第23話 吉永由紀の手料理 ー2ー
そして今日も太陽はいつもの速さで西に沈み、月はいつも通り一つだけ顔をだしました。
「審査員は三人か。二人美味しいって言えばアタシの勝ちって事でいいよな?」
「いつから勝負になったのか知らんが、まあそれでよかろう。俺一人でも構わんぞ」
『最後の晩餐』で言うところのイエスの位置が正宗さんです。弟子は左右に一人ずつしかいませんが……吉永さんとカレンちゃんはキッチンに立っています。
「ダメです! 正宗さん一人だとミシュランガイド標準になりかねません!」
「そんな厳しく見るつもりは無いが、まあよい。始めておくれ」
以上、吉永さん、正宗さん、カレンちゃんの会話を皮切りに、料理の鉄人バトルは火蓋を切って落とされました。
「ちょっと、なんですか? 今日は吉永さんが晩御飯作ってくれるんですか? 私何も聞いてませんよ??」
そりゃあそうでしょう。帰宅した古屋敷さんは半ば強制的に捕まえられて、人柱にされたのですから。審査員は僕、正宗さん、古屋敷さんの三人に決まったみたいです。古屋敷さん、正直、頼りにしています。
吉永さんは鼻歌交じりにクッキングを開始、ホットパンツにタンクトップにエプロン姿で料理をするのはなかなか刺激的です。正宗さんは目を瞑って、腕組みをして瞑想しています。
「どういう事なんですか一之瀬さん? 吉永さんって料理出来ましたっけ?」
「えぇと、それはですね……」
かくかくしかじか、僕は今日の出来事を当たり障りなく解説をしました。
「なるほど吉永さんの花嫁修行って訳ですね。いいじゃないですか、夜が更けるまでお付き合いいたしましょう!」
「そうですね。せっかくですから」
少し様子を見ていたものの、吉永さんの手つきや手際はスムーズで、料理か初めて、という感じではありません。正宗さんもチラチラ目を開いては気にしているご様子。
「ほぅ……なかなか悪くない手捌きじゃ」
「へっへぇ。チャカで野郎は倒せても、ナイフが使えなきゃ野戦で生き残れねぇんだよ」
吉永さん、ひょっとして焼いた蛇とか蛙をメインディッシュに振る舞うつもりじゃないですよね?
なんて一抹の不安を他所に、しばらくして出てきたのはオーソドックス、というよりちょっと贅沢な和食でした。ご飯に味噌汁、サラダに菜の花のお浸しにブリ大根の五種です。僕は思わず感嘆します。
「すごい美味しそうですね! 正直ちょっと意外です!」
「美味しそう、じゃない。美味いんだよ」
「確かに……見た目は良くできておる」
「あのな、お前らアタシがゲテモノか毒でも作ると思ってたのか?」
カレンちゃん統計が頭の隅にチラついていたのですが、どうやら杞憂、もしくは30パーセントだったみたいです。匂いと見た目だけで僕にも分かりました。これは決して爆発したり、気分を悪くする料理ではありません。むしろ、いや、至高のメニューかもしれません。
「早く食えよ。冷めちまうだろ?」
吉永さんの言葉に、しかしそれでもゼロではない可能性を危惧するあまり、僕と正宗さんは端に座る古屋敷さんを一瞥します。
「なにやら懐疑的な視線を感じますね、どれどれ……」
古屋敷さんは首を三回転させて、赤と緑の光線をテーブルに撒き散らしました。
「ふむふむ。放射能反応なし、科学・金属反応無し、塩分、糖分なども正常。その他人体に悪影響の強い反応の恐れ無し。問題ありません、食べられますよ」
「おいポンコツ、それを口に出すのがそもそも失礼ってもんだ、早く食え」
僕たちは三人揃って『頂きます』の挨拶を元気にして、食べました。そして思わず言ってしまいます。
「美味しい。とっても美味しいですよ吉永さん!」
「よだかは素直でいい子だな。よし、明日からうちの子になるか」
紛れもなく美味しいです。その後、手に取ったお浸しも味噌汁ももれなく美味しいです。
「これは正直、私にとっても予想外です。先入観で料理なんかからっきしなものだとばかり思っていましたが。いやはや人は見かけによりませんね」
「適材適所ってやつよ。正宗の方がちょっとばかし出来るから譲ってやってるだけで、その気になりゃあアタシだって人並みの料理できんのさ! どうだ正宗、もうアタシの勝ちだけど、素直に美味しいって言ってもいいんだぜ?」
正宗さんは無表情で黙々と食べていたのですが、箸を置いてじっと料理を見つめました。
「認めざるを得まい。霜降り、面取り……素材の下処理から味付けまでしっかりして、柔らかく仕上がっとる。なかなか美味しいぞ」
「なんか今日はみんな素直だな。八百屋のおばちゃんに秘伝のレシピを聞いた甲斐があったってもんだぜ!」
吉永さんはちょっと照れくさそうに笑いました。てかやっぱりあの時に教わってたんですね、ブリ大根の作り方。僕たちはお腹いっぱいになるまでご馳走を頂き、鍋を空にしました……その時です。
「おやおやー? いい匂いがするぞー??」
なんという間の悪い、バツの悪いタイミングで夜型のニートが二階からその頭を覗かせました。完全に俵屋さんの事を忘れて完食してしまった僕たち三人は、それとなく視線を泳がせます。
「あれれー? おかしいなー? 俺の分がないぞー??」
「来るのがちょっとばかし遅かったなダメ人間。アタシの料理は人気過ぎてもう完売御礼だぜ。ニートはニートらしく部屋でカップ麺でもズルズル啜ってな」
「変だなー。俺呼ばれてませんけど。どうして誘ってくれなかったんですか?」
俵屋さんがいやらしく首をうねらせてこちら側、男性陣を覗き込みます。正宗さんは別段悪気もなさそうに、きっぱり答えました。
「すっかり忘れておった。すまん」
ついに俵屋さんは涙ぐんじゃいました。
「グスッ……非道いですよ……昼過ぎからロビーが騒がしいから『なんかイベントやりそうだなー』って、呼ばれるの楽しみに部屋でずっと待ってたのに!」
見るも哀れ、語るも哀れな無職(27歳)が泣き崩れ、床下まで崩れ落ちそうな絶望の瞬間でした。
そんな折も折、食欲をそそる甘い香りと一緒に、その小さな手には大きすぎるミトンの天使が舞い降りました。カレンちゃんは吉永さんの料理にずっと付き添い、味見でお腹がいっぱいになってしまったのです。そして最後に残った希望、デザートのカップケーキを焼いてくれていたのでした。
「正宗さんが昨日作ってくれたホットケーキミックスのあまりで作ったのですが……」
「おいカレン、すまねぇがその美味しそうなカップケーキ、この哀れなニートに最初に恵んでやってくんねぇか?」
「え”?」
カレンちゃんがすっごい嫌そうな表情を作りました。まるでアスファルトの上の干からびたミミズでも見ているようです。それでも萎えず、むしろ嬉しそうな俵屋さんのメンタルもさすがと言わざるを得ません。
「それを……その美味しそうなカップケーキを……可哀想なおいらに恵んくれるって言うのかい?」
無言のカレンちゃんの表情がだんだん青白く、悲壮な面持ちになってまいりました。それでも言葉に出さないところがカレンちゃん、大人です。一言も喋らないまま、ついに震えるミトンで一番おおきなカップケーキを差し出しました。
「ああ……月夜野さん、さっきから『吉永さんに最初に食べてもらうんだ』って張り切ってたのに……」
こういうのを『断腸の思い』と言うのでしょう。さっき『お姉様に最初に食べて欲しいです!』って全力の笑顔を僕も見ていただけに胸が苦しくなります。
「わーい! ロリに焼いてもらうカップケーキは最高だぜー。ヒャッハー!」
そんなカレンちゃんの筆舌に尽くしがたい想いなんかいざ知らず、俵屋さんはガマ口みたいな大口を天に開いてパンケーキを放り込みます。
「ん〜美味しぃぃ〜〜…………いぃ!?」
ベシャッ……突然の出来事でした。
詳しい描写はグロテスクなので避けますが、端的に言うと『俵屋さんの頭部は弾け飛んだ』のです。
……事態を把握できず全員10秒ほどフリーズ。
「おぉ……すっかり忘れてました。カレンおとんに『金輪際、三千世界が終わろうとも、天地神明に誓って、料理だけは絶対にするな』って、口すっぱく言われてたのです」
おかしい。正宗さんのホットケーキミックスを使ったパンケーキが爆発物になる原理が僕には理解できません。吉永さんはカレンちゃんのつやつやした黒髪を撫でて、優しく慰めました。
「今度アタシがパンケーキでも作ってやるから。カレンは『美味しい』って言ってくれりゃそれでいいさ。服汚れただろ? 一緒にシャワー浴びようぜ」
「そうですね……でもカレンちょっと自信なくしました」
二人はこの凍り付いた惨状をそのままに、何事もなかったかのようにフェードアウトします。
「気にすんなって。それよりもカレンの父ちゃん、他になんか言ってなかったか?」
「あとは大丈夫です! きっと大丈夫です!」
楽しい食卓から一瞬でスプラッター現場に放り出された僕たちは、しばらく血まみれのまま茫然自失するしかありませんでした。
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