第6話 ケーキも、銃も、お姉さんも
ロビーに降りるとクラッカーが弾けました。
「ようこそ、我らがビックリ箱、パンドラへ」端的な言葉は島村さんの低い声です。
「おいでませ、可愛いお二人さん」いやらしい笑顔は俵屋さんの。
「新たなる同居人に祝福を!」二階から古屋敷さんが(自ら)スポットライトで照らしています。
目の前には洋菓子にティーポット、お酒に塩っぱそうなつまみ、それに鍋……ホームパーテイーと家飲みをミックスしたようなラインナップが広がって、その中央に大きなショートケーキが置かれてました。
『ようこそパンドラへ よだか&かれん』
茶色のチョコプレートにホワイトチョコでこう書かれています。カレンちゃんと思わず顔を見合わせて、つい笑みがこぼれました。
昼間冷蔵庫に隠していたのはこれだったのです。
「ありがとうございます! まさかこんな大きな、ケーキに……」
「カレン感激です! カレンの大好きなイチゴのケーキが……食べかけです」
そう、大きな二段のイチゴのホールケーキは大雑把にえぐられて、その一部を何者か奪われていました。そのせいでチョコプレートも傾いています。
「まあ、スイーツは別ストマックのハンター達なら当然の反応だわな」至って落ち着いた声で島村さんが言います。
「率直なところ、ゲストのお二人はどう思われますか?」古屋敷さんが尋ねます。
…………ハッ!?
本日二度目のヒヤリハット。僕の愚鈍ではない第六感が、ベストアンサーへのヒントをかき集め、この状況からたったひとつの結論を導きました。
これはきっと、昼間のうちに俵屋さんが食べてしまったものに違いありません。このケーキはあの大きな冷蔵庫に納められ、僕とカレンちゃんが見つけないように古屋敷さんが門番をしていたはずなのです。そしてどこかのタイミングで、お腹を空かせた俵屋さんがパックパックと盗み食いをしてしまったのです。俵屋さんの怯えきった表情からも間違いないでしょう。
そうです……この状況『返答を誤ると明日の朝にはパンドラの同居人が一人減ってしまうかもしれない』日常ではあり得ない、本日二度目の窮地です。
「ぜ、全然構いませんよ! まだたくさんあるじゃないですか!」
「カレン芋に虫が入ってたってへっちゃらです!」
「どこのどいつだ……アタシがわざわざ六本木の兜塚まで買いに行ったイチゴショートに風穴開けた奴は……」
不意に、突き刺すような冷たい声で時の流れが一瞬で凍ります。第三の声は僕たちの真後ろ、まだ冷たい夜風に乗って、玄関の方から忍び込んできました。
「まあ聞くまでもねぇか。一目瞭然、てめぇだな? ヒキニート」
「あぃやそのなんちゅうか、複雑な事情というか今日の事を忘れていたというか地球規模の食糧事情といいますか……ごめんにゃしゃ……」
表情が無いと思われていた島村さんと古屋敷さんが明らかに狼狽して、俵屋さんに至っては半分くらい死にかけて、今にも泡を吹きそうな表情です。
僕とカレンちゃんが重くて鋭い声を追うと、長身の女性がコートに手を突っ込んで仁王立ちしていました。明るいブラウンのロングヘアを束ね、狐と鷹を合わせた様な鋭い目つきのお姉さん。コートの上からでも有り余るナイスバディーのお姉さん……僕たちよりは年上で、それ相応の雰囲気をまとうお姉さんは、ブーツを脱ぎ捨て僕とカレンちゃんの間をすり抜け、最短距離で俵屋さんの前に進み出ます。
僕の横を通る瞬間にふわっとお酒と……花火の匂い?
「『二人とも引越しは延期になった。だからパーティーも延期。バーで酒でも飲んでこい』。アンタさっき、玄関で確かにそう言ってたよな?」
「それはちょっとした手違いで……偶然二人とも間に合って……ほら! 吉永さんも間に合ったんだから大団円じゃないっすか? ね? っね?」
つまりはケーキ食べちゃった事を、嘘でごまかそうとしたわけです。最低だな、このニート。
それはいいとして、この綺麗な女性が吉永さんでしょうか。僕はてっきり男だとばかり思っていました。少なくとも理由もなく僕達を襲う人間には見えません。
「言われてみりゃあその通りだ。じゃあアタシもこの引き金を偶然引いちまって見事脳天に命中、ディナーにチキンが増えました、めでたしめでたし。ってハッピーエンドにしようか」
前言撤回。コートの奥から拳銃おでまし……ホンモノでしょうか? 僕にそんな銃の真贋は分からないけど、少なくとも俵屋さんのおしろいを塗った様な顔面蒼白が演技で作れるとは思えません。気がつけば、ロボとエイリアンはすでに逃げ出したらしく、いなくなっていました。
「やめてください! カレン、甘い物だけは血の匂いしない方が好きです!」
二人の間に聖少女、カレンちゃん降臨。背の低いカレンちゃんは吉永さんをまっすぐ見上げて、ちょっとかっこいいです。感動とか動転するはずのシーンなんだけど、僕の心は疑問符でいっぱいでそれどころじゃありません。カレンちゃんの言う『芋煮会』の実態が気になって今夜は眠れないかもしれません。
「…………カレン、月夜野かれん?」
「月夜野かれん15歳、好きな食べ物はお餅とビーフシチューと……あと甘い物!」
吉永さんの暴走が一時停止、銃を下ろしました。効果は抜群でしょうか? 不意にその鋭い視線が僕を射抜きます。
「君は、付き添いのお姉さんか?」
「204に今日から越してきた一之瀬よだかです。これからよろしくお願いします、吉永さん……ですよね?」
僕を射抜いた、ちょっと惚けた視線は磁石みたいにくっ付いたまま、吉永さんの鼻からタラリと赤い雫が流れました。一瞬見せた俵屋さん顔負けの緩んだ表情を僕は見逃しませんでした。
「たいへん! 吉永お姉さん鼻血出てます。お酒飲みすぎですか?」
カレンちゃんがすかさずティッシュでフォロー。天然の魔性って時として罪ですね。吉永さんはカレンちゃんに連れられて長いソファーに落ち着きました。
「俵屋、今日のところは仲良くやろうじゃねえか」
「あ、ありがとうございます」
場落ち着きを取り戻し始めると、どこに隠れてどこから現れたのか、消えた島村さんが二階の階段の格子の隙間からシャンパングラスを掲げました。
「さぁ、これで今日の役者は全部揃った。乾杯といこうじゃねえか」
これまたどこからどこへ移動したのか、気がつけば古屋敷さんが吉永さんにシャンパンを注いでいます。
「初日からハラハラさせないでくださいよ。今日は可愛らしい新人おふたりのためのパーティーなんですから」
「そりゃ俵屋のやつが……」少し目をキョロキョロさせて、鼻に詰めたティッシュをゴミ箱に投げ捨てて、吉永さんは僕とカレンちゃんを交互に見て続けます。「済まなかったな、二人とも。202の吉永由紀だ。今日はその……崩れちまったけど、ケーキ味は良いはずだからたくさん食べてくれよな」
吉永さんもトレンチコートの内側を無理に覗くような真似さえしなければ、上手くやっていけそうな気がしました。そんな安心させるあったかい笑顔を見せてくれました。
古屋敷さんは僕にまでボトルを持ってくる。
「いや、僕未成年ですから」
「もちろん存じております。これはノンアルコールのシャンパン、言うなれば炭酸ジュースです」
「だったら遠慮なく」
エントランスの反対側、大きな窓の側のソファーでも同じやりとりが行われていました。
「カレン未成年です」
「これはジュース。お近づきの印。君のためにわざわざ買ってきたフランス産の年代物だよ」
なんか幼いホステスと、その娘に入れ込んだ女マフィアの図みたい……島村さんが螺旋階段を下りて僕の横に座りました。
「パンドラは一風変わった輩ばっかりで俺も手を焼いてるが、ニューカマーのお二人さん、今日くらいはゆっくりくつろいでくれや」
「それではお二人の入居を祝して」、古屋敷さんの声でみんながグラスを掲げて、みんな一緒に言った。
『カンパイッ!』
冷たいリンゴジュースみたいな味を楽しんでいると、俵屋さんが笑顔で寄ってきました。
「おっ? よだかくんはいける口かな? さあさぁもう一杯」
「あ、ありがとうございます」
「いやー今日はさっそく二人に、初日にして二回も命を救われちゃったね」
一日に二度絶体絶命を体験する環境下で、この人はどうやって生きてきたのでしょうか?
「気をつけて下さいね。あんまり犯罪まがいの事してたら、そのうち捕まりますよ」
「ありゃりゃ、初日から手厳しい」
横にいた島村さんはさくらんぼの浮いたシャンパングラスで、何やらアルコール臭キツいお酒をグイっと飲んで文句を言う。
「全くだ。俵屋さんいつかもシャワー覗こうとしてただろ」
「あいやー。気をつけマウスー」
島村さんが冷蔵庫から明らかに強そうなお酒を水みたいに注いではグイグイやってます。あの人酒豪だぞ。もう一人の酒豪っぽいお姉さんはカレンちゃんに絡んでいました。
「ねーねーカレンちゃんは彼氏とかいるのー?」
「カレン純潔のヴァンパイアです! 下賎な男には指一本触れさせません!」
さらっと絞った衝撃の爆弾発言。なんで山形に純潔のヴァンパイアがいるんでしょうか? 嘘であってほしいところです。それに僕が男だと知った途端に嫌われたりしないか……いろいろ心配になってきました。
「じゃあお姉さんが彼氏になってあげるよー。アタシお金ならいっぱいあるんだからー」
おっさんか。主賓のはずのカレンちゃんはシャンパンを持って、完全に吉永さんご指名の専属になっています。
「カレンお姉さん達のおもてなしだけで胸がいっぱいです!」
「いやーそんなこと言われたらアタシの胸がキュンキュンしちゃって弾けちゃいそうだよー!」
月夜野かれん……恐ろしい子。ですがどうやら他人事では済まないようです。吉永さんの鷹の眼と空いた左手が僕を呼んでます。
「なにか御用でしょうか?」
「まあ堅苦しい事言わないで座んなよ。今日はあんたら二人がお客様なんだから……っと」
空いたボトルを捨てに行こうとしたカレンちゃんを差し止めて、吉永さんが立ち上がる。
「二人とも何か飲む? せっかくだからケーキもたくさん食べてよ」
吉永さんにジュースをお願いして僕は二皿分のケーキ盛り、シャンデリアの下のパーティーを遠目に眺めてみました。
これが花の都、東京の日常風景なのでしょうか?
「カレン安心しました。ここの人、みんないい人ばかりです!」
「そうだね。ちょっと変わった人が多いみたいだけど」
「言われてみればユニークな人多いです! 一之瀬お姉さんが恐ろしいほど一般的に見えます」
……褒め言葉として受け取っておこう。
「僕の事はよだかでいいよ。カレンちゃん。年一緒だし、四月から同じ東雲高校の一年生なんだから」
「そうだったですか!? よだかさん大人っぽいというか……落ち着きがあるから年上とばかり……」
かなり客観的に見させてもらうなら、カレンちゃんが突然変異的に幼く見えるだけだと思います。
「ちょっとー、お姉さんも混ぜてー。アタシの事はユキでいいよー。あっ、ユキお姉さまとかユキさんでもいいぞー!」
「じゃあユキお姉さまと呼ばせていただきます!」
吉永さんはキラキラした瞳で親指を立ててから二人の間に座って、またシャンパン風ジュースを注いでくれました。ふいに左の僕を睨みつける、ちょっと怖いくらいに真剣な眼差しで、お酒臭いです。
「ところでよだか君、事前の情報で君は男だと聞いてたんだが」
個人情報云々いいながら、なんで僕の情報は筒抜なんでしょうか?
「はい、男ですよ。正真正銘」
「えーー!?」
カレンちゃんの素っ頓狂な叫びが鳴り響く、やっぱりまずかったでしょうか?
「よだかさんお兄さんでしかた!? お姉さんでなく!?」
「同い年だって」
「女の特権、『可愛い』を神様はよだかさんに与えてしまいました!? これは遺伝子レベルの怪我の巧名です!」
カレンちゃんのちぐはぐな言い回しは、色んな人の影響をスポンジみたいに吸収した結果なんでしょうか? 何にせよ、そこまで嫌われなくて済みそうです。
「可愛いは正義。いやむしろそのギャップがいいじゃねえか。そそるぜ」
吉永さんに至っては俵屋さんと似た様な事言い出しました、不安になってきます。
「いえ、やっぱりこのまま学校に行って変な目で見られても困りますから、明日あたり、差し当たって髪をばっさり切ろうかと思っています」
横の二人が急にほぼ同時に、狂気じみた目で僕をソファーに押し倒しました。すごい力です。
「よだかさん今でさえショートボブで短いのに、そんな事したら男みたいになってしまいます!」
男だって。
「よだか! お前はその神に与えられし特権を放棄しようってのか!? そんな事しても誰も喜ばねぇぞ!」
僕が喜ぶのですが……二人に押しつぶされそうなせいか、頭に血が上ってボーっとしてきます。
「そうは言われましても……ヒック!」
島村さんの声が籠って、瓶詰めにしたみたいに響いてきます。
「おぅい。誰か冷蔵庫に入れてあった俺の特製シャンパン知らねぇか?」
お決まりの展開が予想される中、僕の意識はもうすでに白くぼんやりしていました。
「もしかしてコレの事か?」
「おぃおぃおぃ困るぜ吉永さん。ちゃんと名前書いてあんだろ……もしかして飲ませちまったのか?」
「いやージュースだと思ったからよ」
僕は増えたり回ったりするシャンデリアをぼんやり眺めながら、耳を必死に働かせる。でもなんかダメです。ふわふわして体がなくなってしまったみたいです。
「仕方ねぇ。部屋に運んであげな」
「アタシが面倒見るよ。飲ませちまったのはアタシだからな」
「襲うなよ」
「いくらアタシでも酔い潰した年下の男なんか……なんか」
僕を覗き込む吉永さんの綺麗な顔が万華鏡みたいにいくつも煌めいて、幻想的だなあ。
「襲うなよ」
「襲わねえっつの!」
この日、シェアハウス『パンドラ』に初めて来た日の、長くて短い記憶はここまで……あとから総括するなら『忙しくて、楽しくて、波瀾万丈の幕開けを予感させる一日だった』ってとこでしょうか。
もしかしたら僕はこの日、本当にパンドラの箱を開けてしまったのかもしれません。でもそれはきっと、希望と怪奇とエンターテイメントが詰まった、厄災少なめの宝石箱です。
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