第17話 一之瀬よだかの受難 ー2ー
あの事件以降、すっかり鳴りをひそめた俵屋さんがトップバッターでした。箒をガサガサ、軒先で掃除をしています。
「やあ、今日もいい天気だね!」
上を見れば曇り空。傘は……いらないかな。今日は雨降らないって予報だったはず。ちなみに俵屋さん、庭先くらいまではよく見かけます。本人曰く『コンビニと庭先までは俺のテリトリー』だそうです。
「どうも。最近ずいぶんおとなしいですね」
「そりゃあまあ、あれだけ痛い目に遭った後だからね。しばらくはなりを潜めておかないと」
どれだけ痛い目にあったのでしょうか? 筆にも舌にも尽くしがたい痛みを味わったはずなのですが、心の奥底ではまだ反省していない口ぶりです。
「それはそうと何をしているんですか?」
「掃除だよ掃除。いやー島村さんに押し付けられちゃってさ!」
当然の成り行きです。なにせあの事件で開けた穴のお金、働いて返すあてが無いんですから。
「ほんとに掃除ですか? またやましい事企んでるんじゃないですか?」
「いや違うって! ホント、今回はマジ! 精神誠意、奉仕と博愛と感謝の精神から掃除してるんだよ」
ニートに奉仕と博愛の精神が芽生えたのなら、まずは就職先を探すべきだと高校生は思います。
「そうですか、じゃあ僕は出かけますので」
その途端、俵屋さんはスライディング気味に土下座して叫びました。
「スマンよだか君! 俺一人じゃ今日中に終わりそうにないんだ。ちょっと手伝ってもらえないかな??」
僕もお世話になっているパンドラ共同倉庫の掃除です、断る理由もないので、しばらく付き合いました。
「けっこういろいろあるんですね。家電に家具、本に雑貨……それに……」
それに用途の分からない金具や変なパーツ、武器や小道具。誰の私物でしょう……自己防衛の観点から非常に気になるところです。
「島村さんは基本、住人が置いてった物を捨てないからね。こうやって溜まってくばかりなんだよ」
「思い出……なんですね、きっと」
そんな気がします。きっと島村さんにとってはどれも思い出深い記念品、アルバムなのでしょう。それとなく区画分けされた棚はどれも個性的です。
注射器にメス、手裏剣にくない、天使の羽に魔法のロッド、
「それじゃ、僕そろそろ行きますね」
あらかたの埃を取り終えた事を確認すると、俵屋さんも和かに手を振って尋ねます。
「ありがとね、助かったよー。ところで今何時かな?」
「2時28分ですね。それがどうかしまし……ハッ!!」
僕はやっぱり、名探偵でも千里眼やら仏眼の持ち主でもあり得ないようです。遅まきに俵屋さんが時間食いをしていたと気づいて走り出すと、時すでに遅し、二番打者はヒットを打って走り去った後でした。
「うわ……暑っ」
「こんな事出来るのは一人しかいませんよね」
見ればパンドラに面するコンクリートの道路がドロドロに融けて、赤黒くフツフツと煮立っておりました。一般庶民にはお出かけ不可能です。しかし、辺りを見渡しても古屋敷さんの姿がありません。
「たぶんアレじゃないかな?」
俵屋さんが指差す先、もう点になりそうなほど小さな、しかし確かに人型の物体がジェットエンジンらしき炎を吹いて、雲の切れ間に消えていきました。
打って走って守れて翔べる、いぶし銀の超人バッターです。
「空まで飛べるんですか……脱帽です。カレンちゃんの差し金ですね?」
「あ、やっぱ分かる? 『よだかを暖かく見守る会』ってLINEグループが発足されてるんだ」
「そんなの僕、聞いてませんよ」
「そりゃあそうだよ。だって『よだかを暖かく見守る会』だもん」
古屋敷さんが電話する時って携帯電話なんでしょうか? それとも内臓でしょうか?
「古屋敷さん、今日出張って言ってませんでした?」
「わざわざジェットで飛んで来たんでしょ」
「僕に髪を切らせないためだけに!?」
「さすが博士が自分で最高傑作って言ってただけあるなー」
『博士』というキーワード、以前にもどこかで聞いた気がします。僕はホースを片手に、季節外れの打ち水をしながら聞きました。熱い道路がジュージュー鳴いています。
「その博士ってもしかしてパンドラに住んでいる人ですか?」
「そうだよん。あれ聞いてないの?」
「古屋敷さんから『いるけどいない』みたいな人の曖昧な情報は聞きましたけど」
「あの人はいっつもそんな感じだからね。シュレディンガーもビックリの天才だけど……今は確かアラスカにいるんじゃなかったかな?」
もはやパンドラに普通の人間がいたほうが驚愕ですが、古屋敷さんを設計、開発した人物なんて規格外の変わり者で天才には違いないでしょう。
「アラスカ? なぜまたそんな遠くに?」
「遺伝子がどうちゃら、って言ってた気がするけど。あんま覚えてないや」
お喋りに興じていると、出入り口を塞いでいたマグマはようやく個体になりました。まだ靴底が熱で溶け出さないか心配なレベルですが、これ以上もたもたしているとラスボス(たぶん吉永さん)にエンカウントしてしまいます。
「そこまでです。よだかさん!」
「やっぱり来たか」
出ました
「カレン手荒な真似はしたくありませんでしたが……」
「じゃあやめようよ」
「これも世のため人のため、よだかさんのため! 月夜野かれんが心を鬼にしてお相手します!」
「また僕の声が届かないパターンか」
案の定、カレンちゃんは力ずくでも僕を組み敷く構えでジリジリにじり寄ってきます。万事休すかと思われたその時でした。頼もしいタバコの香りが僕とカレンちゃんの間に割り込みます。
「月夜野さん、入居者同士の無益な争いは勘弁願いたいねぇ」
「どうして邪魔するんです、島村さん!」
エイリアンとヴァンパイアが対決した場合、どちらが勝つでしょうか? 僕は生まれて初めて、そんな疑問に駆られました。
「入居者の安全を守るのも管理人の仕事、分かってくれるか?」
「じゃあ島村さんはよだかさんがボウズになっても良いって言うですか!?」
異星人はスローモーションで葉巻を一吸い、そのままゆっくりと僕を見ました。その大きな目からはキラキラ光る雫が流れているではありませんか。
「俺だって断腸の思いだよ」
そうだったんですか……
その時、遠くから小さな、しかし聞き覚えのある声が僕を呼んだ気がして、僕は耳を澄ませた。音は凄い勢いで大きくなりました。
「よーだーかー!」
吉永さんがこれまた空から、遠い道路から一跨ぎに塀を飛び越えて颯爽と登場しました。登場するなり僕を凄い力で抱擁して持ち上げてしまいます。
「よかった、無事だったか? カレンから連絡きた時は心配したぞ」
「髪切りに行くだけですよ」
抱き下ろしてもまだ力強く僕の肩を掴んでいます。
「考え直せ。髪は女の命って言うだろ」
僕男ですけどね。そう言わせない目力です。そろそろコンクリートも安全に歩けそうですが、みんなを見てついに諦めました。カレンちゃんまでも泣きそうな目でこっちを見ているのです。
「カレン、今のままのよだかさんがいいです」
「分かった。髪切らないよ」
「ホントですか!?」
しばらくは、少なくとも妙チクリンなLINEグループが廃れるまでは、諦める事にしましょう。それがパンドラの総意と親切であり続ける限り……
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