第7話 その男、白眉につき

 目が醒めると僕は知らない部屋で、知らない天井を見上げていました。見慣れない内装、嗅ぎ慣れないお酒と女性の匂い、柔らかい感触……横を見れば、僕は吉永さんに腕枕してもらう形で寄り添っていたのです。反対の腕にはカレンちゃんが何故か逆さま、枕に足を向けてホールドされています。

 吉永さん、ものすごく幸せそうな寝顔です。


「都会にも雀っているんだ」


 外からは朝ばっかり忙しそうな雀がチュンチュン井戸端会議する音が聞こえるので、早朝でしょうか? 二人を起こさない様にベッドを抜け出してぐるりと部屋を見回すと、とてもシンプルな部屋です。家財は備え付けの物だけ、洗濯物が散らかっていたりするでもなく、整理整頓されています。

 僕はそっとドアを開けて部屋を出ました。鍵は元からかかっていなかったので施錠はしなくて大丈夫でしょう。オレンジのドアには202と書いてあります。


「吉永さんのお部屋か」


 チラと横を見やれば遠くで這いずる人影を確認。遠目の暗がりでうごめくそれはかなり怖いです。新手の妖怪かもしれないので一応確認しに行くと……


「俵屋さん、芋虫ごっこですか?」

「一之瀬くん……いいところぢヴォッエ……ップ!」

「二日酔いですね。水持ってきますよ」


 口を押さえたまま小刻みに頷くので水を取りに行く。二階のバーにも小さなシンクがあるけど、僕は一階ロビーまで降りる事にした。


 なぜなら、時計はまだ6時というのに、見慣れない人影とリズミカルにまな板を叩く音があったからです……その人、見慣れない男性は黙々と料理をしていました。


「あのう……」


 返事は無い、熱心な料理人の様です。


「もしもーし」


 反応すらありません。ただの熱烈的料理マシーンかもしれません。それにしても……浮世離れした美しい男性です。


「うわっ!? なんじゃ急に!? 刃物扱っとる時に急に後ろに立たないでおくれよ」


 僕の方を振り向いた拍子にやっと気づきました……じゃ?


「すみません、何度か声かけたのですが気付いてもらえなくて」

「それは失礼したね。それで、何かご用で?」


 その人は一瞬驚いたものの、すぐに平然と、そして物凄い手際で大根を切り始めました。その手さばきと言ったら、残像でモザイクがかかって手元が見えないスピードです。


「昨日から204に越してきた一之瀬よだかと言います。これから色々ご迷惑をお掛けすると思いますが宜しくお願いします」

「おぉ、島村殿から聞いとるぞ。若いのに礼儀が成っとるのう。俺は102号室の正宗。正しい『宗』で正宗だ。伊達んとこの『政』宗じゃあない。以後宜しく」


 ようやくまっすぐに向いてくれたその人は、男の僕でも見惚れてしまいそうな、割烹着の美男子でした。耳を隠す髪は輝く銀色、細い顔に落ち着きと元気と知性を丹精に彫り込んで、若く見えるのに頼もしさを感じます。きっと女の人の多くはこういう男性がタイプなんだろうなあ。


「正宗さんですね。苗字が正宗さん? それとも名前?」

「様々な名で呼ばれた時代もあったが……銘は無くとも今や天下の正宗、後にも先にも正宗は正宗だけじゃ」


 ここの住人に常識的な回答を求める事の方が異常な事に、僕は早くも気づいていました。言葉の節々にうっすら片鱗は見えていたけど、この人も少し変わった、パンドラ独特のユニークな匂いがします。歴史オタク……いや、過去からタイムスリップしてきたどこぞの武将かな?


 それにしても、なんと均整の整ったお姿でしょうか。少し細身で色白なのに、板前さんがよく着る法被はっぴみたいな服(割烹着)から覗く腕は筋肉質で男らしい。目を惹くのはこれまた美しい肘から先の曲線美です。朝日を照り返す刃先の銀色と、朝日を吸い込んで離さない黒い地鉄のコントラスト。


「かたな……?」


 ああ……なんという事でしょう、この人、手が包丁です。包丁を握ってるんじゃなくて肘から先が包丁になっています。


「驚かせてしまったかのう。俺は元来一本の刀だったんじゃ」


 ここに至って、僕はもはや驚くことさえしませんでした。昨日一日で常識はもう常識でなくなってしまったのです。

 宇宙人が管理人の賃貸物件にロボットが住んでいるのに、どうして刀の一本や二本で慌てふためく必要がありましょうか?


「つくも神とか、やおよろずの神っていうやつですか?」

「お前さん、若いのに勉強してるんだね。つくづく感心じゃ。『器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心をたぶらかす、これを付喪神つくもがみと号す云へり』」

「百年経つと道具はつくも神になるって事ですよね。という事は正宗さんは……もしかして神様?」


 今さら矢が出てこようが鉄砲が出てこようが日本刀が出てこようが驚きませんが、神様の御前となると身が引き締まります。粗相があってはバチが当たります……よく考えたら鉄砲も既出だな、どうなってるんだこのシェアハウス。


「神様や妖怪なんてのは人が勝手に境界線を引いた曖昧なくくりでしかなくてね。本来俺たちには関係のない事……まあ『人の外』だと思ってもらえれば間違いはないかな。長い年月が命を与え、育む。俺たちは『人の外』だけど、自然の『理の内』である事に変わりはないのじゃ」


 じゃあ宇宙人とロボットも妖怪や神様と一括りにして問題ないんでしょうか? なんて気軽に聞けません。

 ひと段落ついたのか、正宗さんはコンロを弱火に調節して濡れた手を拭いた……気がつけば両方普通の手になっています。 


「じゃあ日本刀ってほとんど正宗さんみたいな別の姿があるんですか?」


 正宗さんはゆっくり、やさしい落ち着く声で喋る人でした。


「本当に賢しい子だ……ああっ、『さかしい』ってのは『かしこい』って意味で別に悪口じゃあないよ。器物百年を経たところで全部が全部俺みたいになる訳じゃない。とりわけ作った人間の強い意志や、使った人間の長い思い入れが魂を与えるんじゃ。大抵の場合そいつらは持ち主にまた使ってほしくて、夜な夜な蔵を抜け出して大騒ぎになる」

「なるほど、だから『たぶらかす』と。なんだか切ないお話ですね」

「俺の場合は作った人が神懸かり的な、それこそ神通力を持った刀鍛冶だったからのう。今でもけっこう聞く話さ、『名刀正宗は口を利く』って」


 『正宗』、刀なんか見た事もない僕でも知っている名前です……売ったらいくらくらいの価値になるんでしょうか? まず第一にそんな疑問が思い浮かんでしまいます。


「その右手が本体というか、正宗さんなんですか?」

依代よりしろじゃ。よかったら見てごらん」


 正宗さんの依代、本体とでも言うべき短刀は美しくて、これは紛れもなく正宗さんの美しさそのものだと感じました。僕はただの鉄がこんなに表情をたくさんもっている事にただただ感動します。


「綺麗……宇宙みたいだ」

「その言葉を聞いたら、あの人喜ぶだろうな」


 一瞬、僕は初めて正宗さんの人間らしい、ノスタルジックな横顔を見つけたのですが、すぐ線香花火みたいに消えてしまいました。


「それはそうと……こんな早くに台所で何をするつもりだったんじゃ? 一之瀬よだか」

「あっ……」


 完全に忘れてた。

 正宗さんに事情を説明して駆け足で水を二階に持っていく間約30秒、俵屋さんはどうやらまだギリギリの状態で持ちこたえていました。水を飲み干して裏声で悲痛な断末魔を絞り出します。


「トイ……れ」


 遅れて来てくれた正宗さんに肩を貸してもらってトイレまで運ぶ事また三十秒、お手洗いのドアがしまってからの云々は割愛しておきましょう。しばらく格闘した末に、俵屋さんはげっそり膝と手をつけた状態で出てきました。


「遅いよ……よだかくん……」

「すみません。ちょっと話し込んでしまって」

「全く情けない男じゃ。『はろわ』にも行かず酒に女に、さんざん遊びおってからに。お主は地主の倅か? それとも大名か?」

「板長さん。今日は朝飯ムリそうっす」

「何言っとる。食べなきゃ治らんぞ」

「じゃあ味噌汁だけd………ヴッ!」


 俵屋さんトイレにとんぼ返り。


「板長さんって正宗さんの事だったんですね」

「そうそう。俺は希望する者に朝食あさげと、昼食ひるげを提供しておる。よかったら食べていっておくれ」


 なんて人間の出来た刀の化身なんでしょうか。いっそ俵屋さんが妖怪で正宗さんが人間だったらどんなに……いやいや、正宗さんは神格があるからこその正宗さんなんでしょう。

 やっぱりどこか人間離れしていて、その透き通った肌なんか触ったら本当に突き抜けてしまいそうです。

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