第28話 彼を訪ねて ー3ー

 その日は僕とカレンちゃんで俵屋さんを自室に運び込み、広瀬さんに別れを告げました。

 そして次の朝にはいつものように皆で食卓を囲み、家族みたいに団欒が弾みます。もしかしたら僕、俵屋さんを軽んじる癖が付いてるかも。


「カレン東京に来たらもっと芸能人とかにいっぱい会えると思ってました!」

「そう、僕もそう思ってた。けど意外と道端でバッタリ、なんて事はないよね」


 考えてみれば当然かもしれません。東京には一千万人を超す人々が暮らしているのです。果たして、その一千万人の中にどれだけアンドロイドが混じっているのでしょうか?


「ハッハッハ! お二人ともそれ、田舎から上京してきた人の常套句ですよ。お台場とかに行けば会えるかもしれませんが」

「そうなんですか? 僕この前楓ちゃんに同じような事聞いちゃった」


 はずかしながら、お台場への電車の乗り継ぎもよく知らないのです。お台場に行けば拳銃を所持した低血圧のお姉さんに会えるのでしょうか?


「あんなん遠くから見たって面白くもなんともないよー。それよりパンドラの住人のが絶対レアだと思うけどなー」

「ロボやエイリアン見たなんて、田舎の友達に信じてもらえません! これでは故郷に錦を飾れません! まるでお肉を買いに来たのに、お肉屋さんに家電しか売っていなかったような、そんな残念な気分です!」

「私、家電扱いですか? あ、そろそろ行かなきゃ」


 こんな日常の風景の中、正宗さんはあまりご飯も食べず、黙ってゆっくりした手つきで抹茶をすすっています。僕はふと、昨日の夜から姿を見ていない俵屋さんの安否が気になりました。


「そうだ、僕俵屋さん起こしてきますよ」

「よだかは偉いねぇ。あとでお姉さんとお風呂はいろー」

「からかうのはやめてください」

「からかってないのにー」


 そして201の前、何度も学習した僕はノックするなり一歩引いて、身に迫るかもしれない危険に備えました。しかしドアの向こうから返ってきたのはごく普通の返事です。


「はい、誰かな?」

「俵屋さん、起きてたんですか? 朝食出来てますよ」

「いや、遠慮しておくよ。働かざるもの食うべからず。こんな俺でも就ける仕事がもし運よく見つかったら、その時は夕食をご馳走になろうかな」


 ? …………? 誰だ?


「俵屋さん、女性のパンツを収集する趣味について、どう思われますか?」

「マイノリティーとして、そういう性癖がある事は俺も知っているよ。ただ女性の下着を盗む輩が横行している現状には遺憾を覚えるね。遺憾しか覚えないと換言してもいい。それでは世界を平和と秩序に導けない」


 僕は恐怖のあまり青ざめて、膝が勝手に震え出しました。そして気がつけば走って逃げ出し、ロビーに助けを求めていたのです。途中で階段から足を滑らせて転びそうになりました。


「大変です俵屋さんが、俵屋さんがッ!」

「また変死体にでもなってたー?」

「真人間になっちゃいました!」


 付喪神もヴァンパイアも信じてくれません。


「落ち着けよだか、頭が爆発しても変態だった男が、いまさら真人間になるなど……」

「そうですよだかさん、変な幻覚でも見たんじゃないですか?」


 そんな中、まるでスクリームのおばけみたいな、レクター博士みたいなそいつは、スーツを着て現れました。


「みなさん今まで散々ご迷惑をおかけしました。俵屋幸一、これより髪を切り、就職活動に行ってまいります」


 全休凍結に全員が固まる中、俵屋さんにそっくりなその人はスタスタ玄関へと向かいます。吉永さんは血圧が一気に上がったのか、それとも一瞬で血の気が引いたのか、銃口を俵屋さんへ向け撃鉄を起こしました。鋭い声が走ります。


「ちょいと待ちな! 動くな。お前本当にあのニートか?」


 俵屋さんは臆す事なく、まっすぐ吉永さんを見ました。


「どうかしました、吉永姉さん?」

「いったいどうしちまったんだ? 魂胆を言え、魂胆を」

「魂胆というより目的は社会貢献のためです。賃金のために働く人間を俺は馬鹿にしませんが、より良い世界を実現するために俺は就労したいのです。それと吉永姉さん、拳銃の使用はもちろん、所持も禁止されているのはご存知ですよね? 咎めるつもりはありませんが、あまり人に向けてはいけませんよ」


 人は本当に怖い時、声なんか出ないものです。吉永さんは口をポカンと開けたままピストルを落としてしまいました。玄関へと踵を返した俵屋さんは最後に笑顔でこう言い放ちました。


「でも不思議なほど、吉永姉さんには銃が似合いますね」


 この恐怖がみなさんに伝わるでしょうか? これは背後から忍び寄り、すでに僕たちの肩を掴んでいるホラーでありサスペンスです。ブラウン管から飛び出したサイコです。


「おい正宗……なんとか事情を聞いてこいよ」

「いやじゃ、怖い」


 正宗さんの持つ抹茶が震えて波紋をチャプチャプさせています。カレンちゃんも震えています。


「これは天変地異の前触れに違いありません!」

「いやいや、絶対カレンちゃんの作ったプリンが原因だと思うよ」

「えっ?」


 他にないでしょう。僕が昨日の経緯を説明すると、緊急会議が……始まりませんでした。


「よいのではないか? やつもようやく社会復帰が出来て大団円ではないか。カレンの料理も使いようじゃ」

「カレンの料理が世間様の役に立って嬉しいです!」

「しっかしあんな俵屋気味がわりぃけど……まあしょうがねえか」


 そして足早に着替えて学校に向かう途中の事。僕は学校に近づくにつれ、ふつふつとある思いに取り憑かれていました。


「アレを楓さんに紹介すればいいじゃないですか!?」

「僕もそれを考えてたんだけど……大丈夫かな? あんな壊れた俵屋さん、いつかボロかバグが出ると思うんだけど」

「しばらくは試運転という事で様子を見ましょう!」

「そうだね、しばらくは楓ちゃんにも黙ってよう」


 今日も授業はいつも通りに始まり、時間通りにチャイムが鳴ります。ちなみに僕の成績は五教科平均でいうと上の中くらい、でも体育はからっきし。

 カレンちゃんは下の上ってとこですが、どうにも体育と美術だけは敵いそうにありません。帰り道、カレンちゃんに尋ねてみました。


「いつも体育は手を抜いてるの?」

「もちろんです! カレンが本気出したら全ての陸上競技で世界新記録になってしまいます!」

「謙虚だね」

「これもヴァンパイア一族が生き抜くために編み出した鉄の掟、中世からの暗黙の了解です、仕方ありません!」


 ヴァンパイアの世界にもいろいろと苦労があるみたいです。ドラキュラ伯爵もこんな悩みを抱えていたりしたのでしょうか?


 会話に華が咲き始める頃にはもうパンドラが間近なのですが、桜の花はもう散ってから二週間以上も経ちます。住めば都という感情でしょうか? 不思議なもので、一月そこそこしか暮らしていないこの家が、あって当たり前の存在になっています。

 大抵誰かがロビーにいて『おかえり』と笑顔をくれるので、一人暮らしをしている僕たちは『ただいま』を向ける先に困りません。


「おかえり……」


 今日は膝を抱えて部屋の隅で体育座りをして震える、スーツ姿の座敷童がその役でした。そしてそれを眺めてニコニコする吉永さんと正宗さんも挨拶をしてくれます。


「おぅよだか、こいつの話おもしれぇから聞いてやれよ」

「どうしたんですか?」


 聞けば俵屋さん、午後急に正気を取り戻したらしく、気がつけば幕張メッセの企業合同説明会のど真ん中に立ち尽くしていたそうです。本人曰く、就職活動に勤しむ若き力、および採用活動の熱っぽい視線にあてられた時、ニートという生き物は極度のストレスに晒されるそうです。


「そこから先は地獄だった……俺は笑う膝を奮い起こして、吐き気と戦いながら必死で電車を乗り継いで帰ってきたのさ」

「これはカレンが定期的に手料理を食べさせてあげた方がいいかもしれませんね!」

「ひぃ! 勘弁してくれぇ!」


 吉永さんと正宗さんは何故かずっと幸せそうな表情。コーヒーと抹茶でご満悦です。


「まあなんにせよ、よかったよかった。ニートはこうでなくちゃ落ち着かねぇぜ」

「餅は餅屋じゃのう。俺もこっちの方がなんだか和むわ」


 本当にこれでいいのでしょうか?

 とりあえず楓ちゃんに男性を紹介するのは、しばらく後の話になりそうです。

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