第27話 彼を訪ねて ー2ー

 しばしの間、時間が停止しました。

 最初に沈黙を破ったのは、僕と広瀬さんの後ろにいたカレンちゃんです。


「あれ……カレンのパンツ」


 見れば声は震えて、目に涙をたたえているではありませんか。第二声は変態界のサラブレッド、目出し帽みたいにパンツをかぶった俵屋さんでした。


「違う……違うんだ」


 カレンちゃんは当然聞く耳もたず。涙を散らしてその場を逃げ出してしまいます。これにはさすがの僕も怒ります。


「俵屋さん、さすがにやっていい事と悪い事があります」

「違うんだって、これには深い理由がベボラッ!?」


 問答無用で広瀬さんが殴りかかっていました。さすが堅気の男。


「いたいけな婦女子を泣かせるとは何事か不届き者! そこに直れッ!」

「弁解を。ちょっとでいいから釈明を……」


 確かに理由も聞かず畳み掛けるのは酷すぎるかもしれません。僕は荒ぶる広瀬さんをなだめて、申し開きの機会を設けました。

 聞けば俵屋さん、以前から何度かカレンちゃんのパンツを目撃していたそうです。


「洗濯機に一個だけ残ってたり、廊下や庭先に落ちてたり」

「それを全部コレクションしてたわけですね?」

「いや違うって。ほら! 俺ってば不幸を吸い込んで周りを幸せにしちゃうタイプの献身的な妖怪じゃん?」

「怒られるためにワザと窃盗に及んだとでも言うつもりか?」

「違うって、つかアンタだれ!?」


 正座して腫れた頬をおさえながら、俵屋さんが聞きました。広瀬さんは堂々と名乗りを上げます。さっさと話の核心に迫りましょう。


「俺は長年の貧乏感で察知したのさ。『こんな露骨な罠に手を出すと死ぬほどヤバい不幸に巡り合う』ってね。カレンちゃんのものだとは思ってたけど、喉から手が出るほど欲しかったけど、それでも見て見ぬフリを敢行したんだ!」

「でもかぶってましたよね? かぶってましたね?」


 金属製のドアノブを引きちぎるカレンちゃんのパンツを盗むなんて、明らかに正気の沙汰とは思えません。止むを得ない事情があったのでしょう。


「それは今日、突然の出来事だった……換気をしようと窓を開けたらパンツが風で飛んできて俺の顔に当たったんだ。それ以降の記憶は無い……気がついたらソーラン節を踊ってた」


 ん? 僕は釈明を聞いていたはずですが?


「言い訳になっておらんでは無いか」

「しょーがないじゃんか!? 二人だって男だろ!? ならこのロマン、脳内麻薬エンドルフィンに自我が吹き飛ぶ驚異と熱狂と衝撃が分かるだろ!?」

「この男はさっきから何を言っているんだ? まったく理解できないぞ」


 戦時中に下着泥棒なんかいたんでしょうか? 理解できないのも無理ない事かもしれません。そういうフェチがある事は僕も知っていますが、さすがに『布に興奮する』という俵屋さんのマイナー且つ法に抵触しそうな趣味を擁護するつもりはありません。


「僕、ちょっと島村さんのところ行ってきます」

「わーっ! 待って、それだけはやめて!」


 えらい怯えようです。


「じゃあカレンちゃんに直接謝ってください」

「殺されたりしないかな?」

「その場合は自業自得と思って、往生してください」


 俵屋さんをロビーに連れていくよう広瀬さんにお願いして、僕はカレンちゃんの部屋にいきました。カレンちゃんの部屋は僕の部屋の隣、203の黒いドアです。


「カレンちゃん、いる?」

「よだかさんですか? 入っていいですよ」


 以前何度かお邪魔した事はあるのですが、カレンちゃんの部屋は黒っぽい部屋です。黒いカーテンを閉め切って明かりもほとんど点けません。太陽が平気とはいえ、ヴァンパイアはやっぱり闇を好むそうです。

 僕はベッドに体育座りしたカレンちゃんの横に座って、先ほどの弁解を軽く説明しました。


「古屋敷さんが謝りたいって、ロビーで待ってるよ」

「カレンも薄々おかしいな? とは思ってたです。カレンの下着なぜかポロポロ落ちたり風で飛んだりしてましたから」


 自覚があるみたいです。どうやら俵屋さんの言い訳もまんざら嘘八百でもないみたい。


「じゃあ許してあげられる?」

「……」


 その質問にカレンちゃんは深く考え込みました。そして急に肩を震わせて、不気味な笑い声をあげます。


「フッフッフ……いきましょう、よだかさん。カレンは自由平等博愛の女。こんな事で怒ったりしません」


 怖いです、まるでヴァンパイアみたいです。

 ロビーに着くと、土下座した俵屋さんに対してさえカレンちゃんは黒い後光が射しそうな天使の微笑みでした。


「すまないカレンちゃん、もうしない! どうか許してほしい!」

「ノープロブレムです! でもあんまりイタズラしすぎちゃ駄目ですよ!」

「ああ、カレンちゃんは天使様だ」

「でも……一つだけカレンのお願い聞いてほしいです」


 だんだん話が逸れてまいりました。これなんの話でしたっけ? そうそう、僕たちは楓ちゃんに彼氏を紹介するため、必死の努力をしているところだったはずです。


 その一環として、僕と広瀬さんは俵屋さんを後ろ手に、椅子に縛り付けていました。カレンちゃんは意気揚々とキッチンで鼻歌を歌っています。


「拝啓、月夜野かれん様。つかぬ事をお伺いしますが、俺はこれからどうなるのですか?」

「安心してください! カレンのお料理の味見をしてほしいだけです!」

「味見をするのに手を縛るのは不条理かつ非効率だとニートは思います」

「カレン、いつかお姉様にも食べてもらえる料理が作りたいんです!」

「三千世界が終わろうとも天地神明に誓って料理するな、って言われたんじゃなかったっけ?」

「下手な鉄砲だって、練習すれば上手くなるはずです!」

「すでに一発必中だけど!?」


 正宗さんが興味無さそうにニュースを見ています。俵屋さんは僕に泣きつきました。


「ねえよだか君……」

「無駄です。自業自得です。諦めてください」


 次に広瀬さん。


「あのさ、幽霊君……」

「何を怯えている。窃盗を働いた上、飯を食わせてもらって文句を言うとは、お前は軟弱者とかそれ以前に問題がありそうだな」


 最期にソファーに向かって。


「板長さーーーん!」

「俺は居らん。いま留守じゃ」

「できましたー!」


 あっという間に完成、プリンです。ふわっと仕上がった茶碗蒸しみたいなプリン。カップケーキの時もそうでしたが、見た目も匂いも美味しそうです。

 正宗さんはそれをチラ見するとテレビを消して、無言で退散しました。


「そんなに怯える必要はありません! 今回はレシピ通りに作りましたから!」

「確かに美味しそうではある……」


 僕は無言で広瀬さんの袖を引っ張って、安全な位置まで誘導します。カレンちゃんは自らの手でプリンをすくい、スプーンを俵屋さんの口へと運びました。心なしか俵屋さん、ちょっと嬉しそうです。


「んん……ん!? 上手い!」

「ほんとですか!?」

「プリンだよプリン! これはプリンだ!」


 カレンちゃんが足をピョンピョン、俵屋さんが椅子をガタガタ、大はしゃぎ。

 でも僕は知っています。カップケーキの時だってほぼレシピ通りだったはず、これで終わるわけがありません。


「オォ……オオォ……ポヘェ……」

「どうしました、俵屋さん!?」


 突然、俵屋さんが口からカニみたいに泡を吹き始めました。ついには白目を剥いて気絶。これにはカレンちゃんはしょんぼりです。


「今回も失敗です。いったい何がまずいんでしょう?」


 僕にも分かりません。


「一之瀬よだか、あの男はいったいなぜ気絶したんだ?」


 皆目検討もつきません。


「俺は見ておったぞ」


 後ろから正宗さんの声がしました。見れば、げに恐ろしげな顔をしているではありませんか。


「カレンは何もしておらん。本当にレシピ通りプリンを作っただけじゃ。くわばらくわばら……」


 それだけ残して去ってしまいました。

 もしかしたらカレンちゃんの巧拙に関わらず、その料理には呪いや魔術、魔法の類がかかってしまうのかもしれません。


「カレン、もう料理は諦めます」

「元気だしなよ。他にもカレンちゃんの魅力はいっぱいあるんだから。大丈夫だよ」


 いつか吉永さんの言っていた通りかもしれません。人は適材適所、得手不得手があるのですから、みんなで協力しあって生きていけばいいのです。


 


 と、これで終わればよかったのですが……

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