第28話 新聞紙は必要なのか
「なんか、荒れてるな」
居間にはあまり人が寄り付かなくなっていた。それにも関わらず、床にはゴミが転がっていたり、ゴミ捨て当番が機能しなくなったせいで、ゴミ箱にはゴミが溜まっていた。
「汚い家。ここのいいところなんて、綺麗なことくらいなのに」
ゴミにうるさいソーチョーの影響で、ここの住民はゴミに敏感に反応するようになった。それが結果として、部屋の美化にもつながっていたのだが、今はそれが嘘のようである。彼女は床に散らばったものを軽く拾い集めると、それぞれのゴミ箱へと分別していく。
「あれっ?」
可燃ゴミの箱の中を覗くと、プラスッチク素材のお菓子のパッケージが混じっているではないか。
「最近は皆慣れて、ちゃんと分別してたんだけどな」
彼女はそれを拾ってみるが、奥にも別のゴミが混じっていることに気づいた。
「これは、皆の気が緩んでるってことかな」
両手に腰を当てて、これから子どもを叱りつけようとでもいうような仕草を見せるが、直ぐに顎に手を移動させた。
「いや、違う。なんかこの法則についてソーチョーが語ってたような......」
「あれだろ。溢れかえっている汚いゴミ箱だと、バレなきゃいいやの心理が働くって」
「ああ! ギンガ! いつの間に居たの」
当たり前のようにキッチンに立っているギンガに彼女は目を丸くした。
「片付けたばかりの部屋では、服を床に散らばらせたりしないけど、元々服が散らばっているような汚い部屋だと、罪悪感がなくなって散らばらせてしまい易い。それと同じなんだよな」
「そう! それそれ。私たち、大分ソーチョーに洗脳されてるみたい」
二人はクスクスと笑い始めた。最初は口に手を添えていたが、やがて手もどけて大口で笑い始めていた。
「一応、さっき軽く片付けたんだけど、なんか汚く感じるんだよね......あっ!」
「えっ? どうした?」
彼女は居間の一角を指差した。そこには、いつ倒れても可笑しくないほどの新聞紙が積み重なっており、”汚い”のシンボルのようになってしまっていたのだ。アイロンでもかけたように皺が無いそれは、誰からも読まれていないことが窺える。
「うーん。これはソーチョーのだから、捨てるわけにはいかないしな。読んでないなんてもったいない」
ガンガンは、新聞紙タワーの一番上にある一つを取ると、ソーファーに座って広げ始めた。文字が行儀よく陳列するそれを眺めていた彼女は、わずか10秒ほどで、頭を後ろに垂らしてしまうのだが。
「こんなんソーチョーは毎日読んでたんだ。凄いな」
この屋敷で新聞を読むのはソーチョーただ一人である。彼は、今彼女が座っている場所に夕飯後に座り、新聞を読んでいた。
しかし、今はきっぱり読んでいない。なぜ毎日読んでいたものを読まなくなったのであろう。ゴミ拾いを毎日するくらいであるのだから、習慣に対するこだわりはかなり強いはずなのである。それに、いくら他の人と顔を合わせることが気まずいとはいえ、新聞など自室で読めばいいだけの話である。
「新聞を読むのは習慣では無いってこと?」
夕飯後は自然と皆が居間に集まり、テレビを見たり、話したり、皆この場所に居ることが多かった。
「皆と一緒に居たかったのかな」
無口でとても不器用な彼は、新聞を交流の道具として使っていたのかもしれない。その姿を頭で想像してしまったのか、彼女は一人でにやけていた。
「そんな使い方もあったんだね」
子どもを見つめるような表情を見せた彼女は、手に収まっている新聞紙を、優しく撫でたのであった。
そんな時、突然ドアが開いた。
「あっ! ソーチョー! 新聞読みに来たの?」
ドアを入っきたのはソーチョー。キッチンの方へと進み、ギンガの後ろを通ると、冷蔵庫を開ける。一度冷蔵庫を閉めてから取り出した水を飲んでいる姿を見ると、新聞を読みに来た訳ではなさそうだ。
「ギンガいつの間に帰ってきたんだよ。気づかなかった」
「ギンガ?」
彼女の問いかけには一切反応しないソーチョーは、直ぐそばに居るギンガに話しかけるが、彼は何も答えず、無言でドアの方へと歩いていってしまった。それを目で追う二人はちらりと視線を合わせるほどだった。
「ちょっと、ギンガ。ソーチョーが聞いてるよ」
今にも彼が見えなくなってしまいそうな時に、彼女は説教でも始めるように、彼を引き止めた。すると、彼は彼女だけに黒目を向けて「30分前くらい」とだけ言ってその場を後にしてしまった。その声は驚くほどに低いもので、一気に居間の空気を冷たくしてしまった。
「もお。ギンガ疲れちゃったのかな? 感じ悪いんだからー」
明るい声にしようと努めたその後には、何も言葉は続かない。ソーチョーは冷蔵庫を開いて、水をしまうと、開け放ったまま微動だにしなかった。
「そうだ! ソーチョー。新聞紙読まないで捨てたらもったいないよ! いつも無駄なものなら買うなってソーチョーが怒るくせに、ダメじゃん!」
「そうだな。もう取るの止めるよ」
「そこまでしなくてもいいよ。夕飯の後に私たち三人は床に座って話してて、ソーチョーはソファーで新聞読んでるの。それでたまーにソーチョーが会話に入ってくる。私、その時間凄く好きだよ」
「もう、その時間は戻ってこないから」
「そんなことないよ」
「戻ってこないんだよ。理想論だけじゃ、生きていけない」
「どうして? 私がここから居なくなれば戻ってくるの?」
泣きそうになりながら、彼女は彼の背中を見つめ続けていた。
「君が何をしたって無理だよ。むしろ、君はどうして普通で居られるの? 警察が俺のこと嗅ぎ回っているのに」
彼がどのような表情をしているのかは分からない。だけど、身体が小刻みに震えていることだけは、彼女の位置からでも見て取れた。
「ソーチョーが私のことをどう思っていようと、私にとってはこの屋敷で四人で過ごすことが幸せなの」
「本当にバカだね。あんなひどい態度取ってるのに」
「えへへ。そう。私はバカなの」
彼女が頭を掻いていると、いつの間にかに、ソーチョーが目の前に立ちはだかっていた。そして、彼は彼女の頭に右手を添えたのである。
「えっ?」
「そのバカに、今は助けられてる」
撫でる訳でもなくただ添えられているだけであるが、彼女は頬を赤らめて花が開いたような満面の笑みを咲かせた。
「でも、無理なんだ。四人でこの屋敷は無理だよ」
「そっか」
再び現実を突きつけられたようで、目を伏せるが、先ほどよりもがっかりとしている様子は無かった。
「君を受け入れなかった理由を教えてあげる」
「えっ? ただ嫌いだからでしょ?」
「俺には君を救えないからだよ」
「えっ?」
「ガンガンに必要なのは安定した仕事でも、住居でもない。愛されることだ」
「愛......」
「俺は、恋愛とか分からないから、無理なんだよ。ごめんね。何もしてやれなくて」
「ソーチョー......」
それまでこらえていたはずの涙を彼女は流していた。それはきっと悲しみなんかじゃない。どちらかというと嬉しさからであろう。
「だけど、一つだけ俺にも出来ることがあるんだ」
「えっ? 何?」
「ジジと一緒に出ていきな。ジジと同じ道を目指して、ずっと一緒に歩んでいけばいいと思う」
彼女は涙を袖の部分でふき取ると、彼に笑顔を向けていた。
「うん。そうする」
「いい子だね」
彼は髪の毛をぐしょっと軽く握ってから手を話した。その後は無言で何も話さない二人。いくら明かりが灯っていても寂しいものは、寂しいに過ぎないのだ。
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