第33話 遅咲きの神様 ー2ー
一瞬血の気が引きましたが、血だらけの二人は元気そうに手を振ってきます。カレンちゃんは手に持った青いビニール袋を自慢します。
「よだかさーん! カレン頑張って疲れましたー! ご褒美にお姉さまが築地でマグロ買ってくれたです!」
何を頑張ったの? それ返り血? マグロの血? 聞きたいことは山程ありますが、話を円滑に進めるために全てを呑み込みます。
「正宗さんが作ってくれたお昼ご飯温めておくから、先にシャワー浴びてきちゃいな」
「よだかアタシの分も頼むよー」
「もちろんです」
だから吉永さんもその切り傷を洗い流して、消毒してきてください。二次感染とか怖いですから。
「おいカレン、一緒にシャワー浴びようぜ!」
「はーい! すぐ行きます!」
「よだかも……」
「そんな血生臭い人たちとは一緒にシャワー浴びたくありません」
「ちぇっ」
何はともあれ二人とも無事でよかったです。昼食の準備をしてる間、開放感からかレディー二人の楽しそうな声が聞こえてきます。
「どうやったらカレンはお姉さまみたいになれるです?」
「あん? 何言ってんだカレン。カレンは今のままで十分、ってかアタシより強かったぜ」
しばしの静寂……
「ああなんだこっちの話か! いいかカレン。こんなもんは脂肪だ、脂肪の塊。男の目を引く以外なんの役にも立たねぇお荷物だ」
「カレン、みんなの目線を独り占めしたいです!」
確かにカレンちゃんにはそういう趣向あります。大いに感じます。
「なあカレン、よだかを見てみろよ。女の可愛さに胸なんか関係ないと思わないか?」
「確かにあれはあれで一つのジャンルを確立してますが、金字塔ですが……カレンの目指す路線とはちょっと違うです」
……ほっといてください。路線とかじゃないから。
「こればっかりは才能だかんなぁ。カレンももう少し背が高くなってから悩みな」
「毎日牛乳飲んでるのに、うんともすんとも言わないのですよ」
「ほぉ~。じゃあアタシがうんとかすんとか言うか確かめてやんよー」
「おとんが揉んだら大きくなるって言ってました!」
うーん……いろいろ突っ込みたいけど、男子禁制の浴室に声を投げかける訳にもいかず、僕はもんもんとしながら昼食をレンジでチンしました。
女の子のお風呂っていうのは得てして冗長なものです。すぐに食事を提供できる体勢に至って二人はまだしばらくお楽しみ中の様なので、風呂場の近くにいた不振者にも声をかけます。
「俵屋さんも食べますか? 食べるならロビーいらしてください」
「あ、バレてた?」
「むしろこの状況でいなかったら、警察に捜索願を届けています」
「声を聞いていただけだよ。ギリギリセーフでしょ?」
あなたはもう存在がギリギリなんですから大人しくしていてください。
四人で昼食の席に着いたところ、たくさん作ってくれた鍋がほとんどすべて空になってしまいました。
「あれ? 正宗と古屋敷は?」
「お二人なら買い出しに行きましたよ? 何を買うのか聞いたんですけど、教えてくれなくって」
爪楊枝を加えた吉永さんが壁のカレンダーに目をやります。
「ああ。今日だったか。最近忙しくって忘れてたわ」
「そういえば、吉永さんってお仕事なにしてるんですか?」
「言ってなかった? 掃除屋だよそうじや。スイーパー」
聞くまでもなかったかもしれません。ビルの清掃や窓拭きをしている、というわけではないでしょう。じゃああれはやっぱり返り血??
「お姉さま、今日は何かあるんですか?」
「もう少ししたら分かるから、楽しみに待ってな」
「サプライズ芋煮ですね! カレン楽しみです!」
久しぶりに出ました、芋煮ネタ。でも確か芋煮って冬にやるイベントです。今日は五月も中旬の暖かい休日、花見にしては遅すぎます。
本当に一体なにを始めるつもりなんでしょうか?
そんな事を考えている間にそそくさと帰ろうとしていた俵屋さんを、吉永さんは逃しませんでした。
「おいニート。お前は買い出しにも行かなかったくせに、洗い物もしねえのか?」
「い……今から買い出しに……」
無表情な吉永さんの懐からスチャッと小気味のいい音がして、例の新しいチャカが飛び出しました。吉永さんは何もしゃべりません。それだけで十分みたいです。
「ぜ、全員分洗います」
「よろしい、おいよだか。4時になったら起こしてくれねえか? さすがに徹夜のヤマで疲れちまった」
「分かりました。カレンちゃんも寝といた方がいいんじゃない?」
「ふぇ……?」
見ると、カレンちゃんはもう半分くらい寝ていました。優しく抱き上げて、吉永さんは自分の部屋へ戻っていきます。
「よしカレン。お姉さんの腕枕でいい夢見な」
「みんな大好き……タコさんウィンナー増量中……」
どうやらすでに幸せな夢の中みたいです。
さて、こっちはと言えば、最も二人きりになりたくない人物と二人きりになってしまいました。
「ねぇねぇよだか君。いっしょにお皿洗いしない?」
「僕、今日の朝やりましたから」
「じゃあじゃあお皿は僕が洗うから。お互い体でも洗おっか? さっき女の子同士でやってたみたいにさ、男同士で!」
どうすればここまで性懲りも無く、くだらない情熱に執着出来るのでしょうか? 一周回って少し尊敬してしまいそうです。
「まずはその性根を念入りに洗った方がいいんじゃないでしょうかね」
「うんうん、それもいいかもしれないねぇ。だから二人でさぁ……」
「俵屋さん、ちょっといいかな?」
図太い声が、突如場の悪しき雰囲気を叩き割りました。小さな家主が二階からこっちを見下ろしています。
「ななんアなんですか? 島村さん!?」
僕は島村さんが暴力的な行為や言動に至るところを一度も見た事がありません。片鱗はいたるところに見え隠れはしているけど、俵屋さんのこの反応を見る限り、裁きの判決を下した際に打ち下ろす鉄槌は相当大きそうです。
「ちょっと玄関に置いてある荷物くくって、運ぶ準備だけしといてくんねぇかな? あいにく俺は腰をいわしててよ」
「分かりました! 俵屋孝一、誠心誠意ことに当たらせて頂きます!」
兵隊さんみたいに敬礼しちゃいました。こんな怯え方、吉永さんの前でも見た事ないのに……とにかく島村さんは満足したらしく『助かるよ』とだけ返して引き返しました。
「はぁ、怖かった」
「やっぱり島村さんて怒ると怖いんですか?」
「よだか君ッ!」
俵屋さんがいつになく真剣な表情で、ズイッと顔を寄せてきました。
「はい、なんでしょうか?」
「怒ると本当に怖い人ってのは、滅多に怒らない! それはなぜだか分かるかい?」
さっぱり分かりません。そもそも本当に強い人は滅多に怒らないという命題は真なのでしょうか?
「なぜでしょうか?」
「それは『怒ると怖い』からさ。だから俺は島村さんを怒らせない。怖いから!」
「はあぁ……」
なぞなぞとその答えが一致している、とってもモヤモヤするなぞなぞですが、なんとなくニュアンスは伝わりました。
「という訳でッ! 一緒にお風呂に……」
「ああそうだ、一つ言い忘れたが」
島村さんが気配もなく戻って、さっきとまったく同じ場所にいました。その時の俵屋さんの表情と言ったら……道端で急にヒグマに出くわしたみたいな絶体絶命を表現して止みません。
「俵屋さん、もう一回パンドラの入居者規則を読み返しといてくれるかな?」
「ハイ! ワカリマシタ!」
完全に声が裏返ってます。蛇に睨まれたカエル状態です。
「頼むぜマジで」
それだけ言って島村さんはフェードアウト、そのあと俵屋さんはせっせと食器を洗って、からくり人形の様にまっすぐ玄関に向かいました。
シャワーを浴びようかとも思ったけど、この状況下では一抹の不安があるので、僕は一旦部屋に戻ってベッドに大の字になりました。
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