第19話 月夜野かれんの吸血 ー2ー
翌朝、目がさめると可愛らしい白雪姫の寝顔が目の前に……ありませんでした。でも僕の首には冬でもないのにマフラーが巻かれて、優しい心遣いの名残が垣間見えます。ドアは蹴破られた気配もなく、窓は閉まってる……
重たい頭を動かして探してみると、カレンちゃんは何故か床に寝ていました。気を使わせてしまったかと思うと、なんだか申し訳ないです。
「あ? ドアノブ外れてるじゃねえか」
島村さんの声です。どうやら向こう側のドアノブは廊下に落ちていたみたい。そんでもって立ち上がって応対しようとしたところ、体に力が入りません。
「島村さん、ドア開けられますか? こっち側から開かなくなっちゃって」
「おう、ちぃとばかし待ってな」
ガシャガシャ物音を立てる事ほんの十秒ほどでドアの外から明かりが入ってきました。
「ありがとうございます」
「おう。新婚初夜はどうだったい?」
「茶化さないでくださいよ。大変だったんですから」
物音と明かりにカレンちゃんも目を醒ましました。
「よだかさん。元気になりました? あれ? カレンよだかさんギュッとして寝てたのに、なんで冷たい床に?」
危ないところでした。寝ぼけたカレンちゃんにあの力でギュッとされたら、背骨が絶望的な音を立てて崩壊していたかもしれません。
「学校行けそうですか?」
「学校は……今日一日だけ休もうかな。念のためにね」
ものすごく体が怠いです。まだ麻痺してるみたい。
「すみません。カレンついついたくさん飲んじゃって。あ、島村さん! ドア弁償しますから!」
「いいって事よ。元々鍵交換サボってたからな。月夜野君の部屋のとセットで交換しといてやるぜ」
島村さんはドアノブを二つ、片手でお手玉しながら出て行きました。カレンちゃんやっぱり予定より大量の血を補給してたみたいです。
「カレンも学校休みます。よだかさん動けないでしょう?」
「大丈夫だよ、ほら」
空元気を振り絞って体を起こしてみました。ややもすると気持ちいいくらいの虚脱感に襲われます。
「それに今日は確か正宗さんも休みだったはずだから」
「そう……ですか」
ちょっと悲しそうな顔はしたものの、カレンちゃんはその後ちゃんと学校に行きました。向こうでモノを壊したりしないか、それが気がかりです。
そして自分の身にも一つ気がかりな事が……
「よーだーかーくーん」
今日は吉永さんも古屋敷さんも仕事でいないのです。鍵どころかドアノブさえないこの状況はまさに袋のネズミ。襲われでもしたら、ひとたまりもありません。
「何かご用ですか? 俵屋さん」
「いやだなぁ、そんな顔しなくたっていいじゃない。よだか君風邪ひいたって言うから看病してあげようと思っただけだよー」
揉み手をしながら俵屋さんが入室してきました。第六感がうるさいくらい警報を鳴らします。
「大丈夫です。問題ありません。ですから部屋に戻ってください。もしくはスーツに着替えてハローワークへ向かってください」
「寝汗いっぱいかいたでしょ? 着替え手伝ってあげるから。ほらほら」
「ちょっと、やめてください」
信じがたいですが、僕を男と知りながらセクハラでもしに来たらしく、勝手に僕を起こして着替えさせようとしました。
しかし世の中の悪、少なくともパンドラの中で行われる悪事はそうそう簡単ではありません。
「粥を作って来てみれば……やれやれ、おぬし本当に邪道だけは悟りの境地じゃな。まさか
ジャクドウってなんでしょうか? それはともかく、正宗さんが間一髪のタイミングで素敵な匂いを運んでくれました。出汁の効いた美味しそうな香りです。
「げ、板長さん!? いやこれはすごい寝汗だったから着替えを手伝おうとしただけで……」
「問答無用じゃ。はよう出て行かんと、その悪い癖がこびり付いた腕を切り落とすぞ」
「ひえぇー」
正宗さんの冷たい気迫もすごいのですが、俵屋さんモブキャラっぷりにもほとほと感心します。あそこまで自分を貶める事が出来るのはある意味才能かもしれません。
「ありがとうございます」
「礼には及ばん。それにあやつ、本当は、心根のところでは良い奴じゃないんじゃ」
「分かってます」
「同じ物の怪として恥ずかしい話だが、ああいうのはうようよいてな……ほれ粥じゃ。茹でた山菜と薬膳もあるからお食べ」
病人の事を真摯に考えたメニューなんでしょう。ひき肉や生姜、ほうれん草なんかが添えてあって、いつも以上に美味しそうな朝ごはんでした。
「ありがとうございます。物の怪? って事はやっぱり俵屋さん人間じゃないんですか?」
正宗さんの眉目秀麗な顔の上に『きょとん』って効果音が浮かんでます。
「何を言っとるよだか。お主、死なない人間なんか見た事があるのかい?」
「いや言われてみれば確かにそうですが……見た目があまりに普通なもので」
オバケは死なない、仕事も何にも無い、という訳ですね……なるほど。
「それでは俺が普通では無いみたいではないか」
「正宗さんは初めて手が刀でしたからね」
力なく笑いかけると、正宗さんも優しく笑って、お粥の乗ったお盆を差し出してくれました。
「ほれ、食べられるかい?」
「はい、そのくらいは出来ます」
お盆を掛け布団に置いて、僕はお粥を頂きました。正宗さんの手料理はいつも美味しいのですが、今日は一段と体に染み入ってきます。
「あやつは座敷童子だよ。聞いた事くらいあるじゃろう」
知ってるも何も、日本でもトップクラスのメジャー妖怪です。そして座敷童子のイメージをコテンパンに覆す破天荒さです。今までの行動を振り返る限り、やっている事は貧乏神のそれだし……まず童じゃないし……
「島村殿は人が良いから、俵屋殿が初めて来た日に座敷童って話を鵜呑みにして部屋を与えたんだが……それからというもの不思議なくらいパンドラには災いが訪れなくなってのう。台風が来ても火事になってもなぜかここだけは被害を免れるし、入居者もみんな健やかじゃった」
あれ? 今の僕の状況は? カレンちゃんが健やかになったから OKって事ですか?
「ま、『あやつ自身が起こした不幸』だけは例外らしいがのう。とにかく悪い奴じゃないんじゃ」
本末転倒です。そのメリットとデメリットを乗せた天秤がデメリットを持ち上げる事は、永遠に無いでしょう。島村さんはもはや闇金融でお金を借りたのと大して変わらないんじゃないでしょうか?
「そそそ。それにねー。俺が不幸を吸収して、君たちみんなを幸せにする力もあるんだよー」
空いたドアから俵屋さんが覗いていました。なぜか誇らしげです。
「まだ居ったのかおぬし」
「板長いたちょ~。お願いがあるんですけどー」
「気持ち悪い声を出すんじゃない。それで用とは?」
「ニートお腹空いちゃった。てへぺろ☆」
「ほんに、毛ほども自活をせん男じゃ」
呆れ果てた様にそう言いながらも、正宗さんは重い腰を上げました。
「やっぱ板長さんは優しいなー。大好きー」
「俺はフェアなだけじゃ」
そんな事ありません。正宗さんは本当に誰にでも優しい、立派な人です。
しばらく部屋で本を読んだり音楽を聴いているうちに、だんだんと体調が良くなって、午後になるともういつもと変わらず動けるくらいに回復しました。
気がかりだったカレンちゃんもいつもの三倍くらい元気に帰宅します。
「ただいまーです! よだかさん元気になりましたか!?」
「うん、カレンちゃんの半分くらい元気になったよ」
「それなら心配いりませんね、カレン元気が取り柄ですから!」
元気な自覚はあった様です。
「元気すぎてモノ壊したりしなかった?」
「大丈夫です! カレン石橋を叩き壊してもジャンプして渡れるタイプですから!」
これたぶんなんかやらかしてるな。問いただそうとした時、カレンちゃんは困った顔を作って、話を続けました。
「そう言えばあの人、広瀬さんすっごく心配してました」
「やっぱり今日もいたんだ」
初めて会った日から一週間以上経ちますが、広瀬さんは本当に毎日、同じ場所で待っていたのです。雨にも負けず、風にも負けず、あの人は待ち続けているのです。
「自分で『雨が降ろうが槍が降ろうが、君がアドレスを教えてくれるまで待つのをやめない』って高らかに叫んでましたから。カレン、さすがにちょっと可哀想になってきました」
僕は何度かキッパリ断ったのですが、そろそろ根本的な対策を立てないといけないかもしれません。
「なんとか出来ないか、考えてみるよ」
「カレンも協力しますよ!」
とは言ったものの、いったいどうすれば解決できるのか、今のところ糸口は見えておりません。本当にいったい、どうしましょうか?
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