第4話 月夜の晩に

 シェアハウス、パンドラは人通りの多い広い道から一本入った、静かな住宅街に建っています。僕は飛び石を跳ねて、夕焼けが燃え尽きた大通りへと繰り出しました。


 買い出しやショッピングは後日にして、今日はお散歩です。歩けども歩けども終わらない明るい街には一通りのスーパーやコンビニ、病院なんかが歩いて行ける距離に点在しているので、僕は見るともなしにそんなポイントをチェックして回りました。田舎と違って、車で数十分飛ばさなきゃ辿り着けない施設は、どうやら存在しないみたいです。さすが大都会、そりゃ宇宙人もロボットも住むわけです。


「あのーすみません」


 そんな折、見慣れないネオンの街で、見慣れない美少女に声を掛けられました。それは今にも泣き出しそうな潤んだ瞳の、黒いドレスみたいなワンピースを着た、僕よりも背丈の低い、それはそれは可愛らしい少女でした。


「どうかしたの?」

「迷子になっちゃって、交番で聞いても、道行く人に聞いても分からない。それで歩き疲れて、路頭に迷って、怖い顔した男の人いっぱいいるし……カレンもうお家に帰りたい」


 長くてさらさらした黒い髪と、スカートから覗く白いフリルを震わせて、その女の子(たぶん名前はカレンちゃん)は目をうるうるさせます。左手には大きめのスーツケースを下げ、その大きな瞳に輝く涙が街中のネオンを吸い込んでいました。


「僕でよければ力になるよ」


 そうは言ったものの、今日越してきたばかりでパーフェクトストレンジャーの僕に交番で分からない土地のなんて探せるはずもありませんが。


「パンドラっていうアパート……シェアハウスなんです。知り得ません?」


 それならよく知っていますとも。宇宙人が管理人でロボットとニートが住んでいる、あの個性的なマイホームの事ですね?


「それだったらすぐ近くだから、案内しようか?」

「ホントですか! っは!?」


 なぜかジリジリと後ずさるゴスロリライクな美少女。


「おねぇさん、ひょっとして人さらいと違います? おとんに、都会の人の半分は人さらいと聞きました」


 人さらいでもお姉さんでも無いし、そもそも多分都会の人の99%は人さらいじゃないと思うけど、こういう時は否定するだけ怪しくなるものです。というかこの格好でも女の人に見えるのか……髪を短くしなきゃダメかな?


「僕はこれからパンドラに行く。君がついて来ても来なくてもね」


 独り言みたいに言って歩き出すと少女のあったかい手が僕の手を掴んできました。


「お姉さんきっといい人、カレンには分かります。芋煮会にどこからともなく出没するジジババみたいな暖かさを感じます」


 それがどのくらいあったかいのかはさておき、どうやら信用してもらえたようだ。そしてこの子はたぶん島村さんの言っていた『もう一人の新しい住人』に間違いないでしょう。


「君、パンドラの新しい住人さんでしょ?」

「なんで分かるですか? お姉さんエスパー? 都会にはエスパーもたくさんいる?」


 昨日までの僕ならいないと断言しただろうけど、今日一日で僕の常識はほとんど覆されてしまいました。たくさんいないと言い切れません。むしろその辺にうようよいそうです。


「違うよ。実は僕もパンドラの住人なんだ、カレンちゃん」

「なんと! お姉さんパンドラの先輩でしたか! そしてカレンの名前まで知ってるとは! ちまたでも有力なエスパーとお見受けします!」


 今ので自分の名前を呼ぶのは3回目ですよ、カレンちゃん。 


「僕も今日から住むんだ、だから先輩じゃないよ」

「おお何という巡り合わせ。カレン感激です。お姉さんみたいな優しいエスパーと一緒に暮らすの楽しみです!」


 なんて可愛らしい少女なんだ。歳は僕と同じくらいに見えるのに、『お姉さん』と呼ばれるせいか少し幼く、純粋に感じてしまう……


 ……はっ!?


 パンドラを目前に突如として過る暗雲、思い出す俵屋さんのいやらしい笑顔。


 どうしてこの純真な子をあの男の毒牙の面前に晒してい良いのだろうか? いや、良心の呵責がそんな事許すはずありません! 名前通りの可憐な少女の未来を閉ざす魔の手から、彼女を守らなきゃいけません。

 そんな僕の決意を知ってか知らずか、カレンちゃんは虹色に彩られた『パンドラ』のプレートにはしゃいでいました。


「おお、レンジでチンする間に着いてしまいました! ここがパンドラに間違いありません! ネットで見た通りです!」

「一緒に荷物をロビーに置きにいこう。近くに島村さん……ここの管理人さんがいるはずだから」


 それとなく行動を共にして、僕はせめて俵屋さんとの接触に臨戦態勢をとりました。ロビーでカレンちゃんに俵屋さんの脅威を説明しなければいけません。いやそれだけじゃない。ここには『吉永さん』という、まだ見ぬ危険の存在が示唆されている。油断は一切できません。


「どうしましたお姉さん? 野生のおキツネ様みたいな凛々しい目をしてます」

「それについては共同ロビーで説明するから、一緒に行こう」


 緊張と警戒心を張り巡らせて向かったロビー……その光景を見て、僕は茫然自失としてしまいました。


 そこには煮えたぎる大鍋と、その上に逆さ吊りにされた俵屋さんがいました。僕が警戒していたはずの脅威は、サッと湯通しされる寸前でした。


 その逆さ吊りの生贄を無表情で眺める宇宙人とロボットがこっちに振り返って目が合った瞬間、僕はちょっとだけ死を覚悟しました。

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