第31話 ありふれた雨の日の話

 5月も半ばを過ぎもうすぐ中間テスト、激しい雨の日の事でした。カレンちゃんがパンドラを目前に立ち止まります。


「どうかした?」

「お姉さまの匂いがします」

「吉永さんの匂い? 吉永さんお昼はよくパンドラにいるけど」


 カレンちゃんだってそんな事は重々心得ているはずです。

 パンドラに着けばカレンちゃんの台詞に納得。傘に付いた水滴をバサバサ振り払っていると、鼻に付く何かが焦げた様な臭いがするではありませんか。


「これって薬莢の匂いとか硝煙の匂いってやつかな?」

「おうよだか、カレン! おかえり」

「お二人とも、おかえりなさい」


 見ればロビーの一角に吉永さんが拳銃を構え、その対角に古屋敷さんが立っているではありませんか。吉永さんの銃がいつもと違って、少しだけ大きいものになっています。


「お姉さま、何してるですか!?」

「こいつの試し撃ちさ」


 古屋敷さんの指先で小さな鉄の塊が潰れ、床に似た様な弾がたくさん落ちています。信じられませんが、たぶん素手、というか素アームで弾丸を摘んだのでしょう。


「お二人も来た事ですし、続きはラボの射撃場でやりますか」

「そうすっか」

「カレンも! カレンも弾丸キャッチします!」

「威勢がいいのはカレンの魅力だ。でもさすがにそりゃ無茶じゃねえか?」

「よだかさんの血によってパワーアップした今のカレンなら行ける気がします!」


 危ないからやめてください。もし仮にそれが出来たとして、今時の女子高生がピストルの弾を素手で掴むシチュエーションは皆無です。空前絶後であってほしいです。

 吉永さんは吹き抜けの上、ちょうど僕の真上の方に声を投げました。


「どうするよ、島村?」

「いいんじゃねえか、やらせてやりゃあ」


 二階から島村さんも観察していたみたいです。この企画本当に安全なのでしょうか? すごく心配ですが、僕はとりあえず流れ弾に当たらない位置、二階の島村さんの隣に避難しました。


「本当に良いんですか?」

「ああ、あれはなかなか良い銃だぜ」


 銃の良し悪しは聞いていないのですが、島村さんはチェスカーがどうとか、前のグロックはどうとか、やけに楽しそうに説明してくれました。要するに中々手に入らなかったレアな銃が手に入ったので、そのお披露目をしているそうです。

 その間に吉永さんカレンちゃん古屋敷さんがそれぞれ、ピッチャーバッターキャッチャーの配置につきました。


「おっしゃ行くぞカレン。この9ミリ弾が見切れるか?」

「ばっちこいです! 44センチ弾だって構いませんよ!」

「それ撃ったらたぶんアタシが死ぬな」


 バンッ!!


 僕は突然の銃声に目と耳を塞いでしまいました。拳銃ってすごい音がするんです。防弾防音のしっかりしたパンドラでなければご近所から通報が入っているところでしょう。

 島村さんが驚愕の籠った声を上げました。


「一之瀬君、見てみろよ。スゲェ事が起きてるぜ!」

「いやはや月夜野さんもなかなか……さすがヴァンパイアというところでしょうか」

「カレン……お前……」


 すごい事が起きているのは一目瞭然ですが、それにしたって信じがたい状況でした。カレンちゃんは手を掲げ、そこから煙を吹いているのです。

 それはもう勇者にしか引き抜けない伝説の剣を引き抜いた勇者みたいに誇らしげな表情でした。


「やりましたお姉さま! カレン弾丸キャッチ出来ました! 大人の階段を昇った気がします!」

「さすがのアタシも脱帽だ、カレン。生身で弾丸を止める奴は初めて見た」


 あれが大人の階段ならば僕は死ぬまで大人になりたくありません。というか大人になる前に天国への階段を登る事になりそうです。

 そのあと五分ほど、僕は三人に説教をしました。いくらなんでもシェアハウスの中でピストルを発砲するなんて非常識、控えめに言って言語道断です。流れ弾に当たりでもしたらたまったものじゃありません。


「やはり続きはラボでやりますか。集弾性なんかも測りたいでしょう?」

「助かるぜ。サプレッサーも付けて消音具合も測りてぇんだ」

「吉永さん、俺にも何発か撃たせてくれよ」


 三人は真面目にそんな話をしながら古屋敷さんの部屋へと消えて行きました。

 あの火遊びが大好きな大人たちと関わりすぎると、ひょっとしたらカレンちゃんまで悪い遊びを覚えてしまうかもしれません。心配です。


「カレンちゃんも手を洗ってきなよ」

「了解であります……」


 カレンちゃんは寂しそうに、その白くてやわらかそうな手を見つめました。こんな女の子の手がいったいどんな化学反応を起こせばピストルの弾を受け止める事ができるのでしょう?


「血が出てるじゃん」

「ヴァンパイアはこんな傷すぐ治ります」

「ダメだよ、今消毒液持ってくるから。すぐ手を洗ってきて」

「よだかさん、うちのママみたいです」


 すぐに消毒液を塗って絆創膏を貼ってあげたのですが、もうすでに傷はほとんど塞がっています。


「ところでラボってなんです?」

「あ、カレンちゃん知らないのか」


 僕は古屋敷さんに案内されたのですっかり知っていますが、それも運よく遊びを探す機会があったからの事で、カレンちゃんが知らなくても無理ありません。しかしそれは聞いたカレンちゃんは少し怒ります。


「そんなテーマパークの話、もといネバーランドのおとぎ話フェアリーテイル、カレン聞いてないです。なんでみんな黙ってたですか!?」


 なぜ言い直したのだろうか? いやそんな事より今はカレンちゃんのご機嫌をとって笑顔を作る事の方が大事です。


「たぶん忘れてただけだと思うよ、今から行ってみる?」

「無論です! 是も非もありません!」


 というわけで、僕とカレンちゃんは103のエレベーターに乗り込みました。


「カレンの部屋の真下にこんなエレベーターが!?」


 そりゃあ最初は誰だって驚きますよね。カレンちゃんは僕と全く同じ疑念と不安を辿っているみたいです。


「よだかさん? このエレベーターちょっと長くないですか?」

「なんでも地下1200メートルまで降下するらしいよ」


 あれだけ高性能な古屋敷さんを作ったりメンテナンスするラボなのですから、もっとスピードアップしてもよさそうなものですが……

 

 ……地下1200メートルまで3分とすると、1時間で36km。時速36㎞って結構なスピードですか? エレベーター学には素人なので僕にはよく分かりません。


「ここは……まさに秘密基地、悪の組織の匂いがします」

「よく考えたらカードキー持ってないんだよな」


 ここまで来て引き返すのはなかなかの徒労、6分間のくたびれ儲けです。しかし以前カードキーを通した装置の横には、インターホンらしき親切なスイッチと液晶パネルが設計されていました。


「これ押して大丈夫だよね?」

「さすがにミサイルの発射ボタンとかでは無いと思いますが」


 ポチッと一発、するとピンポーンと場違いなほど聞きなれたチャイムがなりました。ややあって古屋敷さんが映像と共に応対します。


「はいはい、おやお二人とも。どうされました?」


 僕とカレンちゃんは一度アイコンタクトをとってから『遊びに来ましたー』と一緒に言いました。


「もちろん構いませんとも。ささ、どうぞお上りください。右手の広い部屋におります故。あ、ラボのものにはあんまり触らないようにしてください。危険ですから」


 それからラボの配線を踏まないよう、変なシャーレに触れないよう慎重に進みます。


「よかったね。右手の部屋がプレイルームみたいになってるんだよ」

「カレンけん玉したいです! 大得意なんです!」


 あのカジノみたいな部屋でケン玉をするのはあまりにもシュールですが、卓球台もあったのでもしかしたらケン玉もできるかもしれません。

 ドアを開けると、先ほどの三人に加えて俵屋さんまでいました。四人で麻雀卓を囲んでいるのです。

 サプレッサーとか集弾がどうのこうのという研究課題はどこに消えてしまったのでしょうか?


「お二人とも、今ちょっと手が離せないのですが、お好きなもので遊んで行ってください」

「古屋敷さん! けん玉ありますか!?」

「もちろんですとも。あちらの引き出しに入っておりますよ」


 僕はカレンちゃんにけん玉を教わって、一緒にピンボールをしました。


「僕、明日筋肉痛かも……」

「けん玉とピンボールで筋肉痛なんて、さすがよだかさんです! でもちょっと運動した方がいいですよ!」

「そう言うカレンちゃんこそ中間テスト大丈夫なの?」

「うぅ……それとこれとは今関係ないです」


 それからジャラジャラする不思議なゲームを、僕は古屋敷さんの後ろから見学しました。


「拳銃の試し撃ちをするって言ってましたよね?」

「みなさんよからぬ事にばかり好き者でしてね。人が集まるとこういう遊びを優先しちゃうんですよ。まあ私も他人の事言えないんですけどね、ハッハッハ!」


 カレンちゃんはもちろん吉永さんの応援です。


「カレンこういう難しいのよく分からんです」

「麻雀は頭も使うがそれだけじゃねえ。視覚、嗅覚、聴覚、その他ありとあらゆる情報網を総動員して任務を遂行するんだ。まあ野戦と一緒だな」


 地上では雨が降りしきっているらしいですが、地下1200メートルではそんな気配みじんもありません。


「あ、それロン」

「なッ!? ここだけは無いと思ってたのに……」

「おいニート、さっきから見え見えの罠に引っかかってんじゃねえよ。まーた島村の一人浮きじゃねえか」


 麻雀のルールはよく分かりませんが、なんだか四人ともすごく楽しそうです。

 みんなでおしゃべりをするうちに、ありふれたパンドラの午後はゆっくりと過ぎていきました。

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