第35話 遅咲きの神様 ー4ー

 吉永さんが『桃源郷』と言い表した通り、そこはまさに桃源郷でした。

 一面の野原に春の草花が咲き誇り、遠くから豊かな川のせせらぎが聞こえます。夕暮れが迫っていたはずの空はどこまでも高く青く、巻雲、すじ雲が気持ちよさそうに走っています。

 中央には一本の大木、まるでそこが世界の中心だと言わんばかりの巨木が佇んでいます。


「桜……じゃない」


 僕はしばらく感動で開いた口が塞がりませんでした。五感全てが初めて体験する世界にてんてこ舞いです。消えた吉永さんと俵屋さんが目の前にいて、説明してくれます。


「桜じゃなくても花見は出来るからな」

「あれは藤だよ。千年藤」


 以前、正宗さんが愛着を持って作ったり使われたりした道具は百年で魂が宿ると言いいましたが、千年生きた藤も神様になるのでしょうか?

 それはさながら紫色のオーロラでした。春の優しい風になびいて、柔らかく揺れています。


「早く行こうぜよだか、花見は花の下でやるもんだ」

「俺も早く荷物降ろしたいよー」


 不思議な甘い香りと聞きなれた声に誘われて、世界樹みたいな木の下へと向かいます。その先で胡座をかいたエイリアンが「遅かったな」と、杯を掲げます。


桜の下は魑魅魍魎の祭典でした。自動人形は和風なBGMを流すステレオになり、刀を持った美男子がそれに合わせて舞い踊り、小型の宇宙人がそれを見ながら酒を飲んでいます。

 風情があるのかないのかよく分からないワンシーンです。


「カレンが起きなくてよ」


 吉永さんはふわふわ天然のベッドにカレンちゃんをそっと寝かせて、俵屋さんが重たい荷物を降ろしました。紐をほどくと中から缶ビールやらつまみやら縄跳びやらよく分からないアイテムまで色々出てきます。


「あの……俵屋さんここはいったい……」

「はいよだか君のオレンジジュース!」


 気がつけば雅楽はお開きになり、カレンちゃんを除く全員が俵屋さんのもとへ集まって、各々好きなドリンクを取っているではありませんか。


「ありがとうございます」

「まーまー乾杯してからゆっくり説明するから」


 いつも通り強そうなお酒を手にした島村さんが僕の顔の辺りまでアルミ缶を掲げました。


「んじゃ御託は置いといて、とりあえず始めますか、乾杯」

『カンパーイ!』


 島村さんらしい大らかな乾杯に、みんな一斉に乾杯を口にしました。それを聞いたカレンちゃんがびっくりして飛び起きます。そしてしばらくキョロキョロしてから、悲しそうにこう言いました。


「カレン死んじゃったですか?」


 相変わらずの天然で笑いを取ります。空を覆う紫の草原を眺めながら、僕はカレンちゃんが寝ていた間の経緯を話しました。


「よだかさん見てください! 滝です! 藤の滝です!」

「よく藤だってすぐ分かるね」

「田舎ではよく藤の花をテンプラにして食べてましたから!」


 藤の花ってテンプラにして食べるんですか? 山形の郷土料理なんでしょうか?


「でもヘンです。藤っていつもはキウイみたいに生っているのですが……」

「それはここが神域だからじゃ。御神木が藤棚に寄りかかっていては情けなかろう」


 正宗さんが高そうな日本酒を木の根元に巻きながら言います。


「どうじゃ、よだか、カレン。絶景の神域じゃろう?」

「天国です!」

「それはもう。この藤が神様なんですか?」

「その通り、この千年藤の御神域じゃ」


 それだけ言ってしばらく藤を見上げたので、僕とカレンちゃんもしばし上を見ました。

 柔らかい日差しを透かす稲穂の様な花はいつまで見ていても見飽きそうにありません。ちょっと甘い匂いがして、藤色の空一面桜が生き物みたいにうねっています。


「なるほど。これは神様と言うのも納得の風格です」

「植物はもともと神に近い生き物だからな。千年も経てばあらたかな神格を持つ。殊、この桜は見事じゃった。家康公も見に来られたくらいの名物だったんじゃ」

「それは、すごいですねー」


 不思議なもので、人っていうのは上を向いているとなんとな能天気になって、大らかになって、くつろいでしまったりします。正宗さんが朱色の平たい杯に別の日本酒を注いでグイッと飲みます。


「正宗さんもお酒強いんですか?」

「ふむ……島村殿と吉永殿の次くらいかな。古屋敷殿は別じゃ。あやつは酔わん」


 古屋敷さんは工業用エタノールをカクテルと称して飲むくらいですから、ただ燃料になるだけなのでしょう。


「俵屋さんは弱いですよね」

「ありゃあ下戸じゃな」


 見れば俵屋さんはもう顔が赤らんで、楽しそうな感じで吉永さんとお話ししています。カレンちゃんは御神木によじ登り始めましたが、誰も咎める様子はありません。


「よだかも酒が弱かったのう? これでも飲んで今から訓練しておくか?」


 正宗さんがオレンジ色のアルミ缶を袂から取り出します。


「僕未成年ですって」

「ちょっと前までそんなルールはなかったんじゃがの……なんて冗談じゃ、これはジュースだよ」

「意外と意地悪なんですね。ありがとうございます」


 長い時代を見てきた付喪神にとっては何十年も昔が『ちょっと前』になってしまうのでしょうか。なんだか不思議な気分です。

 カレンちゃんは木登りも上手みたいで、遠くから僕の名前を呼んで手を振っています。プルタブをプシュッとやったところで吉永さんと古屋敷さんに絡まれます。


「おいよだかも踊ろうぜ!」

「お望みとあらばこの古屋敷、世界で最初のミュージックからちょっと未来のテクノまで取り揃えておりますよ」


 そのフレーズはどこかで聞いた記憶がありますが、世界で最初のミュージックはさすがに誇張ではないでしょうか? 

 嬉しい申し出ですが、僕は「できれば見てる方が好きなので」と丁重にお断りさせて頂きました。僕は歌うのも踊るのも苦手なのです。


「じゃあじゃあ俺が社交ダンスでも教えてあげようか!? 丁寧に教えてあげるよー」


 気がつけば後ろからお酒くさい俵屋さんが忍び寄っていました。


「いえ、それは本当に結構です」

「おいニート。社交もできねぇお前に社交ダンス教えられる訳ねえだろ」


 みんながどっと笑います。苦笑いの俵屋さんの肩にロボットアームが回りました。


「それじゃ俵屋さん、私と一緒に踊りますか?」

「いや、ロボットダンスはちょっと……」


 またみんなの笑い声が藤の花を揺らします。それどころかなんだか世界中が笑って踊っているみたいです。


「僕、なんだか楽しくなってきました。吉永さん、よかったら僕に踊り教えてくれませんか?」

「うぉ!? なんだそのキュンキュン発言。そんな顔まで赤くされたら……よだか? お前もしかして酔ってんのか?」

「やだな、酔ってませんよ」

「おーい、誰か俺の特製チューハイ知らねーかー?」


 なんだか聞いた事ある展開が続きますね? デジャブでしょうか? 僕はいつから未来視の能力を身につけてしまったんでしょう?


「困るなー、吉永さん。これ二回目じゃねえか」

「アタシじゃねえよ!」

「すまん島村殿、ひょっとして特製酎ハイとはこれのことか? 俺がよだかに渡してしまったんじゃ」


 カレンちゃんが藤の間から楽しそうに手を振ってくれます。まるで本当に天国の天使みたい。


「正宗さんわ悪くないれすよ。僕がドジなだけで……」

「おうっ! なんじゃこのよだかは!? めんこいのう」

「襲うなよ、正宗」

「阿呆、そういう事は無職の酔っ払いに言うもんじゃ」

 

 楽しそうな笑顔の中、そのまま僕は正宗さんに連れられて、大きな大きな御神木の幹の背中を預けました。まだまだ宴会は続きそうな賑やかさです。

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