第5話 夜宴前
島村さんがさっきと変わらない、まったくの自然体で話しかけてきます。
「おや? こりゃまたずいぶん早い帰宅だな。玄関に女の人立ってなかった?」
僕も努めて平静を装います。
「誰も、いませんでしたよ」
「足止めしろって言ったのに、吉永さんどこ行っちまったんだ」
足止め? 期せずして俵屋さんの魔の一手目は阻止出来たけれども、カレンちゃんに邪教の黒魔術、生け贄の儀式を見せる事になってしまいました……はずなのに、カレンちゃんなんか嬉しそうな顔をしています。
「芋煮? もしかして芋煮ですか!?」
僕は『芋煮会』というものをよく知りませんが、北の方で盛んな行事だと聞いた事があります。東北地方では人間で出汁をとって芋を煮るんでしょうか……世界の理にヒビが入ったいま、ノーと言えない日本人の自分がいます。
「そういうお嬢ちゃんは月夜野さんだね」
「その声、管理人さんの
僕の目がおかしいのでしょうか。それとも僕の目を欺く光学処理のフィルターでもかけられているんでしょうか? はたまた僕が不勉強なだけで、地球はすでに銀河に外交を開いて、ああいった地球外生命体ライクな方々との貿易は世界中で賑わっているのでしょうか?
「初めまして、噂通りの器量良しじゃねえか。お母様に『くれぐれも』って頼まれてるぜ月夜野さん。俺が管理人の島村だ。案内するから、部屋にとりあえず荷物置いてきちまいな」
「これからよろしくです!
これもけっこう衝撃的でした。僕は中学生低学年、下手したら小学生くらいに思っていたのですが、同い年、しかも同じ高校でした。二人は団欒しながら二階へと続く螺旋階段を上っていきます。
「荷物それだけかい?」
「宅配で送ったので明後日くらいには届くはずです!」
「ご両親に口すっぱく言われてるとは思うが……」
「分かってます! カレン一般人を見境なしに襲うような真似はしません!」
……いま不穏な会話が聞こえませんでした? 気のせい??
もしかしてこのパンドラは現世と黄泉の間にある境界の世界で、僕は間違ってそこに迷い込んでしまったのでしょうか? そんな突飛な疑問さえ首をもたげます。大都会東京が僕の想像を遥かに超えるカオスワールドなだけ?
それはあとでゆっくり考えるとして、今はまずこの切羽詰まったシチュエーション、自動人形と吊られた男の会話に耳を傾けてみましょう。
「すびばせん、あっつ! ホントできごころだったんス……目の前に可愛い女の子がいるとついつ熱っ!」
「あなたそうやって吉永さんに半殺しにされたばっかりじゃないですか。いつになったら反省するって言うんですか?」
「いやホント反省してますって。まじで水蒸気って熱いんですけど、そろそろ下ろしてもらえッづ! ませんか!?」
「ほんっとに反省してます!? 挙句二人のための……ああ一之瀬さん、ちょうど良いところにいらっしゃいました」
これ『ちょうど良いところ』ですか?
「一之瀬さんの裁量しだいでこの男を、そうですね。月夜野さんは芋煮が好きらしいですから、芋煮の具にしようかという場面なのですが、いかがいたしますか?」
じゃあそうしましょう。ってにこやかに宣言したら、古屋敷さんは俵屋さんの足を吊るす紐をノータイムで切る……うん、切るなこれ。
「できればお魚とか豚とか、せめてイノシシとかで出汁をとったほうが僕は好みですね。それに鍋はみんなで囲んだほうがきっと楽しいでしょうから」
「おお、なんと慈悲深いお言葉。この古屋敷、最近の若い方は慎み深い人ばかりかと思っておりましたが……その懐と心も深いのですね」
「ありがとぉ、よだか君。恩に着るよ」
不可抗力ながら、僕は今夜、人の命を一つ救ったかもしれません。縄を切られた俵屋さんは労働を強いられ、古屋敷さんに包丁を渡されます。
「せめて料理くらいはしてくださいよ」
「えぇ、なんで俺が……板長さんは?」
「今日は金曜日ですからね。板長さんは仕込みで今日帰りが遅くなるそうです。門番を頼んだ吉永さんも先ほど行方不明になったのですから」
『板長さん』というのもここの住人でしょうか? 確かに料理が上手そうな渾名です。
「僕手伝いますよ。材料はあるんですよね?」
これでも料理にはちょっと自信があります。
「お言葉は嬉しいのですが、今日はあなたと月夜野さんがゲストなんです。本当なら準備してるところも見られたくなかったくらいです。ですから……」
サプライズパーティーというやつでしょうか。正直そんな企画を立ててくれただけでも嬉しいです。
「そういう事でしたら、部屋に戻って休んでいます」
「準備が出来たらお呼びします」
たぶん古屋敷さんは普通に接する限り、世話焼きなお母さんか、はたまた忠誠心マックスの執事的ポジションに違いありません。断っても結局押し切られてしまいそうなので、僕は部屋に戻って家具の場所や家電の配置をいじる事にしました。
時々響くメカニカル、または外宇宙的な異音は全て聞こえないフリで対応する事約一時間、音沙汰はいっこうにありません。
僕は改めて、名も知れぬ先代居住者の宝に惹かれて、それを眺めていました。それはたとえ話じゃなくて宝石箱なのです。インド風の黒い、いい匂いがするドレスにはトルコ石に翡翠……よくわからない透明で綺麗な石まで散りばめられて、触るのも怖いくらいです。これなんかカレンちゃんが着たらものすごく似合うんじゃないかな?
ついいつもの癖で姿鏡で着合わせていると、ようやくお呼ばれがかかりました。部屋の前に立っていたのは古屋敷さんでした。
「時間がかかってしまってすみません。ささ、用意が出来たのでこちらにいらしてください」
言われるまま、一回ロビーへと続く螺旋階段に向かうとカレンちゃんがさっきとは違う格好、部屋着っぽいネグリジェ(?)で待っています。
「いい匂いがします。カレン芋煮と正月と花見と月見以外の行事でこんな待遇受けるの初めてです!」
日本人は何かと理由をつけて酒を飲むらしいけど、カレンちゃんはきっとそんな盛り沢山の宴のたびに、おじさんたちにちやほやされて甘酒を飲んでいたに違いない。僕はそうでした。
「クリスマスはご馳走なかったの?」
「一般的にはハッピーなイベントも家によりけりです。仇敵キリストの誕生なんて祝ったらカレン貼り付けにされちゃいます!」
笑うシーンでしょうか? いやたぶん違うな。
「ハッハッハッ! カレンさんは大物ですね。神の子イエスを呼び捨てにして仇敵だなんて! これは早めにサインをもらっておいた方がいいかもしれませんね」
「おー……サインはまだNGです! カレンもっと上手く描けるように練習しますから、ちょっとだけ待っていてください!」
全てを笑い飛ばす古屋敷さんのスキルが羨ましいです。
「ささ、準備が出来たようですから、行きましょうかお二人とも」
「じゃあ行こうか、カレンちゃん」
「いきましょう。えぇっと……」
「僕はよだか、一之瀬よだか」
「行きましょう、よだかお姉さん!」
カレンちゃんと僕はお互いの手を取って、お互いをエスコートしながら階段を降りました。
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