2-19 未熟者の末路


​ 深夜。

 夜風を切り裂きながら、漆黒の翼が羽ばたく。

 人を避け、街灯を避け、向かう先は、あの手紙が示した場所。

 ケッセルハイム邸。

 素性も知れないその人間は、わたくしの秘密を知っていると脅し、“交流会”とやらに、わたくしを呼びました。


 上空を、竜騎兵団の方々が警戒を怠っているとは思えませんが、限りなく低空なら見つかることもないでしょう。

 こんなことは、できるだけ早く、済ませたい。

 音もなく訪れ、騒ぐこともなく、事を終わらせてしまいたい。


 深くため息をつく。

 家を出る前、本当は黙って行こうと思いました。

 ですが、わたくしがベッドのシーツから抜け出し降りようとすると、手を握られたのです。


「どこへ行くの?」


 無邪気そうで、その深淵な黒の瞳には心配する気持ちが隠されています。

 普段の振る舞いとは全く異なる不安を持つご主人様。

 そんな瞳の持ち主はシア様。


 ああ、シア様。そんなお顔をならさらないで。

 そこまで知っておきながら、わたくしは何てことをしてしまったのか。

 自己嫌悪と申し訳ない気持ちが湧き上がってきます。

 また間違ってしまいました。

 最低限でもいいから、ご主人様には伝えて、決めていただくおくべきだったのです。


「ごめんなさい。シア様。少々、外でやるべきことがあります」

 全て言うと、きっとご主人様には迷惑がかかってしまう。

「そっか。すぐに帰ってくる?」

「はい、日を昇る前には必ず」

「なら良し! 行ってらっしゃい」

 シア様は、そんなわたくしの考えも見抜いているのかもしれません。

 だから、背中を押すように応えてくれるのでしょう。

「シア様。内容は聞かないのですか?」

「うん。ゾフィーが言いたくなったら言ってね」

 シア様はそう言うと、耳の後ろに流れる髪に手を差し入れ、優しく撫でてくれます。

 穏やかでもありながら、疼きを覚える心地よさ。

 本当にシア様、シン様はお優しい。

 わたくしはどうしても、自分が迷惑をご主人様に持ち帰りたくありません。

 わたくしはもう災厄を届けたくない。

 だから、ごめんなさい。ご主人様。

 わたくしはわたくしで事を終わらせるのです。



    ●



 着いた先は街の北部。

 未だに明かりまばゆい大きな屋敷。

 わたくしは念のため、掲示上において、名前を伏せ、外見も変えます。

 髪を一本に結い、目から下をベールで覆い、服装も変え、身軽にしてます。

 露出が気になりますが、ちょっとした変装です。


 手紙によるなら、わたくしの身辺について、ご存知らしいのですが、あくまで、密やかに物事を済ませるため。第三者のことも考えた上です。


 明かりが洩れている二階のテラスへそっと降り立ちます。

 カーテンの隙間から覗くと、豪奢な広間に物々しい出で立ちの男たちが整列しています。

 刺繍された赤い絨毯には似つかわしくない泥が付いた膝下丈の革靴が並び、腰元には各々の武器をぶら下がっております。

 彼らが、注目している壮年の男が一人、演壇にて身振り手振りを何かを話しているようです。

 その壮年の男は、他と異なり、身綺麗な格好をしています。

 屋敷の主でしょうか。

 呼ばれてきたものの、堂々と訪問すれば良いものか。

 隙を見て、大鎌の一振りで全てを断てば良いものか。

 いえ、それは乱暴な判断ですが。


 そう考えていたら、おそらくケッセルハイムである男の動きが止まりました。

 と、認めた束の間。

 突然壁から現れる手。

 わたくしを絡めるように、テラスから伸びる。

「くっ!」

 捕まえようとするゴツゴツとした石の腕から、身をよじりかわします。

 呼び出した大鎌の柄で、腕を粉砕。

 幾つも現れる手から、逃げるように空中へ上がります。

 流石にここまでは伸びてきません。


 男たちが騒然と、テラスへ出てきます。

 殺気立っている者、好戦的な者、わたくしの姿に何かを覚える者。

 彼らは、以前会った荒くれ者と同類なのでしょうか。

 ならば、屈服させるべき敵でしょう。

 そう思い、鎌を握ると、男たちが一筋の間を空け、列を組みました。

 その間をカツカツと主らしき男が歩き、テラスの縁へ。

 見上げる形で、彼がわたくしと相対する。


「誰ですか。あなたは?」

 尻上がりな発音が鼻につく。

 男はわたくしを見て、誰だかわからないようです。

 手紙には、わたくしの身上を知っているとありましたが、なぜ?

 そもそも招待されているのではないのでしょうか?

 送られた手紙とは無関係?

 それなら、それでいい。

「わたくしは魔族。名など告げるものはありません」

 禍々しい翼が羽ばたく。

 魔族であることを示し、一種の示威を行う。

 手紙では知っているとのことでしたが、どちらにせよ、それにより、大人しくなってくれれば良いと思ってました。ですが。

「魔族ですかぁ〜? しかし、我々が知っている方とは異なりますねぇ」

 魔族に対して、あまり恐れを抱かないようです。

 加えて。

 知っている方と、彼は言いました。

 どういう事なのでしょう。


「まぁいいでしょう。魔族の癖に位階も見せないとは、如何にも下郎」

「あなたは魔族と交流があるのですか?」

 そう言いながら、彼の掲示を見ます。


名前:ノリストラ・ケッセルハイム

種族:人類

所属:トラシント公国

位階:男爵


 掲示上、彼はただの貴族です。

 何らおかしいところなく。

「下郎に話すことはありませんよ。むしろ、あなたに話していただきます」

 ケッセルハイムが手に持つロッドを払う様に振ると、地鳴りと共に、辺りが暗くなっていきます。

「何が起こって……っ!」

 月明かりが遮られております。

 わたくしを、この屋敷を、覆うように盛り上がる土壁。

 大規模な土魔法。

 それは、逃げられないように、すっぽり半球で包むような土の囲い。

「迂闊なお嬢さん。翼があれば逃げられると思っていたツケですよ」

 ケッセルハイムがロッドの先端で床を叩く。

 覆う土壁から、鋭い棘が隆起。

 咄嗟に、土の壁伝いに家の反対側まで、飛びます。

 立ち塞がるように突き上げる棘を鎌で薙ぎ払い、家への侵入を図る。

 反対側にもテラスがありました。

 構う事なく、窓を割り、内部に入り込みます。


 呼ばれてきたはずなのに、突然のこの待遇です。

 あの手紙の差出人は別なのでしょうか。

 話を聞く必要がありますね。

 まずは、あの男を止めないと。


 広間には、大勢の男たちが反対側から囲みを縮めてきます。

 男たちは総出でにじり寄ります。

 わたくしなんかより余程下郎らしい百人程の彼ら。

 手を離れ、踊る大鎌は静かに男たちの足元を狙い、床を舐めるように大きな弧を描きます。

 それを察知するのは半数以下。

 続けざまに足を切り落とされていく男たち。

 驚きと痛みで叫びが満たされる広間。

 避けた者の中で、鎌に近い者へ刃が振り下ろされます。

 正直、相手に気を使う余裕はありません。

 死に至らないだけマシとでも思っていただきましょう。


「退がれ、先走るんじゃない。全く」

 悪態をつきながら、男たちの後ろから姿を見せるのはケッセイルハイム。

「失礼しました。知能が足りない男共ですので、己と対峙する相手が魔族であることも、ほら、すぐに忘れてしまうのです」

 悠然と歩きながら、ロッドの鞘を抜き、短い突剣を構える初老の貴族。

 しかし、屋内で土魔法は使えない。

 屋内の石材を使ったとしても、家が崩壊する。

 散った男たちを背景に、血に濡れた大鎌を手元に。


「ふっ!」

 細身の老人とは思えない踏み込みから繰り出される剣撃。

 鎌の柄で、剣を叩き上げ、空いた脇に鎌の刃を滑らせようとしましたが、刃の腹への肘打ちから手にある剣が顔を狙います。

 転がるように避け、その間に手を離れた大鎌が踊ります。

 旋回する死の踊り。

 しかし、ケッセイルハイムは踏み込み、鎌の内側、柄の部分へ入り込みます。

 勢いのある柄に打ち据えられるも、受身を取りつつ軽やかにわたくしを小剣の圏内に収めます。

 鎌を操作しても、彼我の距離が近過ぎる。

 咄嗟に予備の短剣を出すも、跳ね飛ばされる始末。

 身長差から自分の頭を通り過ぎる高さで、大鎌を振るう。

 大振りなので、当然避けられるが、彼が保身に回った隙に、空間移動の術を編み上げる。

 屋内の移動は少々難しいですが、姿勢を直したケッセイルハイムの手から逃れるように、彼からできるだけ距離を置きます。

 直前に大鎌も何とか掴めました。


 ふぅ。

 一息吐きます。

 ずいぶんと分が悪い相手です。

 相手にとって、得意だと思われる土魔法が拘束されていることを差し引いても、わたくしは飛行もできず、苦手な間合いばかりで責められます。

 リリアを相手にした時は不覚を取られたものでした。

 なら、わたくしの得意な間合いを保持し、決定的な一打を加える事が理想。

 幸いなのは、屋内では邪魔な大鎌の大きさを無視できるようになったこと。

 よし。参りましょう。


 詠唱を行いつつ、大鎌を床の下へと潜らせる。

 異様な速さで接近する彼に氷の礫を浴びせます。

「小癪!」

 身を屈め突き進むケッセイルハイム。

「クリスタルランス!」

 雹の雨を抜けた先には氷の槍を。

 これが当たれば、装具もない生身の人間なら一撃です。

 加速を得て、氷槍が彼に飛来。

 礫を無視するようにケッセルハイムは腰を落とし左手で柄尻を押さえ、小剣を真っ直ぐ槍に正対させていた。

 それは氷槍の矛先を僅かに逸らしたとしても、砕けるものではありません。

 直撃。


 しかし、冷気が消失する白煙の中、ケッセルハイムは立ち続けていました。

 小剣の持ち手を中心に庇うように広がる硬質な土の防殻が現れる。

「思ったよりも、練度が浅く助かりましたね」

 球面のそれは槍の威力を削ぎ落とし、貫くことはありませんでした。

「歌唱による発現は大火力と思ってましたが。いやいや、未熟、ということですかねぇ」

 再び距離を詰め始めるケッセルハイム。

 防殻を構成する土の一つ一つが、突剣となり、刺し迫ります。

「やはり、下郎ということですね、あなた!」


 その土がどこから来たのか知る由はありませんが、彼は油断しました。

 容赦が無いような、直接的な攻撃。

 決定的な一撃を。

 今!


 床下を潜行していた大鎌が罠の如く、その刃が姿を現し、背後からケッセルハイムの半身を切り裂かんと風切り音を上げながら驀進。


「!?――がっ!」


 音に気付き振り向いた時には、防殻ごと彼を縦に割りました。

 これで終わりです。


「………………?」


 上がるはずの血しぶきはありません。

 代わりに、ぼろぼろと断面から崩れていく土の山。

 彼の体内には土そのものが充満していたのです。


 そしてケッセルハイムはまだ死んではおりませんでした。

 ガクガクと動きながら、割れた顔がこちらを向きます。

「見ぃまぁしぃたぁねぇぇ!」

 土が噴き出ながらも、口から声を出す男。

「ひぃ!」

 びっくりして声が漏れました。

 人非ざる存在。

 掲示上、彼は確かに人類でした。

 しかし、これでは魔族の類い。

 疑問が浮かびながらも、恐怖に駆られ、動きを止めたケッセルハイムを大鎌で刻みます。


 一閃。二閃。

 数回薙ぐと、彼は砕けた石像のようになりました。

「これで大丈夫……でしょうか」

 他の男たちがざわつく中、わたくしはほっと一息落ち着きます。


 その一瞬。


 たったその間に、人であった土塊に隙を晒してしまった。

 わたくしの核を狙うように、鋭い棘が伸びる。

 それはもう避けられない。


 迂闊でした。

 わたくしは、あの魔族、クライスにご主人様が刺されたことを止められなかったように、魔族になった自分の命も守れないのでしょうか。

 未熟。

 ケッセルハイムの表現は的確です。

 わたくしは未熟故に、やはり死んでしまうのです。

 ごめんなさい、シン様シア様。

 ごめんなさい。



「――させない!」


 蒼色に発光する刃が棘を砕き飛散させる。

 訪れなかった死。


 代わりに、眼前には光が差していました。

 振り向いた姿は愛しのご主人様。

「大丈夫? ゾフィー」

 そこには、シン様の生真面目な笑顔を見せつつも、シア様の不安がやわいだ優しい瞳。

 シン様でもあり、シア様でもある。


 シンシア様。


 ああ。

 ごめんなさい、ご主人様。


 ご主人様――

 ――ありがとう。

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俺と私が一心同体な異世界事情 春見悠 @koharu

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