シェアハウス『パンドラ』へようこそ!

烏合の卵

第1話 大都会の宇宙人

 『高校生』という新しい世界を前に、僕の胸は期待と不安で一面マーブル模様でした。これから出会った事のない大きな扉、予想も付かない未来、数え切れない人が暮らす新天地へ飛び込む事になるのです。

 しかも田舎から大都会東京に引っ越して今日から一人暮らしを始める僕にとって、心の動揺はけっして大袈裟なものじゃありません。


 ……と言っても、今はまだ梅の香りも新しい3月の終わり。


 高校生活はまだ少し先です。今日、僕は今もう一つの新世界『初めてのシェアハウス』という、これまた真新しい世界を見上げています。


 ホームページで見つけた時は正直ここしか無いと思いました。男性専用でも女性専用でもない共同。やましい下心が無いとは言わないけど、僕は純朴にいろんな人と関わりたいと考えたのです。

 個室は6畳で部屋には大抵の家具、家電が備えてある。トイレとシャワールームは共用だけど、水道電気共益費込みで月々28,000円。築23年、南向きの二階、しかも鉄筋でこの値段は間違いなく破格です。

 ……もしかしたら、よく聞くような裏話、つまりは『いわく』があるのかもしれないけど、実を言うと僕は密かにそれさえも楽しみにしています。


「じゃあ荷物運んじゃいますね! お部屋はどちらでしょうか?」

「端によせて置いておいてください。僕が自分で運びますから」

「でも……」

「これから大家さんと話すので結構です」


 引っ越し屋さんに大きなダンボール6個を置いてもらって、僕はこれから自分の家になる建物を見回しました。シェアハウス『パンドラ』は、何か起きそうな名前の割に落ち着きのある白いモダンな二階建てです。玄関にはちょっとだけ古めかしく飛び石が跳ね、中庭になっています。

 飛び石を二三歩進むと、向かって左手には簡易なプレハブの倉庫がありました。そして右手からはゴッドファーザーかと聴き紛うダンディーなボイス……それは突然の出会いでした。


ちゃん、軒先にどえらい荷物置かれると、困るんだけどねぇ」

「ああ、すいません」


 反射的に謝って振り返ります。


 …………。

 

 人は外見に寄らない。そう教わって15年間生きてきた僕ですが、その突拍子もない、あまりにも意表をついた姿に絶句してしまいました。


「ここは部外者立ち入り禁止だけど、誰かの友達かい?」


 そこにいたのは身長90センチくらい、光沢のある灰色の肌、大きな頭にこれまた大きく黒目がちな瞳の、葉巻を加えた……と長々説明する必要はないでしょう。

 『グレイ』という単語から宇宙人を想像してください。いま僕の目の前には葉巻を加えたそいつが立っています。


「どうした、コケシみたいに押し黙りよってからに。用が無ぇんなら帰んな」

「僕『一之瀬いちのせよだか』って言います。今日からここのお世話になる予定なんですが」


 僕よりも大分小さい、ダンディーな声のグレイはゆっくりと煙を吹かして、白目もないのにこっちを見ました。なんか威圧感があって怖いです。


「ああ、確かに今日の昼に引っ越す話は聞いてる。だが俺の聞いた入居者は男のはずだ。都立東雲しののめ高校に新入する、うぶなチェリーボーイって聞いてるぜ。可愛いお嬢ちゃん」


 そうなのです。僕『一之瀬よだか』の見た目は、昔っから女の子にしか見られません。服装も両親の趣味で過剰に味付けされた女物しか着せてもらえなかったけど、今日からは違います。男一之瀬、推して参ります!


「僕がその一之瀬よだかです。男です!」


 元からそんな表情なのか、未確認生命体は呆気にとられた様に灰を落としました。呆気にとられたいのは僕の方です。


「まじかよ……そいつは失礼した。呆れるねぇ、声まで黄色いってぇのに。まあいいさ、パンドラの管理人は居住者をむやみに詮索したりしない」


 なぜか様になってる葉巻を右手に悠然と煙を吹く宇宙人(?)。なんだか人並み以上の人間味を感じて、その容姿に対する疑問がすでに薄れつつあります。


「そうそう、そうでした。管理人さんはどちらに? というか、あなたもここの住人ですか?」


 最後の煙を吐くワイルド異星人。もしかしたら、この動作をしないと言葉を紡げないのかもしれません。


「そうは見えないかもしれないが、俺がその管理人その人だよ。一之瀬よだか君」

「え!? じゃああなたが……管理人の島村さん?」

「いい年した中年が紹介遅くなって面目ねぇ。改めて、パンドラの管理人、島村だ。よろしく」


 言いながら右手の葉巻を捨ててもみ消し、左手を差し出してくれます。中腰で握り返したその銀色の手は人肌に近い温もりと、ガラスみたいな滑らかさを兼ね備えていました。エイリアンの『中年』って人間でいう何歳くらいでしょうか?

 本当に世の中にはいろんな人がいるものです。せっかくなので興味本位で聞いてみます。


「よろしくお願いします。島村さん。どちらのご出身ですか?」

「ふっ。ずっと遠いところさ」


 その故郷はやっぱり『光年』単位の距離にあるのでしょうか?


「ところでおじょ……ぼうず、あのダンボール、全部部屋に持ってく気かい?」

「そのつもりですが、何か問題でも?」

「うちは六畳で家財一式、赤字覚悟で貸し出してんだぜ。ベッドにエアコンはもちろん、ソファー、テレビ、戸棚に本棚、電子レンジまで付いてる。あんたが考えてる以上に狭いぜ?」

「それでしたらご心配には及びません。見た目以上に中身は少ないんです」

「ならいいんだが」


 管理人さん、蛍光シルバーの小さな管理人さんは、まったく無表情なその眼差しでダンボールを一つ持ってくれました。


「あいにく最近、年のせいか腰が痛くてね。あんたも一つ持ちな。部屋まで案内してやるよ」

「はいっ、ありがとうございます」


 この世界にはまだ見ぬユニークな人がたくさんいるらしいです。不思議と怖さは無く、僕の心はダンスでも踊っているみたいでした。

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