220話

 広場に居並ぶ十数台の荷馬車が出立に備えてだろう、次々と移動を始め、慌ただしさを増す気配を察してか馬車を引く馬たちも興奮した様子を見せる中、人間たちはと言えば広場の各所で傭兵たちと群衆の間で口論、と呼ぶには一方的な問答が繰り広げられていた。

 

 「悪いが俺たちも慈善事業でやってるんじゃないんでね」


 事前に用意していたのだろうか、荷馬車から手早く予備の剣を掴み取り、自分へと鞘ごと差し出す傭兵の男を前に、混乱の中、茫然と状況を、成り行きを眺め見ていた男は、この突然過ぎる傭兵の行動の意図を理解出来ず思わず首を傾げてしまう。


 「ああっ……たくっ、面倒臭せえ連中だな、戦力にならねえなら此処に置いていく、足手纏いは必要ないからな」


 ほらっ、と再度意思を確認する様に剣の柄を揺らして見せる傭兵に、男はやっと事態を理解したのだろう、見る間に顔を青褪めさせていく。


 「まっ……待ってくれよ、俺は剣なんて握った事も……そ、それに護ってくれるって言うから着いて来たのに……それじゃあ約束が……」


 必死で抗議する男の周囲でも同様の遣り取りが行われているのだろう、時に怒号の様な声が飛び交っていたが、今の男に他者を気遣う余裕などある筈も無く、まして内容など耳に入る筈も無く、懸命に目の前の傭兵を説得しようと訴えかける。


 「ぐだぐだと五月蠅えな……お前、勘違いしてんじゃねえぞ」


 最初は男の訴えを冷やかな眼差しで眺めていた傭兵の男は、次第に興奮した様に熱を帯びて来る男の声音に苛立ちを隠せぬのだろう、軽く舌打ちすると次の瞬間には男の胸倉を野太い腕で掴み上げていた。


 「此処はもう戦場なんだよ、助けて欲しけりゃ対価を払いな……払う金が無いなら剣を取れ、何方も出来ねえ腑抜けなら邪魔にならねえ様に死んでくれ」


 「そ……そんな勝手な……」


 傭兵の怒気に触れ狼狽した様に男は誰かの姿を追い求める様に視線を彷徨わせ……そんな男の姿に傭兵は呆れた顔で頭を掻くと男を突き飛ばし背を向ける。


 「人の好い姫さんは此処にはもう居ねえよ」


 と、男が誰に期待を、誰に縋ろうとしているのかを知る傭兵は一掃に冷やかな声で告げてやり……捨て台詞を残して足早に立ち去る傭兵に、男は後を追う素振りも見せず只その場に立ち竦む事しか出来なかった。





 「半数は残るかしら」


 「どうだろうな、所詮は烏合の衆……覚悟を決めろと言ったところで、早々と腹を決められる程肝の据わった連中とも思えんからな」


 それに、そんなに残られても迷惑だしな、と。


 ルーザーは心の内で思えども口には出さず無言で群衆を眺め見ている美女の下へと視線を送る。


 幸いにして、と言うべきか……いや、意図した編成であったがゆえに、寧ろ当然と言うべきなのだろう、広場に残る群衆の中には女、子供、そして老人たちの姿は無く、歳の頃には差はありはするが、残る者たちは男たちだけであった。


 女、子供、老人、そして病人や傷病者などを優先して街から退避させていたゆえに、エレナの意向が強く反映されていた避難策の結果と言って良いであろう、避難民の最後尾、殿たる集団は比較的健康な男衆で構成されていた。


 だが値踏みするかの如く群衆を見据えるルーザーの眼差しは実に冷やかなモノ

であった。


 それが例え最悪な状況に備えて、と言う意味合いが多分に含まれていた筈の構成であろうとも、実際に最悪の事態に遭遇した場合、連中が矢避けの肉壁程度にしか役に立たなぬ事をルーザーは弁えてもいたのだ。


 何故ならば覇気の在る男衆は既に剣を取り護衛として街を離れている……言ってみれば最後まで残った此処の連中は出し殻の様なモノ……そんな腑抜け共に今更覚悟を決めろなどと迫ったところで結果など目に見えている上に益も無い。


 それを分かっていながらも、ルーザーが敢えて行っている選別行為には当然エレナの意向とは異なる別の目的がある。


 「姉さんはどうする? あんたが正門に往くってんなら止めねえが」


 ルーザーが見上げる視線の先、正門の方角に発生している黒い霧が、風上である筈の此方へと徐々に広がりを見せている異様な光景を前に、女は、アニエスは否定する様に首を振る。


 「アレが真っ当なモノとは考え難いわね……ならアレに覆われるまで此処に留まるのは」


 「自殺行為だわな、常識的に考えて」


 アニエスの言葉をルーザーが重ねて綴る。


 何よりもエレナが戻らぬ事が事態の深刻さを物語っている……何が起きているかまでは分からずとも、最早当初の計画通りに正門を抜けて街を離れるのは不可能であろう、と思わせる程度には、十分に切迫した気配を、空気をアニエスもルーザーも感じ取っていた。


 ぐぅ……ぐげぇ。


 と、場の緊張感にそぐわぬ潰された蛙の断末魔の如き鳴き声に、面倒げにアニエスは視線すら送らず右の足で声の元を踏みつけると、再び同様の苦悶の声が漏れ聞こえ……アニエスの足の下、顔役の男が地を舐めるが如く顔面を横たえている。


 美女に足蹴にされる男の図、と言えば一部の特殊な性癖を持つ者たちにしてみれば至高の構図と言えなくも無い、が……現実とは常に理想とは異なるモノで、過剰な暴行の痕がありありと窺える腫れ上がった顔面を地に伏せ、折れた鼻から、前歯を圧し折られた口元から垂れ流される血で路面を濡らす男の表情に愉悦などが見られる筈も無く……半死半生の体で為すがままにされるその惨めな様は憐れみすら感じさせるモノであった。


 「嘘は無いんでしょうね」


 「ほ……本当……だ、だから……殺さ……ないで」


 「弁護する訳じゃないが、まあ……まんざら有り得ない話じゃないだろうな」


 と、次の瞬間には男から足をどかしたアニエスに代わりルーザーが最早抵抗する気力も残ってはいないのであろう、顔役の男を担ぎ上げると確認する様にアニエスを見る。


 この手の話はどの街でも存在する……顔役の男から聞き出した情報は、話は、言ってみれば都市伝説の類のモノ。


 シャリアテの外壁には、隣接する貧民街には図面に残ってはいない隠し門と呼ばれる小門が存在すると言う……まさに噂話の域を出ない与太話である。


 それにこう言った話はオーランド王国内の各地で、それこそライズワースやセント・バジルナの様な大都市でも囁かれる有名な都市伝説の一つであり、実際に見たという生き証人が現れぬ……酒場での酒の肴、賑やかし、と呼ぶべきモノ。


 「信じられる話だと?」


 「命惜しさに偽るには不出来な作り話だしな、それに姉さんは知らんだろうが、あそこは元々は外壁を作る為に集められた職人や労働者たちの為の住居群が巡り廻って隔離区画の様な場所になっちまった所だ……そうした経緯を考えてもこっそり手近な所に出入り口を作って置いたとしても……まったく無い話でもないだろ?」


 「作業効率を考えて通用門の様なモノを作っていたと?」


 「かもな……だがこの街じゃあ、別の意味で重宝されるからな」


 貧民街が面している西面は、外壁の先は、直ぐに運河に突き当たる狭量な地形であり、土地である……一般的に考えても街道への分岐路として機能させるには立地的な面で難しく、交通の便を図ると言う用途には適さない。


 だが当時の情勢下、或いはシャリアテと言う都市の成り立ちを思えば、別の側面が、意図が、其処に垣間見えはしないだろうか。


 王国の貴族が、今や先代となった領主オベリン・シャウールが赴任する以前のシャリアテは小さいが組合が自治管理する自由貿易都市であり、外壁の施工主は組合……厳密に言うのなら当時から組合長として権勢を振るっていたラザレス・オールマンであった事を思えば、からくりの一端は自ずと見えて来る。


 シャリアテ港を通さぬ不正規品の密貿易を始め、急速に発展を遂げたこの街の膿とすら呼べる暗部の、その温床の地となっていたのではないのか、という疑念。


 それらの憶測は先述した通り、噂話の範疇を出ぬ都市伝説の様なモノ。


 まして今や故人であるラザレスの罪の解明は、一代で莫大な財を成した秘密は、永劫に暴かれる事無き闇の中……しかし、そんな事はこの際問題ですら無いのだ。


 重要なのは只一つ。


 要点は只一つ。


 可能性として今尚残るとされる隠し門の信憑性に、ラザレスの手駒であったと自白した顔役の男の言を踏まえて問われれば、分が悪い賭けでは無いとルーザーは考えていた。


 傭兵であるルーザーたちは依頼を受けてこの地に残っている……しかし同時に……いや、元よりエレナの為に死ぬまで付き合う事が義務として含まれている筈も無い。


 依頼を果たす為に命を賭けはするが、生き残る為の手段を講じる事は義務違反には当たらない……事態の変化が依頼の範疇を超えたと判断すらば当然自分たちの生存を優先するのは傭兵として当たり前の権利の行使に過ぎないのだ。


 正門の突破が難しいとなれば残る脱出経路は限られる。


 しかしシャリアテが二つ星、と称される由縁とされる都市の構造として、残る東門が在る商業区画へと向かうには距離的にも、時間的にも、そして構造的にも現実的な判断とは言えなかった。


 シャリアテ港を要として東西に広がる市街地と商業区画……何方に抜けるにも最前線となっているシャリアテ港を経由させばならず、加えてこの広場からシャリアテ港に向かうには暴徒たちが略奪の限りを尽くしているであろう繁華街を通らざるを得ない事を踏まえれば……重ねて考えても真っ当な手段とはとてもでは無いが言い難い。


 ならば限られた選択肢の中で、より生存確率の高い道を選び取る。


 それはルーザーの判断、と言うよりも寧ろ傭兵として当然の思考の帰結と言い換えても良いのかも知れない。


 「準備が整い次第移動しましょう」

 

 僅かの刻、逡巡した様子を見せたアニエスではあったが、概ねルーザーの意見に理解を示したのであろう、そして一度同意の意思を定めたならば、決めたのならば、其処に迷いは見られない。


 強い女だ。


 と、荷馬車へと向かい背を見せるアニエスの颯爽とした姿にルーザーは奇妙な感慨を覚える。


 相方、相棒、呼び方は多様にあろうが、エレナとアニエスの関係は同性の傭兵同士という簡単な尺度で片付けられぬ強い絆が確かに其処に在る。


 ルーザーが知る限り常に両者は共に在り、邪推すれば番が如くそれは排他的な、冒涜的な関係すらも疑わせる程に強固な繋がりを抱かせる……だがこうしてエレナの安否が不明な現状で、取り乱す事も無く、冷静に行動に移せるアニエスの強さに、在り様に、強く惹かれるモノがある。


 個人差と呼ぶべき嗜好の違いを差し引いたとしても、同じ女として比べ見てアニエスはエレナとは大きく異なる存在。


 それは断じて悪い意味に置いてでは無い。


 エレナ・ロゼは確かに可憐で美しい……だが、命の尊さを、重さを説くその華奢な手で、呵責無く、己の善悪だけで他者の命を躊躇わず奪い去れるその在り方が。


 幼さゆえの綺麗事では無く、潔癖さゆえですら無く、自身が抱える矛盾を知りながらも葛藤すら無く自覚的に己が手を血に染められる覚悟が。


 女神と悪魔が同列の存在として語られるが如く、常軌を逸したソノ歪んだ魂が何よりも恐ろしい。


 エレナ・ロゼは純粋に歪んでいる……大切な何かが壊れている……そう確信させる程にその在り方は人の生き方では無い。


 アニエスが持ち、エレナには欠けているモノがある……アニエスに惹かれるがゆえに、ルーザーにはそれが良く分かる……理解が及ばぬ未知なる存在ゆえに、エレナ・ロゼに払拭出来ぬ不安と恐れを抱くゆえに、そうした対象には決して成り得ないのだ、と。


 一人の女として見た時、其方が魅力的かと問われればルーザーにとってそれはそう難しい問いでは無い。


 全てが済んだら誘って見るか。


 歳甲斐も無くそんな感傷染みた思いを抱く己を恥じるかの様に苦笑を浮かべ、ルーザーはアニエスの背を追う様に後へと続く。


 何はともあれ街を生きて出ねば始まらないのだから。

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双剣のエレナ ながれ @nagare

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