第32話 遅咲きの神様 ー1ー
今日は土曜日、学校はお休みです。いつもより少し遅く起床してロビーに行くと、正宗さんはトントンまな板を叩いて、古屋敷さんがコーヒーブレイクがてら新聞を読んでいました。その姿形さえ気にしなければ、まるで夫婦のようです。
「おはようございます。一之瀬さん」
「おはようよだか」
外はポカポカ陽気、平和です。土日くらいはこうしてゆっくり暮らしたいものです。殺人まがいの事件に巻き込まれたり、血を吸われたり、射撃訓練に遭遇したくはしたくありません。
辺りを見ると、いつも早起きのカレンちゃんが珍しく見当たりません。普段なら正宗さんの料理を覗き込んだり味見したり、忙しそうにしているはずなのですが。
「おはようございます。カレンちゃんは?」
「月夜野さんは吉永さんと昨日の夜から仕事にお出かけして、帰ってないみたいですね」
「仕事?」
「なんでも悪の組織を潰すとか、世界を平和にするとか意気込んでいましたけど。この前の試し撃ちで戦力になると判断したのでしょう」
カレンちゃんが15歳にしてついに悪い大人の道に足を踏み出してしまいました。ですが『ラフな格好で華麗に銃を操るテンガロンハットの美人ガンマン』、『幼い容姿で黒ワンピースの美少女ヴァンパイア』、二人が夜の街で暗躍している姿をイメージすると、不思議と絵になります。
弾丸キャッチの時は思わず説教してしまいましたが、もしかしたらカレンちゃんは僕みたいな凡人と違って、そう言う世界に生きるのが自然なのかもしれません。だからと言って奨励するわけじゃありませんが、今頃どこかで僕なんかとは縁遠いバトル物のアクティブな展開を繰り広げているのでしょうか……
って言うかそれ、カレンちゃんじゃなくて古屋敷さんが助っ人やればいいんじゃないですか?
「一之瀬さん、いま私がやればいいんじゃないかと思ってたでしょ?」
「よく分かりましたね」
古屋敷さんは脳波から思考を読み取る機能があるのか、稀に人の心を見透かします。
「月夜野さんを行かせるのは危険だからと、実は私からも申し出たんですが、あいにく私は対人というか、小競り合いには向かないもので……吉永さんに断られてしまいました」
コンクリートを一面ドロドロに溶かしてしまうエネルギーの持ち主ですから、無理もありません。適材適所、オーバースペックも考え物です。
「それじゃあ仕方ないですよね」
「月夜野さんも乗り気な様子で張り切っちゃって、結局ピクニック気分で出かけちゃいました」
まあ弾丸を素手でキャッチするカレンちゃんの事だから、きっと心配ないと思うけど……心配事があるとすれば相手の安否です。
僕が席に着くとパンドラのお母さん役、正宗さんがご飯やらお味噌汁を出してくれるもので、僕は逐一お礼を言いました。
「正宗さんは行かなかったんですか?」
「俺は夜バイトがあるからな、そんな事できんよ。最近はヘルプもいなくて困っておるのに」
「戦いが好きじゃないんですね」
一瞬僕を見やり、正宗さんらしからぬ不敵な笑みを浮かべます。
「よだかはそう思うか?」
「いや、詳しいことは分かりませんけど……」
正宗さんは吉永さんと一騒動起こして、二人とお傷だらけで帰ってきた事があるので、戦闘能力でいえばとても高いのかもしれません。ですがこんなに美味しい食事作ってくれる人が怪我でもしたらパンドラにとって大損害です。
……そうだ、気の毒である事以外なんのデメリットもない俵屋さんを人柱にすればいいんじゃ?
「俵屋さんじゃなんの役にも立たないでしょうね。道端にサンドバッグを置くようなものですよ、犬も食いません。ハッハッハ!」
本格的に心を読まれている気がしてきたので、僕は深く考えるのをやめてお味噌汁を啜りました。今日も相変わらず美味しい朝食です。
「置いといてくれていいぞ、食器」
「いえ、今日は僕が洗いますよ。せっかくの休日ですし、たまには正宗さんもゆっくりしてください」
「ではお言葉に甘えようかの」
このくらいやるのは当然の義務です。シンクにたまった食器を眺めながら、僕は水の音と二人の会話に耳を傾けました。
「俵屋もあのくらい英気があれば苦労はせんのじゃが」
「そろそろ本格的に引きこもりを更生させる手段を考えないといけませんね」
「それはそうと、買い出しは何時ころに行こうかのう?」
「昼ごはん食べたら行きますか。冷蔵庫に入れるのも面倒ですし」
「それもそうじゃな」
「買い出し? 買い出しってなんのですか?」
ふと聞いてみますが、二人とも口裏を合わせたようで答えてくれません。
「よだかには秘密じゃ」
「あとで分かりますよ」
また歓迎会の時のような催しものがあるのでしょうか? 少なくとも禍々しい黒魔術とかではなさそうなのでそのまま放っておきました。そして結局二人はそのままお昼を食べてすぐ、どこかへ何かの買い出しに行ってしまいます。
取り残されて一人っきりになったパンドラのロビーは広すぎて、静かすぎました。いつもは大抵誰かがロビーにいて、吉永さんとおしゃべりしたりカレンちゃんと遊んだり、正宗さんに料理を教わったりするせいか、一人っきりが寂しく思えてきます。
若干一名、おそらく部屋にはいるはずなのですが、二人っきりで遭遇するのが危険な事は過去の経験から学習済みです。眠れるニートは寝かせておきましょう。
そんな物寂しさに管理人であり宇宙人でもある島村さんが入ってきました。島村さんは日に一回は見回りをしてゴミ袋を変えたり、ガスの元栓をチェックしたり、冷蔵庫の食糧に名前が書かれているか見てくれるのです。
島村さんが冷蔵庫を閉めて、その細い首を回して部屋中をぐるっと見ました。
「おっし、今日も異常なし」
「ご苦労様です」
「それはこっちの台詞さ。一之瀬君と月夜野さんが几帳面で助かってるよ」
僕は会釈を一つして、笑顔を返しました
「こんな素敵でリーズナブルなシェアハウスですから。当然の義務ですよ」
「気に入ってもらえて嬉しいよ。ところで一之瀬君、今日の午後は暇かい?」
急に話題が転換されました。やっぱり今日の午後は何かあるみたいです。
「ええ、暇ですが?」
「そいつはよかった。すまねぇが、ちょっと空けといてくれよ」
「もちろん構いませんが、いったい何があるんですか?」
「そいつは後のお楽しみだ」
結局、島村さんにまでお茶を濁されてしまいました。後のお楽しみ、というくらいですから、あとのお楽しみにしておきましょう。
島村さんが去ってしまうとまた閑散、ひっそり静まってしまいます。また寂しさに苛まれて、僕は気がつきました。
僕は生来あまりガヤガヤと騒がしいところは好きじゃなかったのですが、ここパンドラだけは例外なのかもしれません。誰かに会いたくて入居したこの奇妙なシェアハウスは、誰もいないと寂しくなってしまう不思議な引力を秘めていました。
血まみれの吉永さんとカレンちゃんが帰ってきたのは、それから一時間後の事でした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます