされちゃうと、なんて言っていいか分からなくなっちゃうねぇ』


 そうだろうよ。

 お前を困らせるために結論を先に言ったんだからな。


「じゃぁちゃんと言ってくれよ。多江、お前は誰が好きで、どうなりたいんだ?」


 本当はここまで多江を追い詰める理由なんてない。

 ただの嫌がらせだ。


『き、今日は勘弁してくんないかなあ?』

「そりゃ許しまへんでぇ、お多江はん」

「そ、そうですよね……ふぅ、」


 大きく深呼吸を何度か聞こえる。


『うーん……会った時から気になってたかも?』


 それはまた、甘酸っぱい話だな。


『で、でもさあ、最初は見た目だけだったんだと思うんよ。だってつぐとバカやったりこうしてつっきーとゲームやってる方が楽しいしさ。でもよーちんって誰に対しても優しくてさぁ……あたしが日光ギャル軍団の慰み者にされてたの助けてくれたし。それで、気がついたら目で追ってたっていうか』


 ほう。誰にでも優しいのはプラスなのか。節操なしと思われると思ってた。

 慰み者って表現は誤謬ごびゅうだと思うが。


 日光ギャル軍団とは中学の頃、多江をもてあそんだ猿のごとくうるさい集団に瀬野川が付けた名前だ。


『いやぁ、あんなに優しくされると女子は弱いんですよ。あはは』


 ふむ。

 陽太郎に顔以外の良い部分を見出してくれるのは素直に嬉しい。


「他に?」


 何が女子の心に刺さるのかは純粋に興味が出てきた。

 優しくされる以外にはなんだろう。


『え? うーん……他には無いかも。なんつーか、誰かが隣にいないとよーちんは絶対生きていけないなあって思ったりするかなー。それが自分だったらいいのになーとか。あはは、ラノベみたいなこと言っちった』


 はぁ、そうか。

 これだけ俺とばかり話していても、心は陽太郎の方を向いていたのか。


 しかし、不思議だ。

 何故か俺の意識は多江の想いを何とかしてやれないかと考えてしまっている。今こっぴどく振られたってのに。

 多江はやっといじめる連中から投げつけられた言葉の呪縛から開放され始めているのかもしれない。なら、それを後押ししてやりたいと思ってしまう。


『おーいつっきー? もしかして呆れてる?』

「んー……俺は目で追ってたなんて経験ないなぁと思ってさ」


 大嘘。酒匂多江を思い切り目で追っていた。


『そっかぁ。同じクラスだった時はつっきーとよく目が合うからさぁ、多少あたしに気があったりしてくれるのかなぁ? あたしも捨てたもんじゃないのかなぁ? ……なんて自惚れてたんだけど。気持ち悪くて面目ない』


 やべぇ。男の嫌らしい視線ってバレてるんだな。


「んで? キモいと思ったの?」

『またすごい質問だねえ。気持ち悪いとか思ったらこんなに毎日しゃべってないって!』


 そうか。この点は喜んでおこう。


「にしてもなんで俺が嗣乃を狙ってるなんて勘違いしたんだよ?」

『そりゃーつぐっていつもつっきーとばっかり漫才したり口喧嘩してるし、何年も一緒にいる夫婦っぽいなあって思ってたんだよね。にーもそんなこと言うしさ』

「はぁ? ありゃ兄弟喧嘩だろうが」

『そ、そう? それはそれで羨ましいねぇ』


 なんだそりゃ?


『常に正直な気持ちをぶつけ合える相手って貴重だよ? そういう相手がいるだけで、少なくともその相手に対しては正直でいられるんだからさ』


 確かに二十四時間ほぼ一緒にいる相手がいれば隠しごとなんてできやしない。


『あたしも少し嘘つきなところがあるからさ、つっきーとつぐに会って自分を改めようって思ったんよね』

「そりゃいい反面教師を選んだな」

『違うっつーの! あたしさ、頭の中で作ってみたんよ。二十四時間一緒にいる誰かってのを想像してみた訳よ』

「え? お、お前それタマちゃんとか名前つけてないだろうな?」

『あ、まぁ確かにアレを意識してるのは事実だけどさ、最後まで聞いておくれよ。つまりね、その子には全部バレちゃうんよ。どんな嘘をついてもさ。あたしなりの正直になる一つの手段よ。つっきーもそうでしょ? つぐとよーちんがいるから人に嘘つかずに過ごせてると思わない?』


 なるほどな。

 でも、俺は現在進行形でお前に嘘をついているけど。


「ま、まぁ、そうだな。そろそろ切るぞ。こんなに毎日通話してたらよーに振り向いてもらえねぇぞ?」


 はぁ、終わった。

 これからもずっと続くと思っていたこの二人の空間は今日でおしまいだ。


『え? どういう意味?』

「え? じゃねぇよ。あいつら最近俺と多江が話してる時は部屋からいなくなるんだぞ。この意味分かるか?」


 沈黙が走った。


『お、おぉ……そう……かなぁ?』

「あのな、これこそお前が選んだことなんだよ。片想いしててそれ以外の男と何時間も話すなんてあり得ないだろ? 俺男だよ? 恋愛対象は二次元とはいえ男だよ?」

『ご、ごめん、そうだよね……いやぁ、なんでだろ? そんなこと考えてなかった……あはは……あら、あらら?』


 途中からどんどん涙声になっていくのは聞いてて辛かったが、仕方ないだろ。


『ご、ごめん……つっきーとはずっとこうしていられると思ってたよ』


 俺もだよと言いたかった。

 でも、ここで多江を突き放さなきゃならない。


「無理に決まってるだろ。まず俺との誤解を解くことから始めろよ。それからその、嗣乃には悟られないようにしろ。俺が言うのもなんだけど、あいつに知られたら何するか分からねーぞ」

『へ? あ、うん!』


 うっかり助け舟を出してしまった。外野でいようと思ったのに。

 媚びへつらうことについては一流の安佐手月人さんは誰の味方でもあるらしい。


 まぁ、多江が陽太郎に振られて俺の方を向いて来てくれるんじゃないかという淡い期待もないではないけれど。




「ふわぁ……はぁ」


 それからどんな話をしたか全く覚えてはいないが、俺はあくびをかみ殺しながら天井を眺めていた。

 色々したいことはあれど、やる気は起きなかった。


 今はとにかく、陽太郎が心配だ。

 あいつはどうも人を少しでも傷つけないようにしたがる分、自分が傷ついてしまう。

 多江が傷つくのも見たくない。

 それに、一番深く傷つくのは陽太郎に尽くす嗣乃かもしれない。傷付くのも今までの献身も無駄……家族としては無駄ではないんだが、あいつ自身が無駄だったと悔やんでしまうのは嫌だった。


 気が付くと、空が少しずつ明るくなっていた。

 一瞬目を閉じた隙に、眠りへと引き摺り込まれたんだろう。

 もう一度目を閉じれば眠れるかもしれないが、その前に少し考えをまとめておかないと。


 俺はどう動けばいい?

 今、陽太郎の隣には誰にもいないのだ。

 誰に狙われて誰が射落とすかは決まっていない。そもそも高校生ごときの惚れた腫れたが一生影響する訳がない。一ヶ月で別れてお仕舞いなんてこともあり得るんだ。


「……なーんてなー!」


 少し声が漏れた。

 もう既に誰かが傷付くことが確定しているこの状況に、耐えられない。こんな連鎖が続いたらと思うと最悪だ。


 フロンクロスがもし陽太郎が気になっていたら?

 瀬野川はどうだ。密かに陽太郎を狙っているかも分からんぞ。あんなに斜に構えた奴が生徒自治会に入るなんて。


 はぁ、なんで俺は他人のことばかり気にしているんだか。

 失恋して落ち込まないといけないはずなのに、不思議とその感覚がやって来なかった。


 他人はおろか、自分の気持ちすら分からない。

 俺は一体、どうすれば良いんだろう。

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