第2話
10月から11月にかけて、小谷は私や井村、西城の高知組と一緒に昼食に行くことが無くなった。
いつも現場に残り、江藤や康太郎たちとコンビニ弁当を食べている。
小谷に言わせると「コンビニの弁当、美味いで。西城くんみたいに1000円も出してヒレカツ定食食べにゆくらあて理解できん。コンビニで充分やんか!」だそうなんだが・・
私は絶対とは言わないが、お昼はなるべく近隣の飲食店に行くようにしている。
それには幾つか理由があるのだが、一番はお施主さんが工事中の自宅にいる場合、我々が軒先で食事をしているとお茶など余計な気遣いをさせてしまうことを避けるためだ。
また今は非喫煙者も増えて来ていることから、路上での喫煙風景をあまり見せたくない。と云うのもある。
しかし小谷たちは「当然の権利」として昼休みに大量の煙草を路上で喫う。
そして何よりも現場に弁当などの空容器のゴミが溜まってゆくことが困る。
しかし、そのゴミは溜まることは無かった。
現場で出るゴミを西城と井村が毎日、交代で持ち帰り棄ててくれていたのだ。
小谷は気がついていないはず無いだろうが、無視を決め込んでいる。
彼らより技能が上なので、ゴミ片づけを後輩にさせるくらい当り前だとでも思っているのだろうか。
季節は秋になっていた。
海のそばにある浦安の秋は風が吹いてとても涼しい。
我々が住んでいるマンションの陽当たりはあまり良くなく日照時間が限られている。
そこで隣にあるコインランドリーで乾燥機を廻すことも増えて来た。
コインランドリーは隣のマンションのオーナーが経営しているのだが、
その奥さんは65歳くらいで江戸弁を話す人だ。
乾燥を待ちながら雑誌を読んでいると
「あら!親方。珍しいですね。今日はあのよく喋る愛想の良いお兄ちゃんはいないの?いつもここで漫画読んでは、高知へ帰りたーい。帰りたーい。って言ってるんだけどさ。あれじゃ仕事に身が入らないでしょう?帰した方が良いよう」
「そうですね。今、そういう段取りしてますから」
部屋に戻ると2つ隣の部屋の井村から電話があった。
「おう。どうした?」
「親方。今から部屋行っても良いですか?」
世の中には、三回謝れば、それは誠意のこもったものゆえ全てが赦される。という観念がまかり通っている。・・・・らしい。小谷によればだ。
私たちは、休日に一緒にどこかに出かける。というようなことは基本的にしない。
ずっと故郷を離れて暮らしてゆくにあたって休日まで同じメンバーで過ごすことは疲れるだろうと、初期の段階でなんとなく決めたのだ。
これが小谷には寂しくて堪らないようだ。
そんな状況で井村から部屋に来て良いか?の電話は、何かまたよからぬことが起こったのだと想像すると、朝から嫌な気分になる。
「あの・・小谷さんに、どうしても5万円だけ貸してくれ。って何度も土下座されて、給料日に返すき。と言われて貸したがですけど・・返してくれんがですよ。どうしたらえいでしよう?」
やれ!やれ!やれ!やれ!やれ!やれ!だ。
井村には茨城県神栖での一件以来、小谷には金を貸すな。と強く言ってあったのに、どういうことなんだ。
まあ・・小谷の金を借りるための土下座などは、「スマイル=0円」に等しいものであり。自分と仲良くつきあっていると小谷が考えている江藤や康太郎には頼まず、また頼んでも崩せないことが判っているからだろうが、
・・・逆に自分を嫌っている井村には追跡装置付きの魚雷のごとくしつこく粘れば必ず7は揃う。と読んで粘ったのは容易に想像できる。そしてそれは小谷の読み通り正確に落とせるものなのだ。
仕事で疲れを採るための休日がまたも、どぶさらい業務で消化されてゆく。
私は井村と話終えた、その足で小谷の部屋に向かった。
小谷は呼び鈴を鳴らすと、くつろいだ格好ですぐに出てきた。
「親方、何?」
「お前!また井村に金借りて返して無いろが!」
一瞬、バツの悪そうな表情をしたが、すぐに切り替えて、納得がゆかないという顔を造りながら・・・
「えっ!なんでそんなこと井村先生、親方に言うがやろ。3回謝ったのに!」
どうやら小谷の中では1回でなく3回謝ることに深い誠意が込められており、それで赦されると解釈しているらしい。
金を返せないことについての釈明理由を語る何度めかの「小谷劇場」が開演した。
小谷は、声を造って語りはじめた。
「いや。実はや。おふくろが倒れてよ。僕が色々、心配かけたが原因やとか言われてよ。憶えても無い高知におった時の飲み屋からの請求の電話とかもすごかったみたいで。
ほんで病院に入院したがって。
医者は手術してペースメーカーも入れないかんって言うけんど、そんな金も無いしよ。おふくろもそんなら死んでもかまん。って言いゆうがよ。それでも病院代は払わないいかんやんか。
そんで金を送ってくれって頼まれて、月末には返すと言われたけんど。うちの親もあんまり収入ないきよ。お金返してくれんかったって」
小谷の親は、今では珍しくなった牛乳配達所を経営している。
もっとも既に契約世帯数は100棟を切っている。
「まあ、うちの親父とのつきあいで、あんたんくがやりゆう間は牛乳採るきね」って言うてくれゆうがやけんど、ちょっとづつ減りゆうで」
「いや。お前の家の事情と井村は関係無いろが。どうやって返すつもりながな」
「今、兄貴と妹に貸してもらうよう話ゆうがやけんど、兄貴には「俺も家族があるき」って断られてよ。妹も僕が親方とこで先遣りやってお金稼ぎよった頃には冷蔵庫とかテレビ買うちゃったによ。人が困っちゅうに金貸してくれんがって!ほんまむかつくがよ」
小谷は離婚の際にも元妻から「ねえ、お母さんたち。いつお金返してくれるの?うちも生活があるがで」と言われていたのを思い出した。
親方としては、従業員とはいえ他人の家庭問題に首を突っ込んでも何も出来ないしするべきではないので。ただただ井村にどう返金するか?だけを問い詰めた。
そして、自分の忠告を聞かず、再び小谷に貸金した井村には自分で回収するように伝えた。
自分たちを追いかけてくれていたドキュメント番組「真相記者シッテル」の放送は大きなニュースに挟まれて、放送はのびのびになって、12月初旬にようやく放送された。
3000時間分も廻したというテープは、11分に編集され。「あの場面もあの場面も」カットされていた。
流石に人気番組だけあって、宇田テクノスには問い合わせが13件入った。
そして自分のHPにも2件問い合わせがあった。
私が多忙だったこともあって、宇田テクノスに入った問い合わせ分は義嗣が、現地調査に行き、図面と画像を元に積算した。
自分に直接、来た問い合わせ2件は仕事が終わってから夕方に見積もりに行った。
結果は、義嗣が担当した13件は全ボツ、全て決まらなかった。
自分が直接、行った2棟は両方とも決まった。
井村が言う。
「義嗣さんも、僕らも誰も求められてないがですよ。親方・岡村直哉が来てくれることを望んじゅうがですき、仕方ないですよ」
私はこの言葉と結果を踏まえて、義嗣を担当から外してもらうよう川森社長に直訴した。
その2か月後に義嗣は自ら退社した。
色々なことが自分たちを取り巻いて急スピードで進んでゆくのだが、精一杯努力しなければ消えてゆく運命にある。
小谷も消えてゆく時が来た。
2011年の大晦日、浦安市の消防署の近くで今年、最期の現場を終えようとしていた。
関東の夜は早い。夕方5時ころには既に暗くなりはじめていて、誰もが片づけをはじめていた。
私たちもなんとかぎりぎりに、この現場を終わらせて引き揚げようとしているのだが、後から配管工事に来た設備屋と仲良く小谷が話している。
小谷が大きな声で笑っているのが聴こえる。
「そうなんですね!いや勉強になります。ありがとうございます!」
今から2時間もしないうちに夜行バスで高知に逃げ帰るというのに、まるでこの後もずっと一緒に仕事をしてゆくチームのように「次の現場を円滑に行うための打ち合わせ」をしている小谷と設備屋に浦安の夕闇が迫る。
さあ住み慣れた高知へ帰れ!そうやってただ時間とお金を浪費して惨めな老後を迎えれば良いのだ。
しかし、小谷はそんな未来のことを夢にも考えない。
アンドロイドが電気羊の夢を見ないように。
第一部 完
小谷 @naoya-okamoto
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