19章  再会と瓦解

1  『アルマーニの装いに花子の重ねた年輪を見た』


 人生は過酷な試練を与えて、その人物を試す時がある。思えば、順調に来過ぎていたのである。『おかもとガーゼンズ』のオープンより、十数年しか過ぎていない。良太にその時がやってきたのかも知れない。事業が大変なときに、父、鹿蔵の死があり、自らが癌になり、胃の全摘手術となった。前者は精神的な支柱の喪失であり、後者は、幸い命に別状はなかったが、体力、気力に影響しない筈はなかった。

 

 3年とはいえ、事業が継続出来たのは、このような良太に代わって、エミの必死の耐えた努力があってのことであった。このことを何より傍で見てきて、一番知っているのが、野々村健太であった。あの、きゃしゃな身体のどこにそんなエネルギーが隠されているのか、と思ったものである。自ら陣頭に立ち、困難な経営にあたり、販売の指揮を取り、年4回の展示会の物づくりをこなし、家庭にあっては、二人の子供の母親であり、夫の身体を案じる妻であった。

 出来る限り、力になりたいと健太は思った。商社の担当窓口として、非力であった自分の責任を思い、そしていざとなったら切り捨てる、大きな組織の非情を怒った。

 

 エミがやったのは徹底した経費の切り詰め、封印してきた『サルパーレ・プライベート』の専門店卸しであった。専門店で買いたいと言う先は多かったのであるが、直営店のみで販売してきた。イメージなどとは云って居られなかったのである。残された最後の手立てであった。

 この営業にもトップセールスとしてエミは出て行った。店の経験はあったが、営業という経験がない女性が出ると云うのを見て、野々村健太は3日程の休みを取って九州の営業に同行した。たまさか、訪問する1社の中に、神戸大学野球部時代の友人がいたのである。

 

 そのようなときに、エミの元に花子から電話が入った。22年振りの懐かしい声を聞いたのである。話があるから、〈フラワー〉の事務所迄来て欲しいと云うものであった。いったい何事だろうとエミは思った。事務所はサンプラザの4階にあった。応接室に出てきた花子は、店で扱っている商品ではなく、シックなスーツ姿で現れた。上品にカッテイングされたシルエットはアルマーニだとエミの目には映った。その装いに花子の重ねた年輪を見た。


「元気そうね。本当に久しぶり。エミは歳取らへんね」

「花ちゃんこそ、何時も変わらず、綺麗」

「お世辞は通用しないわよ。何年、いや何十年振りっていうの、こんなの」

「20年とチョットだと思うわ」

「お互い、それだけの歳はとったというわけね。もう、私、お店には出てないの。お店の服を着て店に立てる歳でなくなったわ」と云って、挨拶のやりとはそこそこにして、花子は用件を切り出した。

「エミ、あなた〈フラワー〉のお店借りない?私ら、お店やめて、ヨーロッパに行くことにしたの。北野のお店であれだけ売れてるんだから、ここなら3倍も4倍も売れるわよ」。エミには驚くべき内容であった。花子は北野の店の数字は知っていた。口には出さなかったが、会社がしんどいことも。

「お店、売れてるんじゃないの?」とエミ。

「一時ほどではないけど、売れてるわよ。だから勧めてるんじゃない」

「売れているのに、どうしてやめるの?」

「『JI-JI』がね、そごうに百坪で、フルブランドでショップを出すの」

「それで、売ってはいけないと言うの」

「いいえ、それは問題ないんだけど、嫌んなっちゃって・・喧嘩しちゃったのよ。嫌だ!何時の間にかあいつらの言葉が移ってしもうた。わかるやろぅ、東京の連中と喧嘩して、物作りを始めたあなたには・・」

 エミには気持ちは分かったが、それにしても思い切ったやり方だ。でも、もし借りられたら、専門店卸をしなくてもやっていける。慣れない営業、もうエミには限界であった。


「条件は高いんでしょう?」なんと云っても、三宮一の場所である。

「やめて外国で遊んで暮らすんだから、それなりの保証金はいただくわよ。家賃は売れたら安いものよ」

「保証金って幾ら?」

「エミとこだったら、特別。1億円よ」。相場から云って、安いのは確かである。

「主人に相談してみるけど、多分無理だと思う」と答えたエミに、花子の顔は「そんなに会社は悪いの?」と云う顔つきであった。

「ところで、良太は元気してる?」。エミは手短に近況を話した。

「あなたも大変ね、でも早めに見つかってよかったじゃない。手遅れの人だって多いんだから・・」

 驚いて、心から同情に堪えないという顔をした。エミは、家賃は歩合制で高く払ってもいいから、保証金は何とかならないかと言ってみた。

花子は「お母さんの方からも1軒話が来ているの。私の一存ではいかないから話してみる。何とか頑張ってみるわ」と言ってくれたが、2日後、

「エミ、悪いわ、期待に答えられなくて申し訳ない」と電話が入った。花子にもいろんな立場があるのだとエミは了解した。それが、エミが花子の声を耳にした最後であった。


 平成6年1月、エミの北野店はクローズした。その1年後、平成7年1月17日、神戸を兵庫県南部地震が襲った。サルパーレ北野店が入ていた建物は瓦解せず、無傷で残った。


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