第8話 身から出た錆 ー1ー
『いただきまーす!』
約1時間後、元気に手を合わせたのは僕、カレンちゃん、吉永さんの三人でした。食べなくても分かるほど美味しそうな和食が目前で食欲を誘います。
「召し上がれ」
正宗さんが朗らかに微笑みます。俵屋さんは二日酔いですが、他のメンバーは僕たちと同じ消化器官を持っているか甚だ怪しいので、何も聞かずに頂きましょう。
「美味しい!」
率直な感想が口を勝手に抜け出しました。やっぱり長年の修行が料理にも生かされているのか……そういえば正宗さんはいったい何歳なんでしょう?
「んー、飲み明けに優しい味ー」
吉永さんはなんだか寝ぼけているみたいで、目も半分くらいしか開いていません。しかしカレンちゃんだけは厳しい表情で料理を睨んでいます。それを心配そうに見つめる正宗さん。
「ぐ、ぐぬぬぬぬ……」
「どうした? 何か嫌いな物でもあったかい? アレルギーは?」
その時でした。半分レム睡眠の吉永さんがカレンちゃんに耳打ちします。何を言っているのか全く聞き取れません。
「ふむふむなるほど……カレン認めません! こんな美味しい……いや、美味しいけど認めません!!」
様子がおかしい。カレンちゃんは不自然極まりないこのタイミングで、寝ぼけた吉永さんの腕を引っ張って連れ去り、1分とかからずに戻ってきました。見るからに挑戦的な見幕です。
「板長さん? カレン、月夜野かれん言います!」
「元気じゃな、俺は102の正宗じゃ」
え? このタイミングで自己紹介なの?
「唐突ですが板長さんの料理美味しくないです! まだまだ修行が足りません!」
「そーだ、そーだー」と、吉永さんが、やる気のない相槌を打ちます。
「なっ!!??」
この時の正宗さんの表情をビジュアルで伝えられないのが残念で仕方がありません。日本刀って戦うために作られた武器のはずだけど、料理に命を懸けている職人がその半生を否定されたような面持ちでした。たぶん実際そうなのでしょう。
「吉永お姉様がもっと美味しいお店いっぱい知ってる、って言ってました! っね?」
「そーだ、そーだー」
「俺よりも腕の立つ職人が……この江戸……東京にまだおるというのか!?」
「そこの料理を食べて出直してください! よだかさんと一緒に!」
「そーだ、そーだー」
カレンちゃんの最後の一言は唐突過ぎます。黒幕があと3秒くらいで寝そうなのが余計に気になります。
「僕が行く意味は全くないよね」
「それは、それはですね……お姉様、どうしましょう?」
困り切ったカレンちゃんは吉永さんを揺すって催促しました。裏があるのは百も承知ですが、いったいどんな目的があるのでしょう?
「そうだなー、アタシ眠くてもう喋れないからー。よだかに料理店の場所メールで送るー。板長ケータイ持ってないっしょー」
「ナイスアイデアです! さすがユキお姉様!」
見え透いた猿芝居を一通り見届けてから、僕は正宗さんとお互いの呆れた顔を見合わせました。やっぱりこの茶番、付き合わなきゃいけないんでしょうか?
「二人ともそんな格好では門前払いされちゃいます! ちゃんとよだかさんは可愛く、板長さんは格好よく決めてください!」
こうして、木偶人形みたいな吉永さんと、なぜか誇らしげなカレンちゃんに済し崩され、押し込まれ、僕たちは街へと放り出されました。
「カレンと言ったか、あやつは何を考えておるのじゃ?」
「さあ、それは僕にもさっぱり……」
道ゆく人が、とりわけ女性たちがこっちをチラチラ見てきます。こんなに神々しい、眉目秀麗の仙人様が下界を歩いているのですから、無理もありません。
「よだかはこの界隈、疎いのであろう? せっかくだから楽しんでみればいい。どうせ金は吉永持ちじゃ」
「それは嬉しいんですが、僕料理の味なんかわかりませんよ?」
「料理の味より大事なものが世界のは溢れておる。俺は料理を、よだかは見聞を広める、それで良いではないか」
うーん……常人離れしてます、達観してます。草食系男子が騒がれる昨今ですが、菩薩系男子なんていかがでしょうか? 清廉潔白すぎて、どんな話を振ればいいか、非常に迷いますが。
「そういえば正宗さんって、携帯電話持ってないんですね」
「『すまーとふぉん』ってやつだろう? いくらくらいするんじゃ?」
「僕は確か……月々8,000円くらいでしょうか」
「そんなに高価なのか!? ならば固定電話で用を凌ぐ。別段困っておらんしな」
「必要ないんですか?」
「バイト先で『持っていた方が絶対いい』と言われたが……シフトは決まっておるし、ヘルプならパンドラに固定電話があるから問題ないはずなんじゃ」
「それってもしかして、言ったのは女性ですか?」
「よく分かったのう。若い後輩だ」
想像に難くない案件です。こんな人が近くにいたら、誰だって親しくなりたいと思うのが人情、恋心ってものですから。
そんな正宗さんの事を考えているうちに、朝に見せたあのノスタルジックな表情を思い出しました。
「正宗さんを作った人って……どんな方だったんですか?」
「なんじゃ、急に……」
不意の質問に珍しく正宗さんが目をパチクリさせます。
「なんとなく気になって。正宗さんを作った人が、そんな人殺しの道具を作る人とは思えなくて」
「実際、ずっと作っておったよ。『折れず、曲がらず、よく切れる』、そんな最上の凶器だけを求めて、幾星霜もの間、ひたすら槌を掲げては熱い鉄に振り下ろした」
「じゃあ正宗さんも?」
ビルに囲まれた明るい昼空を、正宗さんは嬉しそうに見上げました。ただの感ですが、この瞬間に僕は納得しました。きっと正宗さんも……作った人に焦がれているのです。夜な夜な蔵を抜け出しては会いに行っていたのかもしれません。
「あの人は今で言う『りありすと』じゃった……刀は道具、太刀は凶器、小太刀は護身。人を斬る事だけを考えて、来る日も来る日も、取り憑かれた様に鉄に向き合っていた」
「そう……なんですか」
じゃあやっぱり正宗さんも……
「でもね、ある晩ふいに馬鹿らしくなって、やめちまったんだ」
「どうして? やっぱり人殺しの道具だから?」
正宗さんは嬉しそうに首を横に振りました。
「いいや、聞いとくれよ、これは笑い話さ。あれは秋、新月の夜だった。あの人は砂金を流した様に煌めく、吸い込まれそうな天の川を見て、一目で惚れちまったんだって。突然『ろまんちすと』になったんだ。それで独りでこんな事を言った。『あーあ……一度でいいから、あんなもんが作りたかったなあ』」
上品に笑う正宗さんの顔は、それでも心の底から滲む嬉しさを隠しきれないみたいです。
「あの人はね、昼の仕事をスッパリ辞めて、夜に刀を打つようになった。星が一番よく見える冬に、何度も寒い外に出ては、まだ真っ赤な鉄を夜空に透かしては打ち、打っては空に掲げて……何度も言ってたっけか『空って、こんなに遠かったっけ』なんて。あの人がだよ? 笑っちまうだろう?」
『あの人』の事を僕はよく知らないけど、深い黒の宇宙に突き立つ白銀みたいな正宗さんをイメージして、都会の狭い昼空が、急に冬の夜空になりました。
電気もない時代の夜空は、どんなに星が輝いていたのでしょうか……満点の星空。僕が今朝、台所で見たばっかりの満点の夜空。
「本当に宇宙を……創ったんだ」
「あの人がようやく満足した一本が俺って訳さ。おっと、ついつい詰まらない話をしてしまったかな」
「いえ! すっごくいい話だと思います! もっと聞かせてください!」
思わず感動して、柄にもなく高揚して声が上ずってしまいました。正宗さんはやっぱり笑っています。
「なら良かった。ちょうど吉永の言った場所にも着いたしな」
「そう、です……ね?」
マップに示された建物は、想像していた料亭やホテルとは大きくかけ離れた外装でした。
赤地に大きな黄色いM……僕の記憶が確かなら、世界で最も有名なファーストフード店にそっくりです。
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