第2話 アンドロイドは冗談を言うか
部屋の中は確かに狭かったけど、充実した狭さでした。綺麗なベッドがあります。家具も全てオンボロじゃなく整頓されてます。
「知ってると思うけど一応説明しとくぜ。シャワーとバス、炊事場は共同。中央に広間があるから料理なんかはそこでしな。部屋は火気厳禁、喫煙所もロビーの換気扇の前。防音は割としっかりしてるんだが、深夜にアサルトライフルを長時間使用するような真似はさすがに遠慮してくれ」
喫煙はともかく、その後の説明はどうなんでしょうか? パンドラには深夜に戦争紛いの不祥事をおっぱじめる人間がいるのでしょうか? 金星から敵勢力が襲来したりするんでしょうか?
「部屋の冷蔵庫は小さいが、ロビーに大きいのがある。ロビーの冷蔵庫を使うときはきちんと食糧やビニール袋に名前を書いてくれ。大きく分かりやすい場所に……いや、まじでこれだけは頼む。その件でパンドラは一度木っ端微塵になりかけたからな」
世の中には千差万別、十人十色の人が溢れているらしいけど、食糧事情でシェアハウスを爆破しかける人間も大都会東京にはいるんでしょうか? いいえ、きっと管理人さんはこういったブラックジョークが持ち味なだけです。そう自分に言い聞かせよう……本当にいたら困ります。
「広間、共有スペースの消灯は22時、22時からは二階がバーになって、バーの閉店が25時なんだが、まあチェリーボーイには関係ねえか」
チェリーボーイ押しはともかく、ここでバーが経営されているんですか? 夜はにぎやかそうです。
「パンドラの住人は一之瀬君を入れて7人。近々もう一人入居するから8人で満室だ……まあ今は訳あって2人いないんだが。これから楽しくなるぜ」
「搬入が終わったらご挨拶に回ってもいいですか?」
火気厳禁の僕の部屋で、島村さんはまた煙を吹かしました。
「住人には詮索されるのが嫌いな人もいるからね。部屋周りみたいなのはよしてくれや。ま、広間で挨拶するくらいなら自由にしてくれ」
「あの、ここ火気厳禁では?」
それとなく険しい顔を作って、管理人さんは大真面目に聞き返します。
「薬莢の臭いか? 重火器、硝煙、爆薬、レーザー。区別はつくか?」
「いえ、なんでもないです。たぶん勘違いでした」
愛想笑いを急造したけど、一抹……いや、一斗缶くらいありそうな火薬の香りに対する不安を僕は隠せません。最後のレーザーって実用化されてるんですか?
「ならいいんだ。うちは割と規則とかにゆるいから、多少のことは多めに見てやってくれ。他に何か質問はあるかい?」
「そうですね。ゴミの分別とか、洗濯の決まりとか、調理場の優先順位とか、庭の掃除当番とか、そういうの無いんですか?」
「あんた……律儀だねぇ」
僕は管理人、島村さんに一通りの説明を受けました。不安を煽るワードがちらほら混じっていた事については、怖くて一切聞き返せませんでした。
「そいじゃ、何かあったら気軽に管理人棟まで電話してくれよな。可愛い新人さん」
「ありがとうございました。これからよろしくお願いします」
寂しくなった部屋を、僕はもう一度グルッと見回しました。未開封のダンボールがゴロゴロと邪魔だけどタンスに仕舞えば問題ない広さです。
僕は開封作業をそっちのけで、とりあえず共有空間であるロビー、コの字をしたパンドラの重心部分に向かいました。
そこは開放的で広い吹き抜けになっていて、二階部分は簡易な酒場、いわゆるバーみたいな空間になっていました。『簡易』といっても、バーには大小様々なグラスが逆さまに吊るされて、後ろの棚にはざっと百種類はありそうな(たぶん)お酒が並び、見たところ割と本格的です。
ちょっともの悲しい昼のバーを横目に手すりから下を覗くと、二階の倍ほどもある広い空間に大きなソファー、大きな液晶テレビ、これまた大きなダイニングテーブル、その他にぎやかに暮らす事に困らなそうな家財道具がきちんと整理され並んでいます。
一階には誰も居ないから部屋に戻っても良かったんだけど、誰もいないはずのテレビが午後のトークショーを垂れ流していたので、僕は螺旋階段を滑り降りて電源をオフにしました。
「あのーすみません。テレビ見ていたのですが」
背後から急に声がして、体が勝手にビクッと硬直します。
「ああ、すいません。人がいるとは思わなかったもので……ってあれ?」
本日二度目、反射的に謝って振り返った先に人影は、少なくとも人間の姿はありませんでした。
「おや? あなた、例の新人さんですか? 昼に来るのは男性って聞いてたけど……それともお手伝いに来たご兄弟でしょうか?」
優しく落ち着いた、紳士的な声の発生源を必死で探す手間は必要ありませんでした。喋りそうな『モノ』は僕の視界にたった一つ。用途不明の大きなオブジェの眼が言葉に合わせて点滅しています。
宇宙人とくれば、次にロボットが登場しても何ら驚く必要はありません。僕はなかなかに肝が座っているのです。
「初めまして、今日からここのお世話になります一之瀬よだかと申します。こう見えても男です」
「なんとっ!? 『事実は小説より奇なり』とは申しますが、男の娘が流行る昨今、いやはや神はこういった才能を現実の人間に与えたりする事があるのですね!」
僕は目の前の人(?)にその言葉をプレゼント用にラッピングして、リボンを添えてお返ししたい。割と人間に近い形のメタリックで堅牢なお姿は、少なくとも着ぐるみでは無さそうです。人が入るにはスペース的にちょっと無理そうな部分が多々あります。アンドロイドという存在でしょうか。
「一応聞きますが、ここの居住者の方ですよね?」
「ああこれは申し遅れました。私パンドラ103号室の
一人称が『わたくし』のメタリックな紳士は、その外見とは裏腹に古風でジャポニズム溢れる苗字でした。
「古屋敷さん……珍しい苗字ですね」
「実は屋敷とつく苗字は北のほうには結構あるんですよー。東屋敷に下屋敷、中には猫屋敷なんてのも」
「へぇー」
「まあ私は埼玉出身なんですけどね。ハッハッハ!」
機嫌が良さそうなので、思い切って笑顔で聞いてみます。
「で、古屋敷さん、型式は?」
「T10シリーズの……って、冗談はよしてくださいよ。思わずノリツッコミしちゃったじゃないですか。ハッハッハ!」
『冗談』にカテゴライズされてしまった。うぅむ、表情が無いせいか、感情が読み取れません。この話を本気で煮詰めていくのは古屋敷さん的にNGの可能性もあります。一旦話を転換しましょう。
「こちら、パンドラは長いんですか?」
「埼玉から上京してきまして、かれこれもう3年になりますが転勤も無い素敵な職場に恵まれましてね。もっと広い家を買ってもいい年齢だし、奥さんがいたっておかしくないと思うでしょう? ところがここが居心地よくって、今ではとんだ地縛霊ですよ! ハッハッハッ!」
もうどこから突っ込んでいいのか……とりあえず古屋敷さんの言動を全面的に信じるなら、埼玉生まれ(産?)で、就職していて、結婚してもいい年齢で、霊魂のある生命体という事になります。当面はそういう事として話を合わせておこうと思います。
「今日はお休みなんですね」
「ええ偶然偶然。こうしてあなたとお会いできたのも何かの縁でしょう」
外見、インターフェース的な話はともかく、古屋敷さんは常識的で良心的で人情味を感じる、人当たりのまろやかな人です。他の皆もこんな……こんなキャラクターだったらコミュニケーションは上手くいきそうです。
「他の方は今いらっしゃいますか?」
「俵屋さんならハローワークにでも出掛けていないかぎり部屋にいるはずですが……ハローワークに行ったら雪が降るはずですから201号室にいますよ、ハッハッハ!」
また新しい名前『
「伺っても大丈夫ですかね? 管理人さんにあんまり詮索するなと言われたのですが」
「大丈夫ダイジョーブ、あの人『かまってちゃん』だから。むしろ喜びますよ」
それから僕は古屋敷さんに軽い自己紹介をして、テレビを点けて別れを告げました。
「それじゃあこれで。古屋敷さん」
「最近の若い人は挨拶が丁寧ですね。また夜にお会いしましょう」
古屋敷さんはチャンネルを変えて将棋番組に熱中し始めました。改めて広間を見回すと、8部屋8人が集っても寝袋さえあれば生きていけそうな広さの空間です。
島村さんも古屋敷さんもその外見に反して常識的な、人情の籠った人達の様に思えます。まだ見ぬ仲間はどんな人達でしょうか? 僕は冷蔵庫を見て、それを確かめる一つの手段を閃きました。冷蔵庫の中身を見ればある程度の名前と好きな食べ物くらいはわかるかもしれません。
僕がかなり大きな観音開きの冷蔵庫に手をかけようとした瞬間、鋼鉄のアームが獲物を襲うバイソンのように伸びて、冷蔵室の扉を塞ぎました。長く伸びたアームの根元、古屋敷さんの目は将棋チャンネルに釘付けのままです。
「あの、古屋敷……さん?」
「いやぁ、すいませんね。今ちょっと新人さんには見せられないものが冷蔵庫に入っていまして」
伸びた右手のアームはおよそ4メートル。着ぐるみのギミックにしてはあまりに力強いです。その反射神経と機敏さと、有無を言わせぬ剛力に若干の恐怖を覚えます。
「中を見るな。そういう事ですね?」
「いえ、見たいと言うならそれを拒否する権利は私にはないのですが……本当に見たいですか?」
見たいです。そう言うと次はレーザービームが頭部に照射される危険性を、古屋敷さんのゆっくりした強い語調が孕んでいます。怖いです、戦々恐々です。
「いいえ、遠慮しておきます」
「それがいいかと思います。明日になれば片付きますから」
いったい何が片付くと言うのでしょうか? 冷たい暗室に人体が眠らない事だけを祈りつつ、僕は201号室へと向かう事にして、ロビーを去りました。
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