第34話 遅咲きの神様 ー3ー
「吉永さん! 起きてください。4時ですよ」
ドアをノックすると微かな衣擦れの音が聞こえてきます。
「よだかー、部屋空いてるよー」
これは低血圧時の声ですが、なんという不用心でしょう。
いや、むしろこれは深読みすれば
「じゃあ失礼します」
ドアの向こうは相変わらずの女の子っぽい部屋で、相変わらず禍々しい武器の数々はありません。棚の上に拳銃が一丁だけ、ハンカチの上に置いてあります。
そしてその下の床にはカレンちゃんが投棄されています……三度目の正直ですから間違いないでしょう。カレンちゃんはものすごく寝相が悪いみたいです。
「んにゃ……カレンは?」
「ここに落ちてますよ」
僕はカレンちゃんを吉永さんの手元へ返してあげました。吉永さんは右手でカレンちゃんを抱えて、左手をパタパタさせます。
「よだかはこっちー」
「もう4時ですよ。なにか用事があるんじゃないんですか?」
「来てくれなきゃ起きないー」
面倒ですが行かなきゃ起きなそうなので、いったんベッドにお邪魔して仰向けになりました。
「はぁ、幸せじゃー」
「いつまでこうしてるんですか?」
「ずぅっとー。死が二人を別つまでー」
「それは困りますね」
左手でグイッと抱き寄せられる。その細長くて白い腕は僕より力強いです。そのまま腕枕にお世話になること五分、僕まで眠くなってきました。
「腕、痺れません?」
「このまま腕から腐って死んでも本望だわー」
「それは困りますね」
さらに五分ほど経つと、しびれを切らしたのは島村さんのようで、ノックがありました。
「おーい吉永さん、そろそろ時間だぜ。先行ってるよ」
「よっしゃ!」
吉永さんがガバッと、僕とカレンちゃんを抱えたまま跳ね起きます。
これ僕が起こしに来た意味あったんでしょうか?
「ふむぅ……もう……晩ご飯??」
「おいカレン起きろ、花見だ!」
「花見? 花見酒……月見酒……猪鹿蝶……むにゃむにゃ」
幻聴でなければカレンちゃん、いま確かに『むにゃむにゃ』って言いました。この世で最も聞きそうで聞かない寝言です。
「花見って、もう五月ですよ?」
「パンドラだけの桃源郷があんのさ」
僕だけ先に玄関へ出てみると、俵屋さんが
「ありゃ? 吉永さんとカレンちゃんは?」
「もうすぐ来ますよ。カレンちゃんがなかなか起きなくて」
「早くしてくれないと……俺潰れちゃうよ」
誇張では無く、人が一人簡単に潰れそうな量です。
「先に出てますか? その荷物なら二人も追いつくでしょうから」
「そうしよっか。吉永さんは場所知ってるし、じゃ出発ー!」
あの大荷物なら急に襲ってきたりも出来ないでしょう。俵屋さんはゆっくりと歩を進めました。
「引きこもりだからって、外を出歩けないって訳じゃないんですね」
「俺って幸運を呼ぶ体質じゃん? 他の妖怪とかに狙われやすいんだよね。でも島村さんの命令だから仕方ない」
「それって僕まで危ないじゃないですか、現状」
二重の意味で。
「大丈夫だいじょぶ! よだか君いれば並みの妖魔は近寄って来れないから」
「それどういう事ですか?」
「あれー!? 気づいてないの? よだか君はすごい破魔の体質だよ。強すぎて周囲二百メートルくらい近寄れないから、逆に気づかないのかもねー」
初耳です。もしかしてカレンちゃんが僕の血を吸って強くなるのと何か関係があるのでしょうか?
そんな新情報を聞いている内に住宅の多い街道を外れ、だんだんと人気のない小道へと入って行きます。
「それホントですか?」
「ホントホント。だからあんまり敵意を込めて俺を殴ったりしないでね。俺は悪霊じゃないけど、たぶん君くらいの霊力で殴られたらやばいから」
「カレンちゃんや僕に変な事しない限り気をつけます。そういえば俵屋さんってカレンちゃんに直接は手を出しませんよね」
「カレンちゃんはなんていうか、吉永さんと同じ匂いがするっていうか、容赦なさそうって言うか、再生不可能にされそうって言うか……」
わかる気がします。たぶん俵屋さんがカレンちゃんに手を出したところで、僕が助けに行く必要はありません。むしろカレンちゃんの料理で二回被害を被っているのですから。
「あーここだココ」
不意に立ち止まった俵屋さんが鳥居を見上げて呟きます。そこは小高い山になっている寂れた神社でした。
「ホントにここですか? 俵屋さんもしかして嘘ついて僕を安心させて、人目につかない場所に連れ込もうとしてません?」
「なるほど、その手があったか!」
「ほぉ。どんな手を思いついたのか言ってみろ」
突然の後ろからの声は吉永さんでした。見ればその背中ではカレンちゃんがまだ寝ています。
「いや、冗談ッスよ。ささ、行きましょ行きましょ」
苔むした石段はひんやり冷たくて、あたりの竹林も市街地より少しだけ涼しげです。重荷に暑くて苦しそうな俵屋さんのペースでゆっくり登ります。
「足が、はぁはぁ……」
「おめぇは運動不足なんだよ。あと二往復くらいしてこい」
「そんなぁ……」
カレンちゃんは確かに軽そうだけど、汗ひとつかかず、息ひとつ乱さない吉永さんはさすがです。
俵屋さんを置いて、一足先にようやく辿り着いた頂上には想像通りの光景が広がっていました。神社です。寂れてところどころ緑青と蜘蛛の巣にまみれた、人気のない神社。
そして案の定、あたりは一面竹林です。桜が根付く隙なんかどこにもなさそうですが……
「よだか、こっちこっち」
前を行く吉永さんに案内されて、僕は神社の横を通り過ぎます。神社の奥にはさらに鳥居がありました。その先は竹だらけで進めそうもありません。
その鳥居だけは登山口にあった朱塗りの立派なものと違って、石の色そのままのそっけない、小さいものでした。
「よだか、鳥居ってのが何のためにあるか知ってるか?」
言われてみれば、そんなの考えた事もありません。そもそも僕は神社がなんのためにあるのかさえ詳しくないのです。
「さあ? 全く知りません」
神社も鳥居も、狛犬も石灯篭も、いったいなんのために設置してあるんでしょうか? 後ろから追いついた俵屋さんが説明してくれます。
「鳥居ってのはね、結界なんだ。結界っていうのは詰まるところ『境目』、境界線と言い換えてもいい。殊、鳥居ってのは神様の世界と人間界を繋ぐ大切な結界でね……」
さすがは妖怪、こういった事に詳しいのでしょうか。なんかいつもとキャラが違います。
そしてその先が聞きたいというのに、なんと俵屋さんは消えてしまいました。苔むした鳥居に向かうと同時にふっと消えてしまったのです。
「よだか、アタシ達もいくぞ」
そういって同じように、カレンちゃんを背負った吉永さんも鳥居に吸い込まれてしまいます。僕も(たいして怖くなかったけど)意を決して、神様の領域とやらへ足を踏み入れました。
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