13章 〈サルパーレ〉のスタート

 岡本の話は星おじさんからのものであった。

岡本は古くからの高級住宅地で、阪急岡本駅と国鉄本山駅の間に最近店舗が集積してきていた。そこにおじさんの友人の屋敷があって、テナントビルにする相談を受けたのだという。

 星おじさんの話は、「彼は美術家で外国に行くことになったが、この屋敷をテナントビルにしたいが、〈ありきたり〉のモノにはしたくない、管理を僕に任すというのだ。ついては相談にのって欲しい」ということだった。


 現地近くの喫茶店でオーナー山本氏を入れて3人で会った。焼きたてのパン屋、美容院、レストランと、しばらくの間に通りはお洒落に様変わりしていた。二つの駅間の通りと、中ほどを横切っている山手幹線の角にある山本氏の屋敷は面白かった。良太にひとつの考えがあった。オーナーはさすが美術家だけあって賛同してくれた。後をおじさんに託して山本氏はヨーロッパに旅立った。

 早速、エミを連れて行って、プランを話した。エミの目は輝いた。エミと一緒に仕事をしていると楽しい。お互いあまり多くを語らなくてもツーと云えばカーだった。だのに、男女の中を分かり合うのに幾多の時間がかかったのであろう。贅沢は言うまい。だから今があると考えるべきだろう。


 良太のプランとは、人が買い物で歩く縦の通りからの導入と、車が走る山手幹線からの横の導入を考えたものだった。二つの入口を持つ敷地で、お屋敷だった植え込みや、樹木は出来るだけ残す。その上に、山手幹線沿いは屏で仕切り、クローズにする思い切ったものだった。

 1階に良太のブティック、名前を、〈サルパーレ〉、イタリー語で船出と云う意味である。そして洒落たレストラン。2階に美容院と画廊を兼ねた画材店を入れる。建物はコの字型、中庭を持ったエントランス、駐車スペースは東の端に10台。車の入口にはレストランの大旗と桜の大木が両サイドにあり、春ともなれば花びらを散らし、縦の人通りには五月の植え込みが、屏の裏側に沿った植え込みには紫陽花が、秋には紅葉の木が1本。「そんな洒落た建物ないやろぅが…」と、良太は自分の思い通りに出来る喜びを語った。


 エミはこの人は物売りより、こんな仕事に向いているのではないかと思った。何か気に入ったプラモデルを組み立てる少年を見ているようであった。その時代にはまだなかった仕事名であるが、商業プランナーと云ったところだろうか。


 2階の店がポイントだった。車通りからは1階は屏で見えない。入口にレストランを示す旗があるだけだ。2階の店は夜中もライトを付けて、下からライトアップする。幹線を通る車はそこに店があることを知り、次、行ってみようの関心になる。2階の画廊兼、画材屋さんはオーナーの親戚筋であった。良太はテラスを作るからカフェもやられたらと提案した。建築デザイナーは星おじさんの紹介であったが、エミが打ち合わせについた。ともすれば、建築デザイナーは建物だけで考えようとする。利用するお客の気持ちや、動線は重要である。


 このテナントビルの特徴は外観もあったが、本当のユニークさは店の中から外がどう見えるかであった。初めて店に入った客はガラス越しに外を見て「アッ」と声を上げる。レストランと美容院は地元で繁盛していた人気店が、第2スペースとして直ぐに決まった。


 この建物はまず、建築雑誌が取り上げた。そして、地元紙が、そして続いてファッション雑誌が取り上げ、『おかもとガーデンズ』はまたたく間に人気スポットとなった。良太の元には、テナントビルやテナント関係の依頼の仕事が舞い込むようになった。エミはそれとなく、そんな仕事の可能性を言ってみた。

「物売りを真剣にやっているから出てくる発想や。店をやらんで、外から考えてるだけでは、僕には発想がわかへん。それと今回はオーナーさんがおじさんに任されたという特殊なケースや。実際は、オーナーさんや、テナント、施工業者、色々折衝や、交渉がいる仕事やと思う。僕はそんなん苦手や。折衝やったらマネージャーが得意と違うんかぁ」


 店はエミが仕入れと販売を担った。35坪のフローリングされた店内はバレー教室を思わせるようで、ゆっくりした店内からは中庭を見渡せた。試着室といえば普通カーテンで仕切られた狭い空間であったが、エミはちょっとした小部屋風にした。建物のユニークさとゆったりとした空間は阪神間のお洒落なお客を呼んだ。


 プランニングについては、良太はそうは云ったが、どうしてもと云う先があって、2年後、宝塚に『宝塚ガーデンズ』を、その1年後には『芦屋ガーデンズ』をプランニングして、〈サルパーレ〉は3店になった。


 夙川の小さなマンションから、岡本に事務所兼住居をかねて広いマンションに移った。「家が近くなったと」一番喜んだのは星おじさんであった.


注釈と資料


岡本:神戸市東灘区。阪神間の中で、関西屈指の高級住宅街として知られている。阪急岡本駅と国鉄(現JR)摂津本山との距離が近い利便性が街の発展につながったとされている。甲南大学をはじめ、神戸薬科大学、甲南女子大学へ通う「キャンパスの街」としても親しまれている。 岡本は古来、梅林の名所として知られ「梅は岡本、桜は吉野、みかん紀の国、栗丹波」と詠われた。昭和13年(1938年)の阪神大水害による山崩れや、神戸大空襲で焼失し岡本梅林の名声も失われてしまっていたが、盛時の面影は現在に残らないが、昭和56年(1981年)に「岡本梅林公園」が作られている。


 

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