8章 花子の結婚

1  『ファッションとは、例えるならば空気のようなものです』


 花子の結婚相手は、センター街にある〈ブルージュ〉という、生地屋の長男で、南野茂樹と云った。〈ブルージュ〉は舶来生地専門店であった。サンプラザが出来ることによって、2階と1階に二つの店舗スペースを確保した。サンプラザの入居店には2つあった。新規テナント組と地権者テナント組である。〈セリオカ〉は前者、〈ブルージュ〉は後者。後者が優先されるのは当然である。

 

〈ブルージュ〉には舶来レースに素敵なのがあった。又、オーナー(南野の母)が買い付けて来た舶来の帽子も素敵だった。レースは部屋の飾りだけでなく、花子の手持ちの服の襟や袖口に使った。それらは、〈ブルージュ〉で加工して貰って、花子オリジナルにした。

 オーナーは「花子さん、デザィナーのセンスあるわ」とおだてたが、「襟と袖口だけなら自信があります」と答えて返した。帽子は花子の欠かせないお洒落アイテムの一つだった。帽子一つで服は変わる。エレガンスな水玉模様のブラウスに男物の鳥打帽氏の組み合わせ、表情は一変する。

 叔母は「帽子はいいことよ、でも服と合ったものにしなさいね」であった。そんなことで、センター街同士ということで、昼の休憩時間などに、南野と一緒にお茶をするようになったのだ。よくお茶はしたが、それ以外、南野は誘ってこなかった。話題も豊富で、気疲れするタイプではなかった。適当に真面目で、適当にいい加減、そんなタイプであった。男、男、していなくて、ハンサムでもなく、商売人風でもなかった。


 母親がやる舶来生地店は2階で、プラザの入口エスカレータ横の角店が息子、南野のブティックになった。三宮で一番目立つ場所と言えば誰も異論はなかったろう。

「お店上手くいってる?」

「ええメーカー、全部抑えられてるやろ。セリオカ、茜屋、まき。それと、婦人服はようわからんねん」

「せやったら、なんでブティックにしたん」

「入口の目立つ場所やろぅ。婦人服の店にしてくださいが条件やった」

 花子は東京で見てきた、自分なら売りたいブランドの話をした。


 花子は5日の休みを取って初めて東京に出た。何だか〈セリオカ〉に窮屈なモノを感じ出していたのだ。「リフレッシュ休暇や。フランスに行きたし、金はなし、せめて東京などに行かんや」と、自分に休暇を与えた。うるさいと思った叔母も、「ええ勉強や。よう見ておいで」と新幹線代までくれた。ホテルは帝国ホテルに予約を入れた。「パリに行ったことを思ったら安い、休暇はリッチに」であった。

 銀座より、青山、表参道、原宿、気ままにぶらり、ぶらり。また、神戸と違った街の趣と空気があった。ブティックを覗いて、気に入った喫茶店があったら休んで、夜は、昼間歩いたときに見つけておいたレストランで食事。さすが、東京。声をかけてくる男性の多いこと。一人じゃ淋しい。お食事だけならいいじゃない。誰も見ている訳じゃなし。

 見かけと違って花子はいつも損をしている。遊んでいると思われているなら、そのようにすればいいじゃない、と思うのだが、お堅いのが花子。それを知っているのは、淡路組だけ。


 ガレージで洋服を売っている。「変わってるぅー」お店じゃなくって…。

「どうしてこんなところで売ってるんですかぁ?」

「ここは、僕たちのハウスです。何を売ろうと自由でしょう。遠慮はいりません。見ていってください」

「面白い服ね、どこから仕入れてるのですかぁ」

「僕たちが作っているのです。このハウスで」

「ハウス栽培ですか」

「面白い方ですね。お茶でも飲んでいきませんか」

「商品取られませんか」

「取るなら、もっとよその高い服を取るでしょう」

「ははー、そうですね。笑ったらいけませんね、失礼」


 アトリエに通されて、何点かの服を見て、花子は衝撃を受けた。

自分が着たいと思っていた服がそこにあった。自由で遊び心があって、少しエレガントな服が並んでいた。トルソーに向かって女性がピンを打っている。ひとりの女性が紅茶を出してくれた。

窓際の男性がデザイン画を描いている。

髭のお兄さんが、名刺を出して、話し出した。

「一人今いてませんが、僕たち5人で作っているのです。僕たちの考えるファッションとは、話していいですか?紅茶飲んでくださいね。クッキーも、彼女が焼いたのです」。紅茶を出した女性が椅子に座って、加わった。背の高い垢抜けのした人だった。


「彼女はデザイナー、元モデルです。今いないのが、彼女のご主人で、メンズのチーフデザイナー、絵を描いている男性もデザイナー、彼はニット専門です。ピンを打っているのがパタンナー、ニットにも詳しいんですよ。僕は創作には加わりません。彼らにどれだけいい物作りの環境を作って上げられるか、いわばプロデューサーです。僕は大学で写真をやっていました。仕事で男性モデルを撮影しているときに、そのモデルが着ている服が気に入ったのです。僕が着たい、それもありましたが、被写体として気に入ったのです。モデルでなく着ている服に関心がいったのって初めてでした。その撮影にスタイリストとして来ていた彼女と知り合い、彼女のご主人と友達になりました。あそこの二人が加わり、始めたのです。僕たちの考えるファッションとは、例えるならば空気のようなものです。決して型にはまらず、アートや建築のような要素を取り入れて、時代とともに流れる空気です。空気は自由で、見えないけれど優しく包むでしょう。服だけにこだわらず、そこから派生するあらゆることに目を向けたいのです」

「聞いていいですか・・、〈空気のような〉がもう一つわかれへんわ」

「関西の方ですか」

「神戸です」

「いい街ですね、僕は建物が大好きで、洋館を撮りに何回か神戸に行きました。えーと、山側の街なんて言いました?」

「北野町」

「そう、そこでいっぱい撮りました。古い洋館、住まなくなって荒れた洋館、でも、部屋からはピアノの音が聞こえてきそうな感じがしました。洋館の窓からは港が見えて素敵な街でした」

「その北野町に住んでいます」

「ワンダフルですね。空気ね・・、単刀直入に言いますね。もう外国の真似事は終わっています。コンサヴァティブ、トラディショナル、エレガンス、上流階級なんて日本にはいてませんよ。洗練された日常着、人の目より自分の着心地を大切に考えるそんな服です。売れるやろぅか、から発想しない服です。僕たち5人は徹底して話し合いました。多分、この思いは変わらないでしょう。5人の絆もね」


 花子は5人と聞いて淡路5人組を思い出した。「エミがレディース、良太がメンズ、営業は竹野、私がモデル兼プロデューサー、せや、佳祐がいてたわ」で現実に戻った。考え方に共鳴した。何よりそのことが服に表現されている。

「この服買ってもいいですか?」

「どうぞ、買ってもらうために作ったのです。あなたのような素敵な人に着られて服は幸せでしょう」。東京の人はそう云うんだ、オシャレ。

「小売専門ですか?」

「いいえ、アパレルです。でも東京のどこのお店に持って行っても、変わっているとか、売れそうもないとか云って中々買ってくれません。仕方ないので、ガレージを店にして売っているのです。ご近所や近辺の人にはファンも多いのですよ。もっとも、服を買いに来ているのか、お茶を飲みに来ているのかわかりませんがね」


 変わっている人達にお茶のお礼を云って、服を紙バッグに入れて貰って彼らのハウスを出た。名刺には『JI-JI 大庭祐二』と書かれてあった。関西の営業さんとは全然違う。「まいどー、売れてまっか」と「僕たち・・なんですよね」。

 西と東ではえらい違うものだと花子は笑ってしまった。でも、花子は決めた。自分が売る服は彼らの服だ。彼らにガレージでなく、ちゃんとした店で売ってあげたいと思った。店を持ちたいと思った。夢のままではいけない。夢は実現するためにある。少し興奮していた。東京に来て面白い人たちと会えてよかったと思った。


2  『結婚の申し込みも二つ』


 聞いていた南野が突然変なことを言い出した。

「花子さん、それやったら花子さんがあの場所で売ったらどうです」

「セリオカ辞めて、ブルージュの社員になれってことですか」

「いいえ、僕のお嫁さんになってください。そして思い切ってやってください。何れ言おうと思ってた言葉です。いい折りやから今言いました。突然でごめん」

 花子は思いもしない言葉に面食らった。社員になって任すなら、直ぐにイエスの返事をしただろう。頭がこんがらがった。この人はこんな時に何てことを云うのだろう。

「社員でなら、ダメですか」

「ごめん、同時に云ってしまって。勿論、それでもいいですよ。結婚の話は別けて考えてくれていいです」

「ちょっと時間をちょうだい。考えてみます」それが、花子の返事だった。


 花子に言い寄る男性はいっぱいいた。セリオカの営業マンでもいたが、勿論、相手にしなかった。「お商売先を何と考えている」であった。叔母から一度「見合いしてみる?その気があるのなら話はあるわよ」と云われた事がある。その時は「まだ、そんな気はありません。何れ時が来たらお願いするかもしれません」と答えておいた。

 見合いが嫌なのではない。花子は、自分は恋愛しないだろうと思っていた。店をやりたい夢はあったけど、結婚しないということではなかった。叔母への答えは正直な答えだった。正面切って結婚を申し込まれたのはこれで2度目であった。


 3か月前、竹野義行から告白され、申し込まれた。〈グローバル〉は急速に業績を上げ、神戸のニットアパレルとして頭角を表してきた。今や、神戸の中堅アパレルであった。竹野も若いながら営業部長の肩書きを得ていて、表情には会社と、仕事に自信を持っていることが現れていた。竹野については何れと思っていた。その時の言葉も用意していた。竹野は落胆したが、「わかった」と答えた。

 竹野は真剣だったし、そのような言葉を言われて嫌な女性はいないと思う。ただ、意に添えない返事を返さねばならないのが辛いだけだ。花子は竹野の良いとこと悪いとこは十分に分かっていた。男らしいとこは好ましいとこであったし、少し軽い所も愛嬌のうちだ。NO,1にはなれないがNO,2にはなれるだろう。人生を失敗しないバイタリティーも持っていたし、責任感も強い。でも、男女の中の「好き、嫌い」は別であった。「友達でいたい」としか答えられなかった。方便なんかでない。真からそうであった。花子は竹野なら分かってくれると思っていた。


 恋愛も出来ない、独身願望でもないとしたら、南野の話はいい話だと云うことになる。夢も実現できる。南野とは結婚しても上手くいきそうに思えた。欠けるものがあるとすれば、花子の恋愛感情だけである。花子は、めんどうくさい堂々めぐりは大嫌いであった。佳祐に時々イライラすることがあるのは、佳祐のそんなとところであった。花子はこの申し出を受けようと決めた。

 叔母に話すと、驚いた様子もなく「いい話」だと喜んでくれた。多分、〈ブルージュ〉のママから話が入っていたものと思える。花子の複雑な生い立ちは南野家は知ってはいたが、セリオカの縁戚ということで納得していた。婚礼の儀は慌ただしく、年が明けた節分の日と決まった。

 

 3  『花嫁に笑はなかった』


 淡路組の〈花子の結婚を祝う会〉が行われることになった。花子から注文が入った。婚礼前日、前夜祭にしてくれというのであった。いくらなんでもその日は慌ただしいだろうと、皆の意見だったが、是非にと言った。淡路の母、藤子、父、山長、親戚一党は船が出ない事を想定して前日から神戸に出てくる。叔母は反対したが、花子は独身最後の我儘と押し切った。

 前夜祭は北野のレストランの一部屋を借り切って、淡路組、5人だけで行われた。主賓、花子は白いレースのアンサンブルの装いであった。何時ものカジュアル嗜好と違った別人を見るようであった。「花子は何を着ても様になる。最高のエレガンスや」とエミは思った。

 男性陣は申し合わせて、貸衣装であるが、タキシードの礼装であり、エミは自分が仕立てた、黒のパーテイドレスであった。佳祐が思わず「エミもセクシーなんや」と云った。花子が欲しがっていた腕時計を皆で出し合って、エミからプレゼントした。島崎からメッセージと花束が届いた。野々村健太からはシャンパンの差し入れがあった。一同「カンパ~イ!」


 料理が出され、お酒も進み、淡路での思い出が語られ、久しぶりに駒方ヨシエ先生の名前も出、和気あいあいと進む筈だった。途中で脱線しだしたのはどの辺からだったろうか、やはり共通した話題は婦人服にいく。

 竹野が〈ブルージュ〉の1階のブティックの酷さを指摘した。確かにセンター街で、サンプラザの入口角店で、店は目立ったが、客の入っていないのも目立った。それでも花子の嫁ぐ先ではないか。少し、お酒が入っていたにしても、思慮の足りない発言であった。花子がこれから、扱う商品を説明し、意気込みを語った。

「店と結婚するのか」と竹野が云ってしまったから、場が収まらなくなった。佳祐が諌めた。エミはどうとりなそうと思った矢先、花子が立ち上がって、「やってられんわ。良太、外へ行こう。飲み直しや」。明日の花嫁は、良太に有無を言わさず、その腕を掴んで出ていってしまった。


 後に残された形の3人、思いもしていなかった展開に唖然として沈黙するしかなかった。暫くして、佳祐が「どないなってんねん」と吐き捨てた。竹野は取り返せないことを言ってしまった自分を怒って、グラスを床に叩きつけた。エミはただ、こみ上げてくる悲しみに涙を抑えきれなかった。

 この一夜で、仲間としての淡路組は消えた。それでも、結婚式には4人は出席した。良太とエミは男女の友人代表で挨拶する予定だったが、代わって洲本実業高校を代表して島崎広敏がつとめた。5人が一同に揃った最後の席であった。文金島田の髪結った花嫁にも、純白のウエディングドレスに身を包んだ花嫁にも、笑はなかった。


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