第9話 レアメタルのような男の話①
「
人が住む地域からは、少し離れたところに位置する生ゴミ処理工場。そこで谷崎という男が働き始めた。彼は35歳。新人でありながら、若い輩が多いこの工場では年配となってしまう。
同僚と歳が離れていることや、歳下に仕事を教わることを気にする人も居るであろう。しかし、彼は、そんなことを気にする様子を見せずに、年齢など関係無く、誰に対しても誠実に接し、仕事を早く覚えようと、貪欲に教わる姿勢を崩さなかった。そんな彼を周りも直ぐに受け入れ、まるで何年も前から居たかのように職場にすんなりと溶け込んでしまった。
事情は人それぞれあるのは分かっているが、少なからず、ここで働く者ならば、一回は考えたであろう。どうして、こんなにも出来る男が、この歳で新人にならなければいけなかったのだろうかと。
「
最初に谷崎が仕事を教わったのが矢田という男であった。まだ23歳だと言うが、高校卒業後に働き始めたため五年ほど働いていることになる。
彼は仕事を教えるのは上手かったという。だが、基本的に無口であるため、必要最低限のことは話さなかった。
「家賃代払うのが大変なんですよね」
谷崎はたまにそんな私情を話してみたが、彼はそれを聞いているかどうかさえ分からなかった。谷崎は話すのは好きなため、例え無口な人であっても、親しくなれることが多かったが、彼に対してだけは居心地の悪さを感じていた。
「谷崎君、ちょっと来てくれる」
休憩室で同僚と共に昼食を食べている時、彼は責任者から呼び出された。「なんかやらかしたんですかー」という調子の良い声を背中に浴び、彼は少しだけ微笑んみながら部屋を後にした。10分ほどして彼は休憩室へと戻って来た。表情はとてもにこやかで、大したことではないのだろうとそこに居た誰もが安心していた。
「それで、何をやらかしたんすかー?」
先ほどと同じ声で、
「短い間でしたが、お世話になりました」
「えっ!?」
その場にいた者全員が、声を上げずには居られなかったらしく、同時に声を上げた。
「いや、流石にその冗談はきついっすよー。アハハハ」
畑瀬につられるように、静かな笑い声があちこちから上がるが、彼が荷物をまとめる手を止めることは無い。
「まじなんだ」
畑瀬はぼそりとつぶやくと、そこらへんにあった椅子に座り込んでしまった。
「おい、どういうことだよ。お前頑張ってたんだから、俺が抗議してやる」
あちらこちらから声が飛び交い、椅子から立ち上がった者までいたが、谷崎は何も語らずに休憩室を後にしてしまった。
それほど人望が厚かったのだろう。彼が去ってもなお、不満の声は鳴り止まなかった。誰もが、納得出来ないとでも言いたげな表情をしている中で、部屋の隅の方から耳を疑うような言葉が響き渡った。
「あの人、人殺したらしいっすよー」
皆が振り向いた先には、
「あの人がそんなことする訳無いでしょ......」
「何でお前がそんなこと知ってんだよ」
部屋全体の鼓動は早まり、冗談だと言ってくれという空気が、あたり一帯を包み込む。
「たまたま聞こえちゃったんですけど、さっき、チーフと社長がそう言ってました」
従業員たちは彼から視線をそらし、各々の食事に戻る。
「いい奴だったけどな」
「人は見かけによらないですもんね」
「さあ、皆切り替えよう。午後に備えて、いっぱい食っとけよー」
共に汗水流して仕事をした仲間。しかし、今となっては元犯罪者。これ以上関わらなくて済むなら幸いだ。その場の誰もが心の中ではそう思っていた。一人を除いては。
「おい、矢田。どこ行くんだよ」
「トイレ」
お前も辞めんじゃねえだろうなという冗談を背中に浴びながら、矢田は休憩室を出た。
矢田が休憩室から出ると、谷崎の背中が直ぐそこに見えた。「谷崎さん」と矢田が彼を引き止めると、素直に振り向いた。
「矢田さん。どうも。色々教えて頂きありがとうございました」
「行くあてあるんですか?」
「適当にコンビニとかでアルバイトしますよ」
「そうじゃなくて家ですよ」
「家......? 家はとりあえずは今住んでいるところがあるので」
「家賃がギリギリなんですよね?」
そう言えば独り言のようにつぶやいてしまったことがあったなとでも言いたげに目を丸くした。しかし、初めて垣間見た矢田の優しさに、安堵の表情を見せる。
「心配してくれてありがとうございます。何とかしますよ」
「うち来ませんか?」
「えっ?」
谷崎は再び目を丸くする。情けで言っているにしては度が過ぎているとでも言いたげな表情だ。
「お気持ちは嬉しいのですが、一ヶ月前に会った人にご迷惑をおかけする訳にはいきませんから」
「じゃあ、安定した仕事が見つかるまででどうですか」
矢田の真っ直ぐな視線で彼が本気であることは理解できる。しかしながら、普通なら、ろくに親しくもない相手と一つ屋根の下で暮らそうだなんて思わないのだから、受け入れられないであろう。
「どうして、そこまで?」
「強いて言うなら、人を殺したから?」
その言葉を聞いて、彼はギョッと目を突き出してしまう。
「5時まで時間つぶしといて下さい。詳しくは家で話しますから」
矢田は選択の余地も与えずに、谷崎を残して、休憩室へと戻っていってしまった。
見えない背中を見つめたまま、谷崎はしばらくの間立ち尽くしていた。
「こんな山の中で時間つぶせって......優しいお人だこと」
目に映るのは、緑ばかり。工場までは送迎バスがあるため、その道以外は、立ち入ったことが無くかった。いや、どうせ何も無いだろうと、足を向ける気持ちさえ無かった。
あきれるような表情で、煙草に火を点ける。ブツブツと言いながら、未知の世界へと思いを馳せながら、ゆっくりと前に進んだ。
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